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今日の真如堂?


 昨日が立秋。何となくちょっと日差しが変わったような気がしますが…そんなわけはないかなぁ。北陸・東北地方はまだ梅雨が明けないとか。本当に異常気象の年ですが、10年に1度はこういう年があるらしいですね。でも、お米がとれなくて困ったのはそんなに前でもないですよね。

 百日紅が今を盛りに咲いています。写真の木は三重塔の横にあるもの。この写真は墓地から撮ったものですが、そこが撮影場所としては最高で、今日もアマチュアカメラマンがウロウロ。ちょっと早いですが、お盆の墓参をする人もたくさんいて、カメラマンは結構お邪魔虫です。そういうボクも…。

 境内は木が濃い緑に生い茂り、蒸し暑い日陰を作っています。やはり、墓参の人がゾロゾロ歩いていて、その中に蝉取りをする子供の歓声がわずかに聞こえています。朝方まで降っていた雨にぬかるんだ地道を、孫らしい人に車椅子を押してもらってお墓に参る人もおられます。きっと、おじいさんのお墓なのでしょうね。

 「お盆」のことは昨年の今頃のページで書きましたので、今年はヤメ。代わりに、「施餓鬼(せがき)」ということについて書こうかなぁと思います。
 「施餓鬼」という言葉を聞いたことがない人もおられるでしょうが、施餓鬼とは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)の一つの餓鬼道に堕ちて苦しむ亡者に食を施すということで、そのための法要がお盆の頃に行われます。
 真如堂の盂蘭盆(うらぼん)施餓鬼法要は明日。真如堂一山の僧侶が全員出仕して執り行い、数百人の方が参列されます。

 施餓鬼には次のような物語があります。
 ある時、お釈迦さまの十大弟子の一人で、釈迦の臨終にも立ち会った阿難(アーナンダ)尊者が一人で念法していると、焔口餓鬼という鬼がやってきました。この鬼の形相はすさまじく、体はやせ衰え、日の中に火が燃え、咽は針鋒のようで、頭髪は乱れ、爪や牙は長く鋭く、恐るべき姿だったといいます。

頚が細く、手足も痩せているのに、お腹が異様に大きい餓鬼。常に餓えに苦し
んでいる餓鬼に施しをする僧。餓鬼草紙(京都国立博物館蔵 平安時代後期)
 この鬼は阿難に向かって、「お前は3日のうちに命が尽きて餓鬼の中に生まれるだろう」と言います。恐れおののいた阿難が、「どうしたらそのような苦からのがれることができるのでしょう?」と鬼に問うと、鬼は「明日、無数の餓鬼や多くの婆羅門仙らに、おのおの1斛の飲食を施し、オレのためには三宝を供養しろ。そうすればお前は寿命を延ばすことができ、オレもまた餓鬼の苦しみを免れて天上に生まれることができる」と答えたそうです。
 この答えを聞いた阿難は、お釈迦さまのところに行って教えを乞いました。お釈迦さまは、「1器の食を設け、ある呪文でそれを加持すれば、その食は無量の飲食となり、一切の餓鬼や婆羅門仙らはたくさんの食を得て、その苦を免れることができる」と言われました。阿難は言われた通りにしたということです。
 ここでいう「鬼」というのは、非業の最後をとげた怨霊の姿なのでしょう。それが重なって怨霊を鎮める施餓鬼の風習が、広く行なわれるようになったようです。

 現代人って、食は足りていても何かにつけて足りる知らずにガツガツしていて、結構、“餓鬼計数”は高いかも知れませんね。