今日の真如堂?


「Net Way Project」  お参りの人も、「これ… ? ? ? 」

 “五月晴れのもと”と言いたいところですが、2日ほど快晴が続いたかと思うとまた雨。そんなお天気のもと、境内にはお寺にはちょっと不釣り合いなオブジェがあちこちに…。
 「臨時のトイレですか?」「拝観料をとる小屋?」などと聞く人も。
 実は、京都のまち全体を劇場や美術館にして、さまざまな芸術文化創造を試みようという「芸術祭典・京」が開かれていて、その一環「公募『京を創る』」の入選作8点(応募は301点)の内の3点が今日から24日の間、境内に展示してあるのです(あとはお隣の黒谷と宗忠神社の境内に展示)。

 まず、真如堂の総門を入る手前の参道脇に、紫のフェルトの敷物。丁寧に石の部分が丸く切り抜いてあります。
 これが、田辺由子さんの「Net Way Project」。
 数ヶ月前、石畳を紙に“型取り”している女性がいたので、「これは例のオブジェを作っているんだな…」と思っていました。
 総門と対面する宗忠神社の参道も同じようにディスプレイしてあって、対になっている格好。
 春に訪れた宗忠神社の参道が、散って落ちた桜の花びらが吹き溜まって網目のようになっていたいたことにインスピレーションを得て作ったというこの作品。「より高く広い視野で地上を見下ろしたならば道の成り立ちそのものが必然的に網目状であることに気付かされることでしょう」と作者のコメント。
 ただ、この作品、フェルトが雨にうたれ、人や車に踏まれて、1週間もつだろうか心配。

 総門を入って、正面の階段に何やら人魂のようなものが17個。
 これが、萩由利絵さんの「floating atmosphere ´97−12A」。
 萩さんは真如堂のすぐ前にアトリエを構えていて、境内へは井戸水を汲みに来たり、散歩に来たりと、しょっちゅう来られているとのこと。この公募に当たって、「3つの会場のうち、真如堂のなだらかな石段が一番人を拒絶せず穏やかに受け入れてくれるような感じがして、この場所と決めて作品を作りました」とのこと。萩さんはいつもはアクリル絵の具とと発砲スチロールを使って作品を作っておられるそうですが、今回のはビニールのオブジェに空気を膨らませ、下に水を入れて立つようにしたもの。

「スッピンですから」と  
嫌がる萩さんを説得して…
「フローティングが私のテーマなのです。真如堂は山門の中の雰囲気がとてもやさしい、やわらかいですが、この気配・域・テリトリーの中に“お邪魔させていただいて”、そこに有機的なフォルムのオブジェを置いて、漂うようなイメージを出したいと思っています」と、恥ずかしそうに話して下さいました。
 ところが、オープンの準備を済ませた夕べ夜半、風に揺られて、オブジェが3点壊れてしまい、1点は夜を徹して修理。あと2点は、オープンに間に合わず。夜中も作品の警備に当たっているガードマンさんは、「本当に可哀想です。朝までかかって、やっと1つは修理されたのですが…」と話していました。
 今日も昼から雨の予想。風も出てきて、今朝になってから壊れる作品も1つ2つ。8日間が心配です。


「新型トイレ?」「拝観料徴収所?」
いえいえこれが「視線の住処」 
 3点目。本堂前の白砂の上に4畳半ほどの木組みの箱、これは杉山優子さんの作品「視線の住処」。

「視線の住処」の中。上の窓から本堂の屋根が見えます

 外観はご覧の通り、木の箱に丸い穴が空いていたり、フレキシブル・パイプが出ていたりします。ドアがついていて、開けると、床は白い大理石、壁には老人・成人・子供などの人影のようなもの、中に綿でも入っているのか布でフワフワのオブジェ、そして大きい丸い穴、天窓のような四角い穴、メッシュつきの穴などがいくつか。それぞれの穴からは、本堂の緑青を帯びた樋、新緑のモミジ・、菩提樹、三重塔などが見えます。
 杉山さんは、 「お寺って、お参りとか観光とかで行っていろいろ見ても、何となく通り過ぎていってしまうことって多いですよね。お寺の全体の雰囲気も大切にしながら、例えばこの窓から覗いていただくと、普段の風景がまた違ったものとして見えてきます。何気なく通り過ぎていたものが意識化されてきます。箱の中の子供や老人のシルエットは時間を表しています。またフワフワしたものを実際に触ってい

杉山雅之・優子さん夫妻
ただくこともできます。この作品の中に入り込んで体感していただいくことで、風景・時間・触覚などが改めて構築され、そこから心象風景というか、新たな原風景のようなものが見えてくればいいなぁ、そんな中から“生きている”ということを実感していただければいいなぁ、これはそういう箱なのです」と説明してくださいました。
 とても生き生きした印象の方です。今日は夫妻と2才ぐらいの子供さん、おばあさんと一緒に来られていました。

 お寺がこのような形でいろいろな利用のされ方をし、普段来られないような方がこれを縁として来られ、境内の風と作品を肌で感じて帰ってくださるということは、大変うれしいことです。
 そういう場の提供、これからもどんどん続けていきたいと思います。

 なお、この催しの詳細については、「芸術祭典・京」をご覧下さい。