今日の真如堂?


散った花びらが地面を染めています

カエデの赤い芽と散り残った桜花

 昨日の雨で、桜もかなり散ってしまいました。昨日は小さな水の流れに桜の花が浮き、よどみんでたまり、また流れるといった光景で、人気のない境内はうっすらと霞んでとても風情がありました。

モミジの新緑と塔

 今日は一転して雲一つないような好転。昨日の雨が惜しまれますが、今日の晴天は若葉の味方。まだ芽を出したばかりのもみじなどの新緑が、キラキラ光ってとてもきれいです。
 木々が芽を出し始めてから葉が開くまでの早いこと。「春の日差しを一刻も早く受けないと損」とでも言わんばかり貪欲に、もみじ、カエデ、まだ花びらを付けている桜、野の草などのが、日に日に新芽を出しては延ばしています。
 今朝は少し歩くと暑いぐらいのお天気。朝と夕方を比べても、成長が進んでいるのがわかるぐらいでしょう。

紫色の藤の花のつぼみ

 この陽気に誘われてか、気がつけば藤の花房が大きくなっています。「桜も終わっていないのに、もう藤?」とでも言いたくなりますねぇ。
 あちこちで咲いている椿の花も、花弁で自らの足下を赤や白に染めています。
 山吹も満開ですし、あと咲きそびれているのは八重桜ぐらいでしょうか。鐘楼の脇の八重桜もまた見事ですよ。

真如堂の誕生仏はお地蔵さんのように丸坊主
 さて、ちょっと過ぎてしまいましたが、4月8日はお釈迦様の誕生日、「花まつり」です。
 皆さんは甘茶を飲まれたことはありませんか? あるいは地方によっては、花電車が走ったり、象を引いて練り歩いたりといった行事がありますが…。花電車をご存じの方はちょっとご年輩。
  昔も昔三千年 花咲き匂う春八日  ひびきわたった ひと声は  天にも地にも 我ひとり
という歌があります。
 花まつりには花御堂(はなみどう)をたくさんの花で飾り、右手で天を指し左手で地を指した誕生仏をおまつりして、甘茶を掛けてお祝いします。
 よく「お釈迦さんは実在していたのですか?」と聞かれます。
 お釈迦さまは今から約2500年前、今のネパールとインドの国境近くの国でシャカ族の王子として誕生されました。
 ある夜、お釈迦様の母親摩耶(マーヤー)夫人は白い象が天から降りてきて自分のお腹に入る夢をご覧になり、その直後懐妊されました(白い象は古代インドでは気高い者の象徴で、この夢は尊く清浄な人が出生することを暗示しています)。
 臨月が近づいた摩耶夫人は出産のため実家に里帰りすることになり、その途中、ルンビニーの花園で休憩されました。うららかな春の光のもと、夫人が花に手をのばそうとした時、その右脇(あるいは右腕)からお釈迦様が誕生されたといいます。
 そして、すぐに七歩歩いて、あの誕生仏の恰好をされて、「天 上 天 下 唯 我 独 尊」とおっしゃったといいます。7歩というのは六道輪廻を超えたという意味です。
 独善的な人のことを「あの人は唯我独尊だ」などと評することがあります。確かに字だけを見ると「自分だけが尊い」という意味ですが、本来は人々を教え導くためにこの世へ生まれてこられたお釈迦さまの信念の宣言とでもいうべきものでしょう。
 お釈迦さまの誕生を祝って神々は空から花を降らし、龍神はかぐわしい香りの青・赤2色の雨をそそいだといいます。花を飾り、甘茶をそそぐのは、これに由来しています。

ドイツから旅行に来たも婦人も初めて灌仏
 悲しいことに、摩耶夫人は産後の肥立ちが悪く、7日目に息を引き取られ、摩耶夫人の妹、マハーパジャーパティーがお釈迦さまを育てられます。物質的には恵まれていたでしょうが、実の母親の愛情を知らずに育ったお釈迦様は、幼少の頃から人生の無常、悲しさ、矛盾に関心があったといいます。
 16才で結婚、一児ラゴラを授かります(この子は後にお釈迦様の弟子になります)。しかし、物質的・肉体的な喜びはお釈迦様に満足を与えず、やがて本当の心のやすらぎを求めて出家されました。29才の時でした。
 摩耶夫人の懐妊からお釈迦様の誕生の様子まで、非科学的なことばかりで、小学生にでも笑われます。もちろん、後世の者がいろいろと伝説化したわけですが、そこには深遠な意味も含まれていて、一笑にふせるものではないような気がします。
 科学的なことも少し。甘茶は山紫陽花の一種で、あの甘さはサポニンという成分によります。サポニンには、溶血作用があり、強心剤・きょ痰剤にもなります。たしか朝鮮人参の主成分だったと思います。