2/12版
今日の真如堂?


 今日、2月12日は真如堂創建の願主 東三条(女)院の997回忌。真如堂一山の僧侶11名が、墓所のある元真如堂換骨堂で法要を勤めました。
 真如堂が創建されたのは今から千年以上前の984年。その機縁は2人の人が夢から始まります。
 1人は真如堂開祖 戒算上人。老僧が現れて、「われは叡山常行堂より来た者。京に出て、すべての者に利益を施すであろう。わけても女人を済度するものなり。早く、京に下すべし」と告げます。比叡山での度々の協議の末、常行堂のご本尊が慈覚大師によって刻まれた時に「都へ下って衆生済度、とりわけ女性をお救い下さい」と言うと如来がうなずかれたという言い伝えもあるのでということで、ひとまず京へ下る雲母坂の途中の地蔵堂に安置されます。
 すると、また老僧が夢枕に現れて、「神楽岡のあたりに一晩に小さな檜1000本が生えた場所がある。その場所こそ、仏法に縁が深い地であり、衆生済度の地である。末法の世に、真正極楽の霊地である」と告げます。
 夢を見たもう1人は、この東三条女院(藤原詮子)。この方は円融天皇の女御で、一条天皇の母親。また藤原道長の姉でもあり、道長や藤原一門の勢力発展に大きな功績があったと言われています。
 女院の夢にもやはり老僧が現れて、「私は比叡山常行堂から来た。女人済度の願いがあるので都に下る。まず、汝の宮中に行こう」と言います。
 戒算上人は、本当にそのような場所があるのか確かめるために弟子を遣わします。女院も比叡山に使者を送ります。その2人が比叡山の山道で出会い、お互いに夢のことを話してそれが本当であることを知り、弟子はさらに下ってその地を確かめ、女院の使いはさらに山道を登っていきます。
 やがて女院の離宮のある、一晩で檜1000本が生えた真正極楽の霊地に真如堂が創建されていきますが、当時の真如堂は今日お勤めをした換骨堂の場所だったと言われています。換骨堂は白川通から真如堂に登る途中にあります。
 その後(986)、藤原詮子は正三位に叙せられ、一条天皇即位後 皇太后に、そして991年出家して「東三条院」という院号を授けられます。お生まれになったのが961年、亡くなったのが1001年ですから、40年の短い人生だったようです。
 いつもこの女院忌には雪が降ったりして、衣に長靴でお参りするということもありましたが、今日は暖かく、読経をしていても楽でした。