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今日の真如堂?


雨の「涅槃の庭」から望む霞みかかった大文字山(左手上の杉3本の向こう側の山)

 お盆の真っ最中の土曜日の今日は、墓参の人が一日絶えませんでした。ほとんどのお墓には綺麗な花が供えられ、線香の煙があちこち。
 そんな境内に、違和感のある赤色灯を回したパトカーが停まっていると思えば、74才のお年寄りが墓参に来て行方不明とか。午後からにわか雨の静かな境内も、そんなこんなで何となくザワザワ。

 お盆はお寺にとって一番忙しい季節の一つ。「棚経」といって、檀家の家々に伺って、お迎えした精霊にお経をあげるわけですが、私の自坊の場合、この数240軒。西は神戸から東は滋賀県の近江八幡まで、8月の声を聞くと同時に回り始め、一応明日がそのうち止め。暑い盛りの長丁場ですが、やはり13日〜15日が正念場。「あと1日」という今日は疲れも最高潮ですが、「今年もどうにか回れたなぁ」という実感が段々湧いてくる時でもあります。

 さて、「お盆」って一体どういう行事かご存じですか?  『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』には、お釈迦様の10大弟子の1人である目連尊者が、餓鬼道(むさぼりの強い者の死後の世界)に落ちた母の苦しみを救おうとして、お釈迦様の教えに従って祭壇を設けて三宝(仏−悟りを開いた人。法−仏の説いた教え。僧−仏の教えに従い成仏を目指す出家者)に供養して母を救ったということが説かれています。そして、これが盂蘭盆会の起源であるとされています。
 ある時、目連尊者は亡くなったお母さんがどうしているか心配になり、神通力で彼女の死後の世界を見てみました。
 ところが、なんと、お母さんは飲むものも飲めず、食べるものも食べられず、ガリガリに痩せて恐ろしい餓鬼に生まれ、大変苦しんでいました。その苦しみは、たとえてみれば、逆さにつるされたような苦しみ(サンスクリット語で「ウランバナ」、漢字で「盂蘭盆」)でした。
 目連尊者はお母さんを助けたい一心で、神通力で飲み物や食べ物を母親のところに送りましたが、母親がそれらを口にしようとすると、燃え上がり、飲むことも食べることもできませんでした。悲観にくれた目連尊者はお釈迦様を訪ね、「私にとって、かくも愛情あふれていた母は一体、なぜ餓鬼に生まれたのでしょうか。救い出す手段はないのでしょうか」と尋ねました。すると、お釈迦さまは「お母さんは罪を犯しているからです」と言われ、「その罪は慳貪(もの惜しみ)の罪です」と教えられたのでした。
 目蓮尊者はどうしたら母を救えるのかと尋ねました。お釈迦様は、「7月15日はたくさんの僧が一堂に集まり、過去を反省懺悔してさらに仏道の修行にいそしもうとする<仏歓喜の日>と呼ばれるめでたい日である。この日にたくさんのご馳走を諸仏衆僧にお供えして、7世の父母のために苦をはらい、楽を与えてくださるよう回向を頼みなさい。たくさんの僧が心から唱える回向の功徳は広大無限であるから、現在ある世の父母は百歳の寿命を保ち、今はなき7世の父母は餓鬼道から救われるであろう」とお教えになったと言います。

蓮の台に載った水玉
 喜んだ目連尊者は教えられたとおり諸仏衆僧にご供養して、7世の父母に報恩追善の誠を述べ、そうして無事、餓鬼道にあった母は救われたといいいます。
 この故事に由来し、逆さづりの餓鬼道の苦しみに堕ちないよう、先祖の霊などに供養する盂蘭盆が行われるようになりました。
 親、特に母親には自分の子さえよければという面があるように感じられます。ひどい場合は、よその子を押し退けてもという面さえあることがあります。一方、仏さまは、すべてを慈しみ、救いたいというものです。そんな仏さまの目からすれば、「自分の子、自分の子」という母親の、いや世の親の行為は慳貪に見えるのです。その結果、母親はものが手に入らない餓鬼に生まれたわけです。でも、私たち子どもはそんな親の愛情の中で、健康に成長してきたわけです。
 このように見てくると、盂蘭盆とは母親、いや親の子どもへの、ひいては先祖の子孫への愛情やありがたさを説いた教えだともいえます。
 お盆に供養するということには、2つの意味が考えられます。1つは「仏さまを敬う」「ご先祖さまを尊ぶ」という、ご先祖さまや亡くなった人のための供養。もう1つは、お世話になったすべての人やものに感謝する、生きている人(父母、親族など)やものへの供養です。
 お盆は、ご先祖や亡き人の霊を迎えてていねいにもてなし、父母の長寿を願い、ともに祝い祈る供養の行事なのです。

 さて、明後日、16日は精霊送りの「五山の送り火」です。「大文字焼き」などとは言わないでくださいね。
 真如堂からは一応、五山すべてを拝することができます。最も近い東山・如意ケ嶽の大文字は、「涅槃の庭」が絶好のビューポイント。上の写真の3本杉の真ん中、ちょっと緑の色が変わっているところが火床の一部です。でも、真如堂は大文字に近すぎて、その前にある法然院の山で「大」の字の下半分が隠れて見えません。それに、火と火が点々に離れて見え、また風向きによっては点火を指揮する拡声器の声が山から聞こえてきたりすることもありますよ。
 そうですね、絶好のビューポイントは、鴨川の出町柳の橋のあたりでしょうか。
 16日の送り火の様子を写真でお伝えしたいのですが、ちょうど精霊送りの回向をしているので、叶いません。あと2日、目一杯、汗を流します。