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今日の真如堂?




真如堂開基 戒算上人

 どこへ行っても風邪をひいている人が必ずいるようですが、あなたは大丈夫? 風邪にもいろいろ種類があるらしく、熱の出る人、お腹の具合の悪くなる人など、症状はひとそれぞれのようですね。 ボクは結構元気!

 今日も境内をウロウロして更新ネタを探しましたが、なーんにもないですね。ハコベの花が咲いていたので撮ろうかと思いましたが、ピンぼけのデジカメじゃ無理。水仙も今を盛りに咲いていますね。水仙、ボクの大好きな花です。これも日本全国で咲いているのでやめます。

 1月27日は、真如堂を開かれた戒算上人という方の947回忌です。
 戒算上人についての詳しい記録はごく少なく、戒律に厳しい人であったこと、1053年享年91歳で亡くなったなどが『真如堂縁起』等によってわかるのみです。
 ある夜、上人の夢に老僧が現れて「我は常行堂より来れり。聚楽に出て一切群類を利益し、殊に女人を済度せむと思えり。急ぎ下山せしむべし」と告げます。そこで、比叡山の三塔の僧侶で詮議したところ、とりあえずお告げに出てきた常行堂の阿弥陀如来を、京都へ下る雲母坂の途中の地蔵堂に仮安置しました。すると、また例の老僧が現れ、「神楽岡の辺りに長尺余の檜千本、一夜の中に生ひたる所あるべし。是れ即ち仏法有縁の地、衆生済度の処、末世相応真正極楽の霊地なり」と告げます。上人が弟子僧を使いにやると、東三条女院の離宮に今までに見たこともない檜が生えていました。
 やがて、東三条女院(藤原詮子)の離宮のあった神楽岡にその阿弥陀如来をご本尊とした真如堂が作られます。

 慈覚大師円仁作で、比叡山の重要なお堂の本尊であった阿弥陀如来を下山させるだけのポストにあった人であり、また円融天皇の女御で一条天皇の母、かつ藤原道長の姉であり藤原一門の繁栄にずいぶん貢献したという藤原詮子と関係があった僧である戒算上人。そんな人の資料が何もないというのも不思議な話です。
 今回の「冬の旅」の資料作成の際、真如堂が移転や焼失を繰り返し、その中で多くの資料を失ったということを実感しました。本当に惜しいことですが、悔やんでも仕方ありません。それよりこれから未来に向けてどう進んでいくかだと思っています。

 「冬の旅」は閑古鳥が鳴いています。少ない日は40名足らず。最も多かった日で200名ちょっと。ガイドさんの雑談に花が咲いています。それも暢気でいいかも…。