平 地 の 安 楽

9月4日

 陸路ネパール入りする高木さんを除いて、われわれラサ空港に向かった。彼は、ネパールまで4日間、5000m級の峠を3つ越えなければならないそうだ。メンバーが1人減った。
 ラサ空港に着くと、今度は杉本さんが空路ネパール入りするため別行動になった。
 彼の弟は山好きで、2年前、ネパールで高山病のため命を落とした。まもなく定年を迎える銀行マンの杉本さんが、ネパールに度々来るようになったのはそれかららしい。遺体を荼毘にし、遺骨を持って帰るときの添乗員が山村さんだったという。みなそれぞれドラマがある。
 メンバーがまた1人減る。

 9:20 フライト。ラサは日中にしては珍しく雨。
 厚い雲を抜けると、そこは晴れ。「雲の上はいつも晴れなんだ」と思う。
 雲

飛行機の窓から見たラサ〜成都の山並み
の地平線の彼方に白く輝く雪山が見える。神々しい山だ。眼下に6000〜7000m級の山並みが続く。4000m以下の山には名前がないという。山の中に小さな青い湖が、そしてそこから川が流れ出しているのが見える。
 「あの湖には誰も行ったことがないだろうなぁ」などと思いつつ、旅行の目的を終えた実感が次第に湧いてくるのを覚えた。後は消化日程である。
 簡単な機内食を食べ、成都へつくとまた昼食が待っていた。この食事攻勢にはいささかげんなりしていた。機内食を食べなければいいのだが、もったいない気がする。食べられないまでも、後で食べようとパンの1個もカバンにしまうが、結局食べられないのである。


成都再び

 往路の成都は、これから待ち受けているチベットでのことが重くのしかかり、気楽な気分で過ごせなかったが、帰りは飛行機から1歩降りただけで実に解放された境地になった。しかし、それと共に気心知れた旅仲間との別れを意識し始めた。
 成都の食事はさすがに洗練されている。もはや高山病の心配もないため、皆よく食べ、よく呑む。ラサとは食べる勢いががぜん違う。「このマーボ豆腐はいまいちだ」などと評する余裕もある。
 昼食後チェックインしてからフリータイムになり、12人で成都動物園に行く。パンダや金糸公などの珍獣がいる。ここで頭角を現したのが弁護士の江上さん。爛々と目を輝かし、「次はこっち、次はあそこ」と暑い動物園の中、我々を引導する。また、動物を見る目が実に満足げで、特にキリンをがよほど気に入ったようだ。我々は彼を「隊長!」と呼び、従った。
 京都の動物園は私の自宅から徒歩で10分ほどのところにもあり、私にとって動物園はあまり行きたいと思うところではないが、童心に戻り楽しんだ。
 夕方いったんホテルに戻り、すぐに夕食を食べに出かけた。マーボ豆腐の元祖に行くという話もあったが、いささか飽きてもいたので、10数人で毛肚火鍋(マォトゥフォクォ)という四川風の鍋の店に行った。中は地元の人でいっぱい。おまけに停電でクーラーが止まっていて蒸しかえるような熱さ。
 鍋は中央で仕切られていて、片方に白湯スープ、もう一方に豆板醤を溶いたような色のスープが張ってある。この好きな方に鳥やカエルなどの肉類、白菜などの野菜類を入れて食べるという趣向のものだった。白湯スープはもちろん美味しいが、辛い方も私には美味かった。油っけはダメだが辛い物は平気な私は、ラサの分を取り返すがごとく相当量食べた。皆、辛さと店内の熱気のため汗だくだ。
 食後、駄菓子屋や百貨店などブラブラ冷やかし、「川劇」というものを劇場のドア越しに見物した。「京劇」に対する「川(四川)劇」であろう。内容は日本軍の弾圧にあう老人と娘のようなストーリーだった。
 以前、寧波の山奥と揚州の街中の小学校を訪れたことがあるが、いずれも中国が日本に戦争でどんなに酷い目にあわされたかという子供たち作成の壁新聞が廊下に張ってあった。
 車や電気製品はほとんど日本製で、技術的先進性では日本を目標にしている中国だが、心の中ではいまだに強く日本を恨んでいるのだろうか? あるいは、為政者が用意した、不満を誤魔化させるためのスケープゴートなのだろうか?

ホテル前の泥棒市

 その後ホテル前の泥棒市のような露店に寄った。
 もう9時を過ぎているのに、30〜40軒の骨董を中心とした露店が電気を煌々とつけている。客はほとんどいないが、道の両側には高級ホテルが建っているので、そこに宿泊している外国人を目当てにしているようだ。
 見て回ると結構面白い。どうせまともな物はないだろうが、そうと承知で、駆け引きを楽しんだ上、旅を語る小道具として買い物をするにはもってこいである。
 気に入った物を手にとって見る。「いくらだ?」と聞くと、「400元!」と露店の主人が値を付ける。どうせ掛け値であることは間違いないから、「100元にしろ」と言う。主人は「200元にしかまからない」と言い張る。「じゃぁ、いらない」とその場を去りかけると、背後から「100元、OK!」と言う。この時、ちょっとでも欲しそうな顔をすると、向こうは足元をみて「200元」と言い張る。
 岸田さんは「欲しい」と、われわれにもわかるように顔に書いてあり、それを中国人が見逃さないはずがない。結構高い買い物をしていたようだ。私など狡いから、欲しい素振りなどおくびにも出さない。それを真似て森永さんが上手に駆け引きをするものだから、皆は彼女を「値切りの姉御」のように茶化した。
   400元を100元で売っても、向こうは十分利益があるのだ。こちらを得をしたような気分にさせて売る彼らは我々よりずっと上手だ。成都でも平均月収は1000元に達しないのだろうから…
 私はこの時、チベットの牧童のラッパのようなものを2つ、大理石の如意、香合仏のようなものをいずれも100元で買った。いずれも下手物である。
 小一時間遊んでホテルに帰った。
 まだ深呼吸するラサの癖が抜けない。