プロローグ

 今年(1997)8月下旬から9月にかけての9日間、私はチベットを旅行する機会を得た。
 わずか9日間。しかも、実際にチベットにいたのは5日弱しかないのにチベットのことを書こうというのも随分乱暴な話だが、自分自身のための記録の意味も込めて書き留めておきたいと思う。

 そもそも私がチベットに行こうと計画したのは、友人である森永さんのご主人の散骨のためだった。

 40歳半ばを待たずにこの世を去った彼は、大学時代、山岳部に所属していた。彼女も登山部に女子部を自ら創るような「つわもの」。2人は山岳部の先輩後輩だった。
 結婚して2人目の子供の妊娠がわかった頃、彼は突然職を辞し、3カ月程ネパールの山々をシェルパを雇って放浪したという。彼女もそれを別に突飛な行動とは受け止めなかったらしい。“山”は2人にとって言葉を超えた存在だったのだろう。
 その彼が亡くなって今年で4年。遺骨の一部は先祖の墓に納めたものの、彼にふさわしいのはチベットの地であろうと、山岳部の同級生でもある菩提寺の住職とも相談し、遺骨の大半は散骨用に保管してあった。
 彼がネパールを放浪していた頃、チベットはまだ門戸を開放しておらず、願っても入国することはできなかったという。
 「子供も大きくなってきたので、今年はチベットに行けるねぇ」、そう2人で話していた年の9月、彼は勤めに出たまま帰らぬ人となった。

 私と彼女は、もともとある学校の教師と学生であった。病院に勤める彼女は、現場での必要性から、ターミナル・ケアを学びに来ていた。皮肉なことに…。私は僧侶の立場での臨床訪問を先駆けて始めた経緯から病院実習を担当し、彼女はその最初の学生だった。後期が始まって間もなく、ご主人は急逝。以降、私は表だっては悲しみを表現しない彼女の「喪の作業」を見守ってきた。また、彼女は私を登山へ引きずり込んだ張本人でもある。

 3回忌も終わった昨年、彼女の心にも散骨の準備ができ、「来年はチベットへ行こう」と、適当な機会を探し始めた。彼女の同期生たちも同行したいと願っていた。

 私にとってチベットは、さほど思い入れのある国ではなかった。仏教の国といっても、密教主体のチベット仏教は、密教が性に合わない私にとって、どちらかというと胡散臭い印象さえある国だった。
 チベット行きが決まり、せっかくだからチベットのことを勉強しようと、河口慧海の『チベット旅行記』(講談社学術文庫)などを読み耽った。河口は、仏教が中国に伝わって土俗信仰と合わさって変形してしまう前の仏教を学びたいと、100年前、鎖国状態のチベットにインドから単身、もちろん徒歩で、チベットに入った僧侶である。
 彼の旅行記には、ラサの街はとにかく汚く、チベット人は不潔で野蛮であるというようなことがこれでもかというほど書かれている。チベット僧のこともあまり好意的には書かれておらず、「現地のことを知れば好きになれるだろう」という私の期待は、それが100年前の情景だということをさっ引いても、ものの見事に外れ、「胡散臭い」という思いは一層強くなるばかりだった。
 というわけで、「散骨さえできればいい」というのが、私のチベット旅行に臨む正直な気持ちだった。

 チベットへ旅立つ直前、知り合いの僧がカイラス山へ徒歩巡礼に行って高山病のために急死したという知らせが舞い込んできた。「厄年だから止めておけ」と忠告してくれる人もあったが、標高6000m超のカイラスならいざ知らず、3600mのラサ程度ではどうっていうことないだろうと思った。
 同行を計画していた彼女の友達も、「高地へ行くのは無理だ」とのドクター・ストップがかかったり、仕事の都合が付かなくなり、結局彼女と私の2人が一般募集のツアーに潜り込んで散骨に旅立つことになった。



8月29日 北京へ

 今までの体験から、中華料理が9日間続くとウンザリするだろうと日本食を大量に持ち、海外旅行用の電熱器を関空で購入して、一路北京へと向かった。
 参加したツアーは、チベット最大の祭「ショートン祭」に照準をあてたもので、秘境ツアーを得意とする東京の「風の旅行社」が主催するものだった。
 チベットへ行くには四川省の成都からラサへ入るコースが最も一般的で、私たちもそうだったが、飛行機の関係でいったん北京へ行くという、「時間もお金も損をしている」と思わせる旅程だった。おまけに関西組は北京まで各自行動。北京について初めてお互いに顔を合わせるという、海外旅行初心者なら不安であろう旅立ちだ。
 同じ便で関空から旅立つのは5人。遅れてきて成都で合流する広島の人が2人。成田から9人とツアコン1人。合計17人のメンバーだった。
 北京へ行くのは初めてだったが、北京の第1印象は、同じ大都会の上海とはまた違った、首都らしい偉容さのある、上海ほど雑然としていない街というものだった。北京へは帰りにも立ち寄ることになるが、日程の関係で天安門広場も故宮へも行けず、ただの通過点だった。



8月30日 成都へ

 成都へむけ約2時間のフライト。到着後、昼食。四川料理の本場だけあってさすがに辛い。でも、食欲をそそる‘気持ちのいい’辛さだ。
 食後、武侯祠(ぶこうし)・杜甫草堂へ。武侯祠は、三国時代の蜀王劉備玄徳と丞相諸葛孔明を祀る廟。杜甫草堂は、杜甫が759年から3年間住んでいた寓居跡に建てられた祠堂。双方ともあまり感激もせず、ただ「暑い、暑い」と言いつつ回った。
 ホテルへ帰り、近くのコンビニへ。売っている物は日本と変わらないが、香辛料などは豊富。明日のラサ入りに備えてミネラルウォーターを買う。
 ホテルで、明日からのチベット滞在中の高山病対策のため、酒・タバコは自粛するようにレクチャーを受ける。また日常の脈拍数を確認。この時は「高山病など大丈夫。ずいぶん脅かすなぁ…」という印象を受けていたが…。