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あこがれの水琴窟

 私が水琴窟(すいきんくつ)について知ったのは、今から15年か20年ほど前、NHKの番組 で紹介されているの見たのが初めてでした。
 「キン・・・・チョロチョロ・・・・・・キン・・・・」と、何とも文字にあらわしがたい幽玄な音が地面の中からかすかに響いてきます。それ以降、水琴窟はブームとなり、今ではあちらこちらで見られるようになりました。
 水琴窟をご存じない方のために。
 洞窟などに行くと、天井などからしみ出てきた水が床の水たまりに落ち、エコーのきいた音を立てます。それを蹲踞(つくばい)の水と壷を使って人工的に再現したものが水琴窟です。能舞台の下にも音の響きをよくするために壷が埋めてあるということを聞きますが、昔の人はすばらしい工夫を自然から学びとったものだと感心します。
 そのテレビを見てから、「いつかは水琴窟を作りたいなあ」と漠然と思うようになり、たまたま見つけた『水琴窟の話』という、水琴窟に関する調査報告兼その制作のテキストのような本を買って時々眺めていました。

 縁というのか、それからほどさほど遠くない日、傷みのひどい昔の隠居所を改築して檀信徒集会所を建てる計画が持ち上がります。
 「庭はどうしよう」ということになりましたが、「予算もないし、庭までは無理だなぁ。私が自分で作りますよ」などと言って、作庭に関する本を読み、「よし、この際水琴窟も作ろう」と計画は頭の中で膨らんでいきました(仏教の本を読んでもなかなか進まないのですが、こういう本は字が向こうから飛び込んできます)。
 しかし、「庭は自分で」と言ったものの、いろいろな本を読むにつれ、作庭の奥の深さを思い知らされ、途方に暮れてしまいました。本に載っているのはモデルケース。その通りしても、私の環境−秋の紅葉や、借景としての三重塔を生かし切れません。一から設計するだけの経験や芸術性はもちろん兼ね備えていませんし、併設した茶室の露地としても使う庭ですから、それなりの約束事もいっぱいあります。
 結局、「後世にも残すものだから、やはり専門家に頼んで、ちゃんとしたものを作ろう」ということになり、庭師に依頼しました。
 しかし、予算の制限がある中での作庭。「水琴窟まで無理だなぁ」と断念していました。原理は蹲踞の下に壷を一つ埋めるだけなのですが、その下拵えが大変なことは以前読んだ本で知っていましたから・・・・。

 庭の工事が進み、少しずつ、少しずつ、形が出来上がってきた頃、「この機会を逃したらいつできるかわからない。自分で穴を掘ってでも作ろうか」という思いが頭をもたげてきました。折も折、「伏見のお寺で作ったそうな」という話が聞こえてきたり、工事の進み具合を見に来た坊さんに、たまたま「あんたとこ、水琴窟作ったらどうや」などと言われたりして、一度“寝った”気持がまた頭をもたげてきました。そして、庭師に、  「水琴窟はできませんやろか?」
 「いやぁ−、お坊さん、あれは結構大変ですよ。私も作ったことありませんし…」
と言われ、「やっぱりなぁ」とその後の言葉を失ってしまいました。
 庭師は人当たりは柔らかいけれど、けれどやはりその道のプロだけあって仕事には厳しい人。その人の一言はズシリと響きます。
 「そう、あれは大変やもんなぁ…大きいい穴掘って壷を埋めなあかんし。壷も調達が大変やし」と心の中でブツブツ言いながら数日が過ぎたある日、親方から
 「お坊さん、やってみましょうか」
と思いがけない言葉。聞いてみると、なんでもちょっと前に庭師さんの組合で水琴窟を作る講習会があり、いつも一緒に仕事に来ている親方の息子がそれに参加して、「いつかは作りたい」と思っていたとか。
 「やってもらえますか!」
と、その時は小踊りしたい気持ちでした。
 しかし、庭師も初めて。庭師さんは講習会のテキストのコピーを、私は例の本を持ち寄って、ああでもない、こうでもないと段取りの相談。結局、壷を埋める穴掘りと蹲踞回り石組みは庭師さんが、地下に埋める壷の段取りとその細工は私が引き受けることになりました。
 たまたま知り合いの茶道具屋がこの話を聞きつけ、「よっしゃ! 信楽で手頃な壷、買って来ちゃる!」これまたトントン拍子。それから数日も経ないうちに、手はずは整いました。
 壷は高さ80センチ程。その口をセメントでふさぎ、逆さにして、水が溜まるようにビニールパイプを10センチほど出しておきます。テキストによると壷の高さの1割程度の水深があるほうがいい音がするとか。反対側の、通常は底の部分に直径2.8センチ程の穴を開けます。ここから壷の中に水が入り、音もここから聞こえて来るわけです。これもテキストによるといろいろやってみた結果2.8センチがベストであったとか。なにしろ、私たちの誰もが作った経験がないのですから、テキストに頼るしかありません。お経をよんでいても、布団に入ってからも、「あれはこうして、こうやって・・・・」と、ついつい作業の手順が頭から離れません。
 しかし、案ずるより産むが安し。作業はごく順調に進み、次は植木屋さんの番。直径1.2メートル程、深さ約1.5メートルの穴を掘って、そこにコンクリート製の井戸枠を埋ける。その中へ壷を入れ、回りを栗石で固め、水鉢などの石を配します。私の作業が正味1日、庭師さんが2日。あれこれ思案し、大騒ぎした割にはあっけない完成です。


この下に水琴窟が。音は悪いですが、視聴してみて下さい。
RealPlayer形式 MediaPlayer形式
 さぁ、待ちに待った“初演”です。
 正直言って、第1印象は“期待はずれ”。テレビで聞いた音はもっと大きく、ハッキリ明瞭。でも、装置の割にその音たるや、車の騒音にあっけなく掻き消される程度で、拡声器時代の今のご時世には全く頼りない感じ。
 しかし、考えてみれば、それもそのはず。テレビは音を増幅して大きくしているのですから。
 テキストには、「4メートルの半径をもって円を描けば、その円周内においては水音を明瞭に伝達することが出来る。但し、庭園の環境が極めて静穏であることが何よりも必要な条件である」と書いてあります。きっと騒音だらけの町の真ん中では聞こえません。そのため、この頃は電気的に増幅したり、それ用の壷と電気の仕掛けをセットにして売っていたりするそうですが、無粋ですね。

 このホームページ用の音声ファイルの録音には苦労しました。「音って、回りにこんなに溢れているのか…」と感心しました。境内で子供が遊ぶ声、バイクや車の音、カラスの啼き声、近くの家の改築の槌音…。何度も録りなおしましたが、うまくいきません。それほど、ささやかな、ガラス細工のような音とでもいいましょうか。
 使った壷の焼き具合が少し柔らかかったため、予想より鈍い音ではありますが、「チ〜ン・・・・ポチョポチョ・・・・ポチャ・・・・」となんともゆかしい音です。

 何はともあれ、念願の水琴窟が完成しました。
よく拝観をしている庭園に水琴窟がある場合、竹筒などが置いてあって、それを耳に付けて水音を聞くようにしてありますが。あれは便宜上。
 水琴窟は茶席におもむく途中の蹲踞にあり、作法に則って口や手をすすぐ時に清浄な心が響く。これが本来の使い方です。水琴窟の仕掛けられた蹲踞の水で手や口をすすぐと、その清らかな音に、心が澄んでいく感じがします。それは、普段私達が忘れているような音です。

 これだけ水琴窟の水音のことを書くと、どんな音かだいたい想像していただけるのではないでしょうか?
 そこで、苦沙彌作「水琴窟瞑想法」をご紹介。

 どこか、リラックスできる場所に横たわって目を閉じ、気持のいい、居心地のいい風景を想像して下さい。緑の草原……お寺境内……大きい水琴窟の壷の中……どこでも結構です。静かな場所。
 体の力を抜いて、ご自分の呼吸に神経を集中します。

 水滴が「ポタリ・・・・ポタリ・・・・」と落ちるのをイメージしてください。
 清らかな音を想像して下さい。
 ご自分のからだの中心にその水滴が、遠い、遠いところから、落ちてくるのを想像して下さい。
 水滴はからだの近くではじけ、体に当たっているのかわかりません。当たっていてもあまり感じません。
 水滴が水面に落ち、波紋が広がっていくのを想像して下さい。鏡のような水面に水滴が落ち、その波紋が広がっていきます。
 からだの上ではじけた水滴が起こした波紋が、体のすみずみまで広がっていくのを想像して下さい。小さな波紋が、からだの中心から、腕から手の先へ、太股から足先へと広がって、抜けていきます。それとともに、体の力も、体の中に溜まっていたような老廃物も、指先や足先から静かに抜けていきます。

 しばらく味わいましょう。寝てしまっても構いません。

 十分味わえたと思ったら、手や足の先を小さく動かします。体の感じを確かめて下さい。手で顔を覆い、両手で顔をこすります。顔が少し暖かくなってきたら、両手で目を覆い、その中で目を開けます。指と指の間から、徐々に光を入れていきます。完全に目が開いたら、静かに、静かに、からだを起こしていってください。

 いかがですか? 「水琴窟瞑想法」。

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