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頭の中は文系なのに機械いじりが高じて、今では龍谷
大学でパソコンを使っての伝道情報の講座を受け持つ。

 真如堂は神楽岡に位置する。創建は永観2(984)年、現在の場所には元禄6(1693)年に再建される。山内8力院の1つ、吉祥院。竹内純照さんは副住職。「生まれた時から運命が決められていた」。幼い頃から厳しくしつけられ、「師匠であり父親」に反発。家を出たい一心で比叡山高校の寮へ逃避。「仏教は絶対イヤ」と同志社大学文学部に進学し美学史を専攻。「大きいものをみると向かっていくタイプ」と学費値上げ、移転問題で学生運動の列へ。ロの中を7針も縫ったこともある。
 「お経を読んで御布施をもろうて何の意味がある。檀家さんに申し訳ない」
 卒業してしばらく自分自身に納得がいかず、苦悩の日々を過ごす。宗教を離れて人の生き死にに係わろうと心理療法のワークショップに通う。後に病院法話、仏教を根底に置いたターミナルケアを実践する団体を全国的に展開するなど、宗教外から宗教の役割と必要性に接近する。
 ボランティア活動を大切にする。神戸はもちろん、重油回収ボランティアでもネットワークをつくった。救援活動で出会った人々の心模様を「みんな自分探しに行っている」という。企業や社会のなかで役に立ったという実感が少なく、何か行動して他人に認められ、自分は大丈夫、役に立つと確認する。しかし「役に立つ自分」が実は錯覚であり、こたえは自分のなかにあると知る。そこで初めて自己との和解が成り立つ。だからボランティアをすることで自己をグレードアップする気持ちよさがあり、癒しの場になっている。そう分析する竹内さんは「私は人と場の縁つなぎ役です」と自分の役割をいい、「お寺に籠もって、お説教してハイさようならでは人の心、喜怒哀楽はわからない。人への救い、下座行することで自分が救われる。そこに一筋の光がみえるはず」。高僧の役割も認めつつ、「市井の坊主」であろうとする。



写真・文 小幡 豊
かもがわ出版『ねっとわーく京都97年5月号』掲載

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