涅槃−ブッダ最後の旅
2月15日は涅槃会(ねはんえ)。 お釈迦さまが亡くなった日です。月遅れでこれをつとめる寺も多く、真如堂では3月15日に行います。
「涅槃」とは、「欲望の炎が吹き消された状態」のことです。当初は、お釈迦さまが35才で到達された境地を単に「涅槃」と呼び、お釈迦さまが亡くなってその肉体も滅した時を「大般(だいはつ)涅槃」と呼んで区別していたそうです。
お釈迦さまは35才で悟られた後、その教えを広めるため、亡くなる直前まで、北インド地方全土を歩いてまわられました。ある時は教えを請う者に説法をされ、またある時は人々の悩みなどを聞くということを倦むことなく続けられたのでした。
ある日、お釈迦さまは死を予感されたのか、また10大弟子といわれるうちの2人(舎利弗・目連)に先立たれたことも手伝ってか、生まれ故郷を目指して最後の旅に出られます。
霊鷲山(りょうじゅせん、ラージャガハの東)から出発してガンジス川を渡り、お釈迦さまが好きだった街ヴェーサーリーへ行かれます。そしてベルーヴァ村で雨期の定住生活に入られた時、「恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が起こった」といいます。それもしばらくして恢復はしますが、ご自身、「私はもう老い朽ち、齢を重ね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は80となった。たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らく私の身体も革紐の助けによってもっているのだ」と言われるほど、老いと衰弱は避けられなかったのです。
そして、「これから3ヶ月過ぎた後に修行完成者は亡くなるだろう」と予期しつつも、最期の教えを説き続けられます。
その後、パーヴァ村で供養に出された料理がもとで血便が出るような症状になられながら、クシナーラの村まで行かれて、「さぁ、アーナンダよ。私のために2本並んだ沙羅の樹の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。私は疲れた。横になりたい」と言って入寂に向かわれます。
今でも死者を北枕にするのはここから由来していますが、インドでは北には楽園があるとされていて、また北枕で右脇を下にして寝るのが当時のインドの教養ある人の習俗だったようです。
お釈迦さまの最後について、『大パリニッバーナ経(大般涅槃経)』には次のように書かれています。
釈尊は、アーナンダにこう告げた。
「恐らく、そなたたちは『師の言葉はもう聞けない。師はもうおられないのだ』と言うかも知れない。しかしそのようにみなしてはならない。
アーナンダよ、そなたたちのために説いた教えと戒律とが、私の死後、そなたたちの師となるのだ。
また、今、そなたたちは互いに『友よ』と呼び合っているが、私の亡き後はその習慣はやめなくてはならない。年長の修行僧は、新参の修行僧を、名または姓を呼んで、あるいは『友よ』と呼びかけてつき合うべきである。新参の修行僧は、年長の修行僧を『尊い方よ』とか、『尊者よ』と呼んでつき合うべきである。
私の死後、修行僧の集いが望むなら、ささいな戒律は廃止してもよい。
アーナンダよ、ひねくれ、戒律を守る気持ちを欠いている修行僧チャンナには、私の死後、<清浄な罰>を加えなさい。<清浄な罰>とは、チャンナは何を言ってもかまわないが、他の修行僧は誰も彼に話しかけず、忠告もせず、教えさとすこともせず、彼を独りにしておくことだ。それが彼を立ち直らせるであろう。
また、修行僧の誰かの心に、ブッダについて、法について、僧団について、道について、あるいは実践について、疑問が生じるかも知れない。もしそういうことがおこりそうならば、今尋ねなさい。後になって、『師の目の前にいながら、師に面と向かって尋ねることをしなかった』と後悔することがないように。」
この言葉に修行僧たちは黙っていました。お釈迦さまは同じことを3度繰り返されましたが、修行僧たちは沈黙したままでした。そこで告げられました。
「修行僧たちよ、お前たちは師を尊敬するがゆえに尋ねないのかも知れない。仲間が仲間に尋ねるようにしなさい。」
このように言われても修行僧たちは黙っていました。そこでアーナンダは尊師にこのように言いました。
「尊師よ、不思議なことです。驚くべきことです。1人の修行僧にも疑い、疑念が起こっていません。」
「アーナンダよ、そなたは清らかな信仰からそのように語る。修行完成者はこのように認識している。《この修行僧の集まりにおいては、1人の修行僧にも疑念が起こっていない。この5百人の修行僧のうちの最後の修行僧でも聖者の流れに入り、堕落から身を守り、至高の智に到達する》と。
さあ、皆にもう一度思い出させよう。一切の事象は衰滅していくものである。心して修行に励みなさい。」
これが釈尊の最後の言葉でした。自分を完成されるという目標に向かって絶え間ない努力を続けなさいという、厳しい教えかも知れません。
紀元前483年、インドの暦ヴァイシャーカ月(4月〜5月)の満月の日のことでした。
この経はお釈迦さまの末期を誇張もなく忠実に伝えています。これを読んでも、お釈迦さまは、信仰を強要したり、自分の正当性を誇張したり、教祖的に大言壮語したりするような方ではなく、ただ「真理」という一条の光に向かって自ら進み、また弟子たちの自覚を促し修行への熱意を奮起させるようなアプローチをされていた方のように思えます。
お釈迦さまの最後の旅、そして臨終から遺骨の分配の様子までかかれたこのお経は、お釈迦さまの教えはもちろん、その人柄やまわりの雰囲気を如実に伝えてくれ、あらためてその偉大さを感じざるを得ません。
『ブッダ最後の旅』として岩波文庫から出版されていますので、ぜひご覧ください。
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