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  草引き療法のすすめ

 ある程度人間をやっていると、たいがいだれでもストレスがたまった時や腹が立ってムシャクシャした時などの気分転換法を身につけるようになる。そして、それを持っていると、パニックに陥りそうになっても、案外安心していられるものだ。
 私の場合のそれは「草引き」である。その効用は大なるものがあるので、自ら「草引き療法」と銘打って人に勧めているが、「やって良かった」という謝辞はいまだ聞かない。確かに良いのだが…。
 この療法の優れたところは、厳寒期と雨の日を除いて、ちょっとした空き地さえあれば何時でもできるという「常時性」、何も技術や道具がいらないとい「簡便性」、金がかからないという「経済性」などの他、多少の運動にもなるし、空気を汚したり廃棄物を出さないなど、枚挙に暇(いとま)がない。また、一見して成果がわかるところからくる達成感や充実感、爽快感も見逃せない。
 例えば、渋茶を飲んで饅頭(まんじゅう)を食べても気分が転換できない時、私は外に出る。
 どこをその時の「施療室」にするかは気分による。苔の間の小さな草をじっくり引くのがよい時もあれば、膝丈以上もある草をただがむしゃらに抜き去るのが良い時もある。
 難しいことは何もない。「気分転験しよう」とか考えるのは決してよくない。また、「何のために?」「引いてどうなる?」などと考えるのは愚の骨頂。ただ草引き三昧(ざんまい)に徹することである。ただ草を引くことに集中してさえいれば、自ずと頭の中は空になっていく。それにまかせればよいのだ。
 この頭の中をいったん空にするというのがすこぶる良い。スカッとして新鮮な感覚や思考が流れ込んでくる。
 先日、私はある看護学絞の体験学習の講師をつとめた。19、20歳の女生徒さんたちに、「今から30時間をあげるから、自然の中を散策してみてください。ひょつとしたら、道ばたの花や木々、石ころや虫などがあなたに話しかけてくるかも知れません。そうしたら、ちょっと立ち止まって、それらとお話してみてください」と説明し、後でどんなことが起こったか聞いてみた。約半数が何らかの形で会話してきたが、「やさしい気分になれた」「今まで見えなかった自分のことが見えてきた」というような感想が多かった。
 草引き療法にしろ、自然との対話にしろ、これは結局いつも「私が…」「俺が…」と自分中心に世界を回そうとしているのを、天の声を聞いて己の分をわきまえ直すということに、その効果の源があるのではないかと思う。
 「忙しい! いそがしい!」と自分を放ったらかしにしないで、たまにはじっくりとつき合ってやることも必要だろう。
 草引き療法、なんなら私の寺のでどうぞ。私も助かります。

京都新聞掲載(94/5/2)