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 鐘に穿たれた穴 − 境内霊譚奇談集V 


鐘の穿たれた2つの穴
 境内と墓地の境目にある鐘楼。妻造り本瓦葺で、元禄年間の建立時には極彩色だったといいます。
 梵鐘は宝暦9年(1759)造営で、直径 約171cm、高さ 約285cm、重さ 約3.1トン。内側一面には鐘を造営するときに寄進した人の名前が彫られています。

 その鐘の下の方に、1.5センチほどの穴が2つ開いているのに気づかれた人はおられないでしょう。

   第2次世界対戦の最中の昭和17年、軍需品の原料として金属回収が始まり、昭和18年には「銅像等の非常回収令」が出されて、寺からも大きいものでは梵鐘や燈籠、擬宝珠、小さいものでも香炉や蝋燭立てなどが供出され、鉄砲の弾になっていきました。
 境内にも、今も上に建っていた燈籠を供出して台座だけとなっている石や、真鍮などの代用品として作られた陶器製の蝋燭立てや香炉を使っているお堂があります。

 この鐘もその対象となって、昭和17年12月、京都府仏教会を通じて供出され、香川県の三菱直島精錬所に運ばれました。
 今も直島には三菱マテリアルの工場があり、日本の金の60%を精錬しているそうです。また、隣の豊島の産廃を処理する施設が作られているそうです。

 戦争が終わった昭和21年、真如堂は京都府仏教会に供出した鐘の調査依頼をしたところ、直島精錬所に収納されたことがわかりました。
 そこで、直島精錬所に鐘が現存しているかどうかの調査を依頼したところ、「昭和18年2月4日、弊所受入未処理のまま残存……但し、含有品位決定試料採取のため鐘の中部にボーリング(径15.6ミリ)を施した以外は、破損箇所なし…」という回答がありました。
 地方長官の承認を得て、引き渡しの時の受領書などを添付して申請すれば引き渡し可能とのことで早速手続きを進め、昭和21年9月30日、鐘は国鉄梅小路駅に到着。10月1日、鐘楼に吊され、15日に復還法要が勤められました。

 この鐘は幸せでした。
 当時、直島精錬所に集められた梵鐘は、大小あわせて1万個以上あったといいます。そのうち、潰されずに済んだのは、370〜380個。錫の含有率が少ない鐘は割りにくいために、後回しにされたのだそうです。
 潰された上に、人を殺すための道具の材料に使われていたら……。

 材質を調べるため開けられた穴は、鐘の下部の2つの他に、肩のあたりにも2つ残っていますが、幸いに鐘の音にはまったく影響なく、今も妙なる音を響かせています。

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