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 鎌倉地蔵 − 境内霊譚奇談集[ 


 歌舞伎などでも知られている「玉藻前たまものまえ」という話があります。
 インドや中国で、美女に変身して皇帝などを虜にして国を傾けさせたりした狐がいました。正体を見破られた妖狐の精は、美人に化けて姿をくらましましたが、千年の後、今度は司馬元修の娘「若藻」という美少女に姿を変えて、遣唐使吉備真備の帰国船に乗り込みました。若藻は博多に上陸すると、たちまち姿を消してしまいました。
 それから、300年余を経た鳥羽天皇の御代、禁裏北面の武士 坂部蔵人行綱の拾い児の「藻」いう美少女が宮中に仕え、たちまち帝を淫酒の虜にしてしまいました。
 皇后に皇子誕生という祝宴の夜、突然一陣の風が灯火をことごとく消してしまいましたが、その時、藻は体から不思議な光をが発して周囲を明るく照らしました。これが帝のお気に召して、藻の名の上に玉の一字を賜り「玉藻前」と名乗るようになりました。
 ところが、寵愛が深まるにつれて帝は病に悩まされて衰える一方。安倍泰親(安倍晴明の五代の孫)に占わせると、御悩みのもとは玉藻前であり、彼女は人間でなくて妖獣であることが判明しました。
 そこで、廷臣たちが泰山府君の祭を行って、帝の名代として玉藻前を清涼殿の斎場に拝礼させたところ、満願の当日、玉藻前は形相は変え、五体を震わせて、金毛九尾の狐となって、たつみの方角に飛び去りました。
 泰親が四色の幣をとって投げると、青い幣が玉藻のあとを追って見えなくなったので、「青色の幣のとどまるところに妖狐は隠れている。幣を見つけた者は都へ届けでよ」とお触れを回した。安保元年(1120)のことでした。
 それから、17年後の保延3年、下野国那須の領主が那須野原に青い幣が落ちているとの報告が都に寄せられました。那須野原は悪狐に荒らされているといいます。
 朝廷は三浦介義明と上総介広常2名の強者に狐退治を命じ、ようやく妖狐を射とめましたが、妖狐の悪念はそのまま凝って石と化し、近くを通る鳥獣はその邪気に当って死んでしまったりしました。人は、その石を「殺生石」と呼んで恐れました。
 朝廷では名ある僧侶を那須野に派遣して殺生石の霊力を封じようとしましたが、みな毒気に当たって死んでしまいました。
 数10年後、後白河天皇の仁安の頃、下野国示現寺の玄翁げんのう和尚(1329〜1400。曹洞宗の僧)が来て祈願をし、石を3度叩いて、「汝元来石頭 性従何来霊従起」と誦して引導を渡したところ、石は2つに割れて白気が立ち昇って西方へ散ったといいます。その後、祟りは起きなくなったそうです。
 「玉藻前」の話は、「酒呑童子」「崇徳上皇(崇徳の大天狗)」と並んで「日本3大悪妖怪」などと言われています。余談ですが、金槌を「げんのう」と呼ぶのは、この「玄翁」に由来するといいます。
 さて、玄翁和尚は、3つに割れた石片の一つで地蔵菩薩を刻み、鎌倉に小さなお堂を建てて祀りました。
 江戸時代の初め、この像を篤く信仰していた甲良豊後守宗廣の夢中にこの地蔵尊が現れ、「私を衆生済度の霊場である真如堂に移しなさい」と告げたといいます。豊後守はそれに従って、地蔵尊を真如堂に遷座しました。
 「鎌倉地蔵」の名は、この尊像が当初鎌倉に安置されていたことに由来します。
 甲良豊後守宗廣は、滋賀県甲良町の出身で代々宮大工の匠家を勤める家に生まれました。吉田神社の造営なども行い、寛永11年、徳川幕府請負奉行の作事方大棟梁に就任して、豪華絢爛たる日光東照宮を完成させました。現在、甲良町には「甲良豊後守宗廣記念館」があります。
 宗廣の墓所は真如堂墓地の奥の井戸の東脇にあります。大事業を成し遂げた人とは思えない小さいお墓で、誰かがいたずらして棹石を井戸に投げ込んだため、今建っているのは新しく作り替えたものです。
 頭が丸くなっている(坊頭形)のは、日光東照宮造営の大任を最後に仏門に帰依されたからでしょう。甲良町には宮大工の大棟梁代々の墓所があったでしょうに、真如堂に墓所を作られたのは、よほど当寺への信仰が篤かったのでしょう。
 那須湯本温泉の「鹿の湯」の西に、山肌がむき出しで草木の生えない谷あいがあります。この奥に「殺生石」がゴロゴロと転がっていて、その回りから硫化水素や亜硫酸ガス、砒素などの有毒ガスが噴出しています。
 芭蕉も、『奥の細道』に「殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す」と記し、「野をよこに 馬牽うまひきむけよ郭公ほととぎす」と詠じています。
 さて、この石の近くを通る鳥や動物、人が死んだのは、果たして有毒ガスが原因だったのでしょうか、妖狐の霊が宿っていたせいだったのでしょうか?
 インド、中国、日本を股に掛け、中国の殷時代から江戸時代までの3千年近くの時間を経る、壮大なストーリーです。その結末が真如堂にあるというのも、ビックリです。
 鎌倉地蔵は、家内安全・福寿・延命などの他、冤罪をを晴らしたり、心の病が治るなどのご利益があるといわれています。

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