清明念持仏 不動明王 − 境内霊譚奇談集U
本堂正面の宮殿の中、ご本尊阿弥陀如来の向かって左側に、不動明王の坐像がお祀りされています。この不動明王は、いまや人気者の陰陽師 安倍晴明が信仰されていた仏さまであるといわれています。
後花園天皇の文安年間(1444-1449)、清明の子孫である安倍有清が、『この不動像は私の先祖の持仏、とりわけ清明が亡くなって閻魔王宮へ行き、命乞いをした時に蘇生させてくださった有り難い仏である。天皇のご命令で子孫に返させてください』と嘆き訴えたため、天皇は勅命を出した。勅命の子細はわからない。 吉日を選んで尊像を迎えに行き、朱唐櫃に納め、真如堂の住職である忠淳僧都と互いに封をして、市中に向かった。 まず禁中でご覧になるとのことで、ただちにお持ちし、封を切って見てみると、不動明王尊像がない。『どうしたのか?』とお尋ねになるが、使節の者はわからないと答えるだけだった。ただ、『初めは重かったけれど、賀茂川あたりから急に軽くなり、変だと思っていたと』言う。あたりの寺や家々に尋ねたけれど、結局わからなかった。 それではと、真如堂の御厨子の中を見てみようと確かめると、不動像が座っておられた。持ち帰る前は本尊の阿弥陀如来と同じ東向きに座っておられたが、今は如来の右に、北向きに座っておられる。以前は手に持っておられた剣を、膝に横たえておられる。 このことを注進したところ、「これは仏さまのご意志であって、凡夫の考えの及ぶところではない。今後は子孫の訴えを永久に退ける」と命じられた。 これは、如来と同じように座して、参詣の人々をいつも加護し、魔難を除き、現世・来世を御利益をせしめようという不動尊の誓いであろう。 不動尊の剣は南無阿弥陀仏の名号と同じく、一声唱えればすべての罪が除かれ、如来の御加護があることははかり知れず、すばらしいことである。真如堂開創の時、蓮華童子が当山の護法として顕れたのも(前段にそういう記述がある)、不動明王の使者である印である。 最初は手に持っておられた剣を膝に置かれたのも何かわけがあるのだろうと、そのままにしておいた。」 縁起には、「清明」と標記されています。
晴明公は、不動尊によって蘇生させられた末、85才の天寿を全うしたということですが、閻魔王のもとに赴いたのはいつのことだったのでしょう、わかりません。 −絵巻画像は、中央公論社刊『清水寺縁起 真如堂縁起』より−
|