飛 騨 国 府 

[]  今日も快晴。コンビニでお茶とおにぎりを買い、駅前から路線バスに乗って約30分、国府町の桜野公園に行きました。
 川沿いの公園に300本の桜が咲く桜野公園は「飛騨八景」の一つとか(残りの7つはどこ?)。ここの桜は、南北朝末期に城主が吉野山から移植したものだそうです。
 平坦な園内には染井吉野や山桜が満開でしたが、日曜日ということもあって、花見のための場所取りをするためのブルーシートが次々と増え、その色が花色に映えて、せっかくの桜色を青くしてしまっていきました。興ざめです。
 それを避けて、公園から少し離れた川沿いの桜並木を歩きました。大きな桜は染井吉野ばかり。南北朝に移植したという桜は、きっとその後すべて染井吉野に取って代わられたのでしょう。
 桜並木の川と反対側には畑を耕す人の姿も見え、公園内とは違う、のんびりほのぼのした光景でした。
 もう一度公園のほうへ引き返しましたが、ベンチはブルーシートの重りに使われ、あまりゆっくり過ごせる雰囲気でもなくなってきたので、またバスに乗って、高山に戻りました。滞在時間より、往復のバスの時間のほうが長かったです。
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  高  山 

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国分寺の本堂と桜
 「国分寺前」でバスを降りると、鴬の声が境内のほうから聞こえてきました。
 声を頼りに境内を進むと、どうやら鴬は本堂の横の大きな杉の木の茂みの中にいるようです。かなり大きな声で、何回も何回も自分の美声を誇るかのように啼いていました。国分寺は街中で、さほど広くも緑が多いわけでもありませんが、こんなによく啼いてくれたら、隣家の人たちは嬉しいことでしょう。

 今年の1月、ボクはこの国分寺でおみくじを引きました。今年初めてのおみくじは「第一番大吉」。その札は今もパソコンの横に貼り付けてあります。札には、「このみくじにあたる人は、いせい強く多くの人に貴ばれる身なれば、この上善根を多く積み、その果報がつきざるようすべし」と記されています。
 おみくじなど年に1度引くことがあるかどうか。そんなボクが大吉札を後生大事に飾っているのもおかしなものですが…「この上善根を多く積み、その果報がつきざるようすべし」 自己暗示のようなものでしょうか。
 国分寺は、高山に来るたびにお参りするお寺です。

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柔らかくて美味しかった「玉田」さんのお餅
 宮川の朝市に行ったのは、もう10時を過ぎていました。朝市はいつになく混雑。今日は日曜日だったのですね。
 胸にバッチを付けた中高年のツアー客がいっぱい。道の真ん中にかたまったりしていて、混雑に拍車を掛けているようでした。初老の男性たちの団体など、何となく高山には似つかわしくないような気もしますが…。
 売っているものは、いつもとあまり変わりませんが、年々観光化されて、おみやげ物が増えてきているようにも思えます。
 醤油味のみたらしを買って、宮川を眺めながら、ひと息。
 多少の土産も買わなければなりませんが、生鮮物は持って帰るのに困るので、餅を買いました。その“餅専門店”には、豆餅、栃餅、あわ餅、きび餅、草餅などいろいろな餅がありました。「すぐに食べられなかったら、冷凍して下さればいいです」と、真空パックしてあるまだやわらかいお餅を、赤い頬っぺのおばあさんが渡してくれました。
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 面白い紙風船のお店を初めて見ました。別に何に使うとうことはなしに、猫風船を買っちゃいました。ミーコがビックリするかな。
 かなり混んでいるし、通りの様子もだいたいわかっているので、半分ほど進んだところで引き返し、三之町をぶらぶら通って、陣屋に行くことにしました。

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三之町の町並み
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飛騨の駄菓子
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塩せんべいを焼く
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大小のさるぼぼ
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街頭のからくり人形
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木版手染めのぬいぐるみ
 古い町並みにはいろいろな店があって、そこを覗き覗きしながら歩きました。大して広くないこの町並みは、何度か来ると、どこに何がある自然と覚えてしまえるほど。それでも、いままで寄ったことのない店もあり、その都度、いろいろな発見もありました。
 狭い町並みに人力車が入ってきて、とても迷惑。この人力車、最近あちこちの観光地に出没しますが、説明はタクシーよりよほど丁寧で正確ながら、勧誘がしつこい、交通の邪魔という点でも各所共通。こんな、人がぞろぞろ歩く町並みに入ってくるなんて!
 さんまち通を越えて、中橋を渡り、陣屋に向かいました。

陣屋の窓越しの椿/うさぎの釘隠
 実は、陣屋の中を拝観するのは初めて。一昨日の夜行った「山っこ」のご主人に、「陣屋もいいですよ」と聞き、行くことにしたのです。
 陣屋とは江戸時代に御代官さまぁーがいた役所ですが、飛騨は豊富な山林資源と金・銀・銅・鉛などの地下資源ゆえに幕府直轄地とされ、この建物は全国に60数カ所あった郡代・代官所の中で、現存する唯一のものだそうです。
 いままでは陣屋前の朝市ばかり見ていましたが、広い陣屋の中を拝観して、飛騨国や高山のいろいろな歴史、当時の武家屋敷の有り様が実によくわかりました。
 建物の中は、釘隠がうさぎの形をしていたり、囲炉裏の自在鉤が小槌の形をしていて、とてもお洒落。もちろん、ここは為政者の館。庶民には手の届かない世界だったのかも知れませんが、江戸時代の人の遊び心を垣間見た気がして、現代に生きる我々よりずっと豊かな気がしました。
 陣屋前の朝市で赤蕪の漬物を買いました。最近は赤蕪も近所のスーパーで売っていますし、朝市で買っても塩辛いことが多いのですが、見ているとついつい欲しくなります。またたびの枝を売っていたので、これでミーコを誘き寄せて捕まえられるかとも考えたのですが…やめました。


ボケていてよくわからないラーメン
 お昼は高山ラーメン。高山に来たら、ラーメンは外すことはできません。今回もまた違う店に行ってみようと思っていました。
 高山では「ラーメン」といわずに「中華そば」。店の数も、いわゆる蕎麦屋より中華そばの店が圧倒的に多く、年越し蕎麦に「中華そば」を食べる人が多いとか。なぜ、高山でラーメン(中華そば)なのか、不思議ですね。
 11時過ぎ、開店してしばらく経った朝日町の「つづみそば」に行ったところ、先に一組待っている客がいました。その後についてしばらく待ってから、カウンターに招かれました。カウンターは調理しているのを見るには好都合です。
 家族4人で切り盛りされているようで、若主人が数食分の縮れ麺を手で揉み直してから茹でています。そして、平ざるで湯切りしながら大盛り、並盛りをてきぱきと鉢に入れ、チャーシューとメンマ、ネギなどをトッピング。あらかじめ味がついたスープ注ぎます。若奥さんとの共同作業です。
 透明で癖のない醤油味。あっさり美味しかったです。今までで食べた高山ラーメンの中で一番好きな味かも。
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 食後の散歩に宮川畔をぶらぶら歩いて、桜山八幡宮の表参道へ。途中、桜や秋海棠が咲いていました。
 「桜山八幡宮」というぐらいだから、少しばかりの桜があるだろうと思っていましたが、まったく見えず。高山祭の屋台が展示陳列してある「屋台会館」へはもう何度も行っているのでパスして、駅への道を戻りました。
 駅前の店で「飛騨高山麦酒」を求めました。高山麦酒は最近どこにでもある奇をてらった地ビールとは違い、苦くて濃厚な味わいのするビールです。ラーメンと同じく、高山に来たからにはこれを外すわけにはいきません。5〜6種類ほどあって、値段もレギュラー缶で500円ほどしますが、ボクには納得の価格です。


  帰 路 へ 

 13:38発 ひだ10号。帰るには少し早いですが、今回の旅はもう充分満喫して、思い残すことはありません。素晴らしい快晴の3日間でした。
 車中、塩せんべいをかじりながら、高山麦酒を呑み、ついでに地酒もいただいて、すっかり夢心地の中、はや名古屋駅。
 最後の儀式、新幹線ホームで かき揚げ入りきし麺を奮発して、今回の旅を締めくくりました。

 今回の旅、なんといっても印象に残るのは、荘川と宮村の桜の古木です。
 人の人生はかつて50年と言われました。何世代にもわたる人々があの桜を愛で、多くの人があの桜の前を去就していったでしょう。いや、逆かもしれません。あの桜が、世代もの人を見つめ続けてきたのです。
 人の一生なんて、あの桜からみると、本当に短くちっぽけなものでしょう。それにもかかわらず、お互いの我執をぶつかり合わせ、思いのままにならぬと呻吟しているのが、我々の姿かも知れません。
 あの桜は、「大道を見よ」と無言のままに行く手を示してくれている、そんな気もするのでした。
2004/4/18