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2018年6月の日記

失せ物、出づる
 今日は初七日。
 亡くなった日を1日目と数え、7日目を初七日と計算しますが、京都ではその前夜に「逮夜法要」を営むのが主流です。

 その計算方法でいくと、金曜日毎がお逮夜になるのですが、真如堂一山のん都合が合わないので、今夕にすることになりました。

 弔問者が多いので、一日中エアコンを入れていましたが、夕方近くなって、中二階のエアコンの本体から、下の部屋の畳にボタボタと漏水がありました。えらいこっちゃ!

 すぐに、跳ね上げ式の天井板を開けて脚立で登って見ると、どうもドレンポンプから排水管に伸びるパイプが外れている感じ。断熱材を剥がして見ると、予想通りでした。ドレンポンプの故障ならどうしようもありませんが、これならパイプを接合し直してやれば直るはず。OK! 15分ほどで直りました。

 実は、その時に‘大発見’があったのです。

 前住職は、長年に渡って保護司や民生児童委員を務めた功績によって、藍綬褒章と勲五等双光旭日章を受賞しました。受賞の度に発起人が集まってパーティーを開くことになったのですが、ボクはそういうことが大嫌いなので賛成しませんでした。しかし、「地域の役でもらったのだから、皆さんに披露しないわけにはいかない」と開き、ボクも渋々参加しました。

 昨年末、お葬式の準備を進める中で、「あれだけ言っていた褒賞と勲章だし、地域の方々もたくさん来てくださるのだから、飾ってあげなきゃ」と思って探しました。勲章はすぐに見つかったのですが、褒賞は見つかりませんでした。大きな箱に入っているので、見つからないはずがないのですが、この半年間、何度も、あちこと探したものの、どこへ行ったのかわかりませんでした。

 その褒賞が、跳ね上げ式の天井を開けて、漏水を直すためにもう一度閉めたところにあったのです。普通に上がっていたのでは、開けた天井板の影になって見えませんでした。

 大きな箱に「褒賞」と書いてある字が見えた時には、「これは・・・ここにあると、漏水を使って教えてくれたに違いない」と思いました。普段はそういう考え方はしないのですが・・・。

 漏水を直し、褒賞の入った大きな額を降ろして、ちょっと不格好ですが、勲章の下に飾りました。

 それからしばらくして初七日。一山の人たちの多くはその2回のパーティーに出てくれていますし、葬儀の時にも「見つからない」という話をしていたので、「それは教えてくれたんだ」ということで一致しました。

 見つからなくてモヤモヤしていた気持ちが、これでスッキリしました!

〜 勲章と褒賞 〜

2018年6月30日(土)  No.5474

不安定な空模様
 朝、葬儀の導師を勤めてくださった三千院門跡の御門主にお礼の御挨拶に伺いました。
 雨の三千院は人もまばら。道すがら、山に霧がかかり、収穫した赤紫蘇が積んであったりと、とても綺麗でした。

 雨は断続的に強くなり、薄日が差してきたと思っていたらまた急に強く降ったりで、大変不安定でした。

 夕方6時前頃には風雨が強くなって、窓から雨が降り込んできました。前住職の祭壇を安置した部屋は、たくさんの花の香りでむせ返るような感じになるため、窓が全開してあったのですが、急な雨で畳まで濡れてしまいました。

 そんな天気のせいか、京は弔問客はなし。お花などが届くくらいでした。

 今日も暇を惜しんで弔問してくださった方のリスト作り。半分くらいは郵便番号が書いてないので、まずはそれを調べるところから。受付が区分してあっても、弔問の方はその通りには記帳されていないので、どういう関係の方かまったくわからない人も多数。困った、困った。

 残っていたお盆の水塔婆書きを弟子に回して、ひたすら入力あるのみです。

〜 自坊の栴檀葉の菩提樹 〜
2018年6月29日(金)  No.5473

後始末
 午前中は、引っ切りなしにお参りの方が来てくださいました。墓参にも滅多に来られない方、「どなただろうと?」とお顔も忘れるぐらいの方なども来てくださいました。
 亡くなってから葬儀までの日数が短かかったので、知った時には遅かったという方や留守にしていたという方もおられました。

 通夜や葬儀に参列してくださっった方の大半は、吉祥院関係や前住職の個人的なお付き合いの方なので、こちらが整理した方がよくわかりますし早いので、芳名簿を借りてきて、こちらでリスト作りをすることにしました。兎に角、会葬御礼を、早く出したいのです。

 お参りにきてださる方の間に作業をするので、なかなか進みません。また、芳名簿は不完全な記述が多く、調べながらの作業。前住職とお付き合いのあった方などは、地域の役をされている方なのか、個人的な関係なのか、学校の同窓生なのか、よくわかりません。なかなか大変な作業です。

 寝るまでやっていたら、入力する手が痛くなってきました。ここは踏ん張りどころ。明日中にできるかなぁ・・。

〜 玄関に置いた半夏生 〜
2018年6月28日(木)  No.5472

葬儀
 今日もお天気は心配なさそう。気温も昨日よりは低く、湿度はかなり高かったですが、風があったのでまだ過ごしやすかったです。

 今日は葬儀。親交のあった三千院御門主に御導師をお務めいただきました。1時間半の式で、式次第の関係で最初は焼香をしていただけないため、早く起こしくださった方にはずいぶん長い間お待ちいただきました。

 昨日の通夜に引き続いてきてくださった方も多く、普段は墓参にも来られないような方が来てくださったり、両脇を支えられながらも御焼香をしてくださったりと、大変有り難かったです。また、地域の方がたくさんお参りしてくださって、前住職が長年にわたって保護司、民生委員、老人福祉委員、行政相談員、社会福祉協議会委員、社会福祉施設の役員などに微力ながら尽くしてきたことが、改めてわかりました。

 最後のお別れで、棺は菊の花でいっぱいになりました。菊は、前住職が長年に渡って育て、毎年皆さん方に見て楽しんで貰っていた花です。

 棺は本堂の正面から出て参道を進み、途中で北に折れた元三大師堂前に駐まっている、白木造りの「宮型」の霊柩車に乗せられました。今ではほとんど見ることがなくなった形です。多くの方が見送ってくださいました。

 檀家さんの葬儀の時はハイヤーの後席に座りますが、今日は位牌を持って助手席に座りました。初めてです。

 炉前で真如堂一臈に最後の回向をしていただいて、炉に収めました。
 待合室に入るのも初めて。約1時間で火葬が終わり、収骨をしましたが、足や手の骨はがっしりとしていたものの、背骨や頸椎などはかなり崩れていました。痛かっただろうと思います。
 ほぼすべての遺骨を骨壺に収め、自坊に向かいました。

 自坊の祭壇に安置して、すぐに真如堂一山による灰葬回向。終わって、親族だけで直会をして、今日の予定のすべてを終えました。いろいろありましたが、何とか無事に終わってホッとしています。

 ずいぶん前から覚悟をしていましたし、これでようやく心身共に苦痛から解放されてよかったと思えるので、今は悲しみはありません。これからしみじみとそういう気持ちが湧いてくるのでしょうね。

〜 真如堂入り口の「山門不幸」の札 〜

2018年6月27日(水)  No.5471

通夜
 「通夜や葬儀に来られないので」という方などが、弔問に来てくださいました。遠方の方、先日「母の三回忌を忘れていました」とTシャツ姿で慌てて来られた方は、仕事を早退きしてブラックスーツで来てくださいました。

 3時半に棺を本堂に移しました。ボクと弟子が先導して、車に同乗し、本堂前からは葬儀社の方が6〜7人で担いで、本堂の祭壇に安置してくださいました。

 式場には、保護司を長年勤めたことでいただいた勲章を飾っていただきました。勲章の前に民生委員を長く勤めたことで褒賞をいただき、地域の方が大々的に祝賀会をひらいていただいたのですが、家のどこを探しても見当たらず、飾ってあげることができませんでした。申し訳ないです。

 受付などのお手伝いの方々の説明会で御挨拶だけして、受付テント前で待機。5時から受付スタート。皆さん慣れないことなので心配でしたが、次第にうまく流れていったようです。
 今回、ボクは「遺族」なので、「お願いしてやっていただいている」という立場。いろいろ大変そうですが、お任せするしかありません。

 6時から通夜。最初は参列者が少なかったですが、次第に増えて、本堂前のテントもほぼ埋まっていました。
 檀家の方、前住職が携わっていた地域活動関係の方、知人など、いろいろな方が来てくださいました。6割程度はお名前がわかりましたが、おそらく初対面という方もおられました。歩くのさえ大変で、どのようにして来てくださったのだろう、帰りは大丈夫なのだろうかという方もおられました。

 約1時間の予定でお勤めは終わり、式場には葬儀社の方と明日の準備をする僧侶だけとなりましたが、一人、またひとりとお参りにお越しくださって、結局、7時半過ぎまで立礼をしていました。

 「通夜振る舞い」はなく、自坊に戻って普通に食事。体調は大丈夫。さぁ、明日は長いぞぉ。気力だぁ!

〜 本堂の祭壇 〜
2018年6月26日(火)  No.5470

葬儀の準備
 9時から、主立ったメンバーで葬儀の打ち合わせ。葬儀は本堂で執り行われるのですが、準備の時間がぎりぎりで、何もかもが大急ぎ。行き当たりばったりのことも多くなりそうです。

 お寺関係、檀家の方、親戚など、たくさんの方が弔問に来てくださいました。何も知らずに墓参に来られお参りしてくださった方や日を間違ってお越しになった方もおられました。

 夕方、納棺。入院中に伸びていた髪の毛を、バリカンと剃刀で綺麗にしてあげました。正式な装束を着けると、坊さんらしい、前住職にお似合いの格好になりました。

 檀家さんの葬儀は今まで数百件経験してきましたが、家族の葬儀は祖母以来20数年ぶり。前住職もよく知っている葬儀社の方が、てきぱきかつ丁寧に、着替えなどをさせてくださいました。

 7時から、真如堂全僧侶による会議。人員配置を決めたり、いろいろ修正点などがありました。ん〜、大丈夫かなぁ。ご参列いただく方に失礼がないよう念じるばかりです。

 気が張っているのか、嘘のように疲れは感じません。それが逆に危ないかも・・・。

〜 薄暗い中、葬儀の準備が続く本堂 〜
2018年6月25日(月)  No.5469

前住職の遷化
 2座目の法事を終えて、参列をされた方々と故人についてお話をしている時、急な連絡が入りました。

 前住職は昨年の暮れに心不全を起こして救急搬送され、その後2回転院していましたが、その病院から危篤の連絡が入ったのです。

 墓前回向を弟子に頼んで、30分ほど離れた病院に駆けつけると、容体は少し持ち直していました。でも、肩で息をしているので、もうあまり長くはないだろうとも思いました。先日ご葬儀をされた方が、肩で息をするようになった時に、主治医に「この状態になったら、もう長くないです」と言われたと聞いていましたので。

 いったん自坊に戻り、いろいろな準備を始めていたら、また病院から電話。呼吸が止まりかけているということでした。直ぐに駆けつけましたが、間に合いませんでした。当直医がボクの到着を待って、「15時38分です」と死亡診断されました。

 清拭をして貰っている間に、寝台車の手配や関係先へ連絡。やがて、自坊に戻りました。準備はすべてできていたので、そのまますぐに弔問を受けました。

 前住職は真如堂の貫主を勤めていたので、葬儀は真如堂が執り行います。それから主立った者で打ち合わせをして、関係先に連絡をしたりして自坊に戻りました。

 最後の弔問者が来てくださったのが10時過ぎ。それからもいろいろな準備をして・・・大きな葬儀なのに、通夜葬儀までの時間がないので、ちょっと大変です。

 病院にいる時は苦しそうな顔をしていた前住職ですが、自坊に戻って、安らかな顔になりました。早く極楽に連れて行ってもらってください。

〜 早朝には紫陽花の剪定をしていたのですが・・・ 〜
2018年6月24日(日)  No.5468

 雨雲が近付いているので、バイクを止めて車で月参りに行きましたが、11時前に帰って来るまでは降らず。雨雲はどこへいったのでしょう?

 11時からの法事を終えて、墓前回向へ行く時には雨が本降りになっていました。雨は4時前まで降り続きました。

 雨で外には出られないので、空いている時間は塔婆書き。ちょっと書いては気が散ってしまって、あまり進みませんでした。

 雨で紫陽花が倒れていないか心配です。

〜 雨粒ののった蓮の葉 〜
2018年6月23日(土)  No.5467

今朝も紫陽花の剪定
 朝7時半から紫陽花の剪定。気温は高くはなかったのですが、結構湿度があって、爽やかな気候とは言い難かったです。

 今日は紫陽花園には次々と人が訪れてくださいました。散歩のというという人もあれば、写真を撮りに来たり、わざわざ紫陽花を見に来てくださった方もおられました。

 最初のうちは剪定の没頭できたのですが、9時頃からは、「紫陽花が咲かない」という園芸相談、剪定方法をお教えしたり、挿し穂が欲しいという人に枝を切ってあげたりと、作業は停滞気味。でも、皆さん喜んでくださってよかったです。

 山紫陽花などの剪定が一段落したので、11時過ぎに作業を終えて自坊に戻りました。その際、「この品種を増やしたいなぁ」と思った枝を持ち帰り、帰ってすぐに挿し木しました。いつでも挿し木ができるようにと、床は常備してあるので、パパッとできました。

 紫陽花の剪定は、まだ緒に就いたばかり。これからは時間を作っては紫陽花園に行くことが多くなります。

〜 見頃の紫陽花園 〜
2018年6月22日(金)  No.5466

山紫陽花の剪定
 午後から、山紫陽花の剪定を始めました。今年も長〜い剪定シーズンの始まりです。

 山紫陽花なので、花も小さくて茎も細目です。100均で買った先の尖った鋏で、細かく剪定しました。

 剪定しながら、「こんなやり方で、来年も咲いてくれるのかなぁ・・・」と、正直なところ自信はありません。本やネットで剪定方法を調べても、書いてある通りにはいきません。花を咲かせたいのなら、剪定しないのが一番と書いてありますが、伸びすぎたり混みすぎたりした枝がいっぱいあるので、そんなわけにはいきません。でもまぁ、今までやってきた方法で咲いているのですから・・・。

 剪定をしていると、紫陽花のことについていろいろと聞かれます。土壌の酸・アルカリと花の色について、山紫陽花と‘普通’の紫陽花の違い、一枝欲しいという方や挿し木の方法のついてなど。

 挿し木したいので、剪定した枝を欲しいと仰るので、「お近くですか?」と尋ねると、「東京です。明日、帰ります」とのこと。「ちょっと厳しいですが・・」と前置きした上で、挿し木方法をお伝えしました。

 今日、剪定できた山紫陽花は20本ぐらいかなぁ〜 半分くらい。‘普通’の紫陽花で要剪定のものが400〜500本はあるのでしょうか・・・。先が長くて、頭がクラクラしてきそうです。

〜 山紫陽花に埋もれて剪定作業 〜
2018年6月21日(木)  No.5465

点検
 明け方から雨が強くなり、8時頃には一時的にかなり強く降りました。

 「こういう時には、樋や排水の具合を点検しておかなければ」と長靴を履いて、建物の周りを一回り。樋は異常なし。所々で排水口に葉っぱが集まって水の流れが悪くなっていたので、取り除きました。

 門前の溝が溢れていました。観察すると、その先で流れが悪くなっている様子。排水枡の蓋を取ると、一気に水があふれ出てきました。濁った水の中に手を突っ込んでみると、パイプが葉っぱの固まりで塞がっているしまっているようでした。それを3回ほどつかんで捨てると、「ゴォー」という音を立てて一気に水が引いていきました。わずか直径10センチほどの排水管なのに、その音と勢いに「恐い」と感じました。

 結局、一日中、雨は降ったり止んだりでした。これから梅雨も本格化します。晴れたら、また点検をしておかなければ。

〜 重たそうな柏葉アジサイの花 〜
2018年6月20日(水)  No.5464

うまくはかどる
 今日は雨だろうと諦めていましたが、夜まで降らず。土木作業をしているので「まぁ、いいか」と休んでいた朝のウォーキングに3日ぶりに行きました。

 「今日は咲いているだろうなぁ」と期待していた隣寺の蓮が3輪も咲いていました。蓮の花は、いつ見てもいいですねぇ。気持ちが洗われる思いがします。

 折角晴れたので、定植作業をしていた門前の紫陽花のところの掃除をしました。60〜70株ほど?の紫陽花を植え、作業はほぼ完了しました。まだ小さい株ばかりですが、数年後には綺麗になるでしょう。以前のつつじの庭よりも、ずいぶん明るく綺麗になった気がします。

 また、わかる範囲で品種名の小さな札を付けました。個別の品種名のわからないものは、「白 てまり」「洋額 紫」などと形と色を書いたり、寄贈していただいた方の名前を書いたりしました。これで、ボク自身にはわかります。

 ちょうど小雨もパラついてきたので、作業を終え、塔婆書きに移りました。次の土日の法事の塔婆を書かないと・・・。

 ここ数日、お天気と作業のリズムが合致していて、予想以上に作業が捗りました。よかったぁ〜

〜 西雲院の蓮 〜
2018年6月19日(火)  No.5463

大阪の地震
 朝、自室にいる時に地震。普通の地震よりはちょっと強いなぁと思いました。揺れが収まる頃に、携帯の緊急地震速報が入りました。
 今まで経験した一番強い地震は阪神淡路大震災でしたが、その時と比べると、そんなに強くない感じでした。

 次々と情報が入ってきて、テレビでは京都府南部は震度5+と表示されていましたが、気象庁の地震情報で調べると、左京区のこの辺りは震度4でした。体感的にもその程度でした。

 1時間ほどして、バイクで月参りに行きましたが、JRも私鉄もすべて止まっている中、叡山電車が普通に走っているのは、ちょっと違和感がありました(地震発生直後は止まっていたようですが)。でも、路線からいうと、それほど強く揺れたところを走っていないので、当たり前かな。

 境内では何も被害はないと思っていましたが、本坊の土塀の瓦の棟が崩れたということを聞きました。かなり傷んでいて、何度か自分で応急処置をしましたが、いつ崩れてもおかしくない状態だったので、「そりゃそうだろうなぁ」という感じでした。

 その後は、テレビを見る度に被害の大きさがわかってきました。震源地に近い檀家さんに電話してみましたが、「うちは全く被害がありません。断水もしていませんし」とのこと。淀川を挟んだ枚方市の方は「阪神大震災よりもひどい状態」仰いました。テレビに出ている地域の震度だけではわからないものですね。

 今日は雨になると思っていましたが、夜明け頃に少し降っただけで、お天気は悪くありませんでした。得をした気分で、紫陽花を15株ほど植えました。これでほぼ完了。後は‘仕上げ’です。

 時々、余震がありました。この辺りは「京都府南部」ですが、テレビのテロップに出る震度情報は、体感よりも1〜2強い感じで、気象庁の細かい震度情報のほうが体感に合致します。テロップの情報は「京都府南部」で一番強かった震度が表示されるのでしょうか?

 夜8時から枕経。お昼過ぎに亡くなったのですが、新幹線の運転を見合わせや遅延の影響を受けた横浜在住のご子息たちの到着を待って勤めました。

 時々、余震がありました。

〜 たぬきの仕業 〜
2018年6月18日(月)  No.5462

バタバタでした
 朝、門の中を掃除をしていると、男性が慌ててやって来られました。「和尚さん、えらいことに・・・」と堰を切ったかのように仰るので、話を聞いてみると、御母様の法事を忘れていたとのこと。もっと大変なことを考えていたので、ホッとしました。

 亡きご両親が海岸を歩いている夢を見たので、どうしてだろうと考えてみると、今月初めに御母様の法事が当たっていた。命日は覚えていたのに・・・。とにかく、法事の日程の相談をしようと飛んで来たとのことでした。

 50才ぐらいの独身男性ですが、お勤めをしながら、寝たきりのお母さんの自宅介護を、誠心誠意されていました。今年が3回忌。やるだけやられて、気が抜けたのでしょう。

 「また改めてというと大変でしょうし、参列はお一人だけですよね? 折角ですから、今からお墓でお勤めしましょう」「こんな格好ですが、よろしいですか?」「塔婆とかを書いて、すぐお墓に行きますので、掃除をしていてください」と会話をして、墓前回向。「あー、これでスゥッとしましたわ。お布施も何も持ってきてないのですが・・・」「お布施はお盆でいいですよ。少しでいいですよ」とお別れしました。

 お墓から戻ってすぐにお約束をしていた法事が続けて2座。来客もあって、お昼を食べ終わったのは2時半でした。

 「今からだったら少しでも作業ができるなぁ・・・明日は雨だし・・・」と、また紫陽花の定植作業。10株弱を植え、これでほぼ一通りの形になりました。やれやれ。

〜 毎日、「これは何ですか?」と聞かれる銀杏の実 〜
2018年6月17日(日)  No.5461

やめられない、止まらない
 「今日は庭仕事はやめておこう」と思っていましたが・・・法事を終えた2時前から、またやってしまいました。「たまにはじっとしている」ということを、学習しないといけません。今さら遅すぎ?

 今日も10株ほど紫陽花を植え付け、かなり‘形’になってきました。

 参道の方を向いていると質問をされたりして作業が捗らないので、できるだけ手元だけをみて、黙々と作業しています。

 それでも、お顔見知りの方は「ここにも紫陽花を植えられるのですか? 来年が楽しみです」などと、声を掛けてくださいます。綺麗になるのは3〜4年先。自坊の前で目も届くので、だんだんよくなっていくでしょうね。

 明日は雨かなぁ〜 雨が降って、物理的に作業できない状態にならないと、作業が止まりません。ちょっと、雨が降って欲しいですねぇ。くたびれました。

〜 黒谷・西雲院の合歓の花 〜
2018年6月16日(土)  No.5460

紫陽花園、増強へ
 香淳皇后(昭和天皇皇后)のご命日の法要に出仕するために、東山の門跡寺に伺いました。ご命日は明日ですが、土曜日になるので、お役所の関係で繰り上げとなりました。

 最近は座次の関係で‘ソロ’パートが当たるようになり、今日も法要の最後に出番が回ってきました。難しい節ではありませんが、緊張すると喉がこわばるので、「リラックス、リラックス」と言い聞かせながら唱えました。その甲斐あって、今日は及第点です。

 雨が降ったり止んだりの中、「今日の散歩道」の写真を撮りに境内へ。

 紫陽花園で、毎日散歩をされているご夫婦に会うと、「去年は剪定されませんでしたね。何かあったのですか?」と痛いところを突かれてしまいました。おっしゃる通り、去年は剪定の手を少し抜いたので、今年の紫陽花はひょろっと背が高くなってしまいました。
 ご夫婦は、ボクが剪定しているところに通りがかって、「これ、いただけませんか?」と挿し穂を持って帰られることがよくありましたが、去年はそれができなかったのでしょう。

 今年はちゃんとやります! ちゃんとやる以上に、もっと充実したものにしたいと思って来ました。紫陽花の新しい品種が欲しいです。プレゼントで貰われた紫陽花の鉢植えなどで、取り扱いにお困りのものがあれば、ぜひお譲りください!

〜 宝蔵裏の紫陽花園 〜
2018年6月15日(金)  No.5459

1日中、庭仕事
 今日は1日中、庭仕事。「14日は、丸一日、作業ができるぞ」と、数日前から意気込んでいました。天気も良くて、絶好の作業日和!

 でも、連日の作業で、ちょっと疲労が溜まってきました。明日から3日間は、法事などの都合で作業は‘お休み’するので、今日は気力で乗り切りました。

 今日も、境内にお越しになる方が平素よりも多かったです。どこへ行かれるのかは見ていませんが、特別拝観などをやっているわけでもなし。沙羅の花か紫陽花しかないので・・・紫陽花でしょうか。

 作業をしていると、よく声を掛けられます。道を尋ねられたり、「ちょっと植木屋さん」と、紫陽花の育て方を聞かれたり。中高年の女性ばかりです。

 明日は雨。植え替えた紫陽花のためにも、ちょうどいい雨になりそうです。

〜 きれいやなぁ〜 〜
2018年6月14日(木)  No.5458

ラジオ効果
 梅雨とは思えないような爽やかな気候。湿度が低かったというよりも、気温が5月中旬並みだったからでしょう。

 朝の地元ラジオの人気番組のトークの中で、紫陽花が綺麗なところの一つに、真如堂の名前も出てきて、「真如堂もですか?」「本堂の裏側が綺麗ですよ」というような会話が交わされていました。

 その効果か、今日は紫陽花園を目指してお越しになる方が結構おられました。紫陽花園はどこかにあるのかと尋ねられたので、「沙羅の花はもうご覧になりましたか?」と聞いてみても、「沙羅って?」とぜんぜん関心なさげに仰る方もおられました。紫陽花が目当てなのですね。

 すごい効果ですねぇ。ちょっと有名になってきたみたい。でも、ボクの目からはまだまだ。改善点がいっぱいです。

 今日も午後から庭仕事。バックヤードで育てていた紫陽花の移植作業を進めました。

 30年来、ほとんど景色の変わらなかった場所が、わずか4日ほどで大きく模様替え。植え替えた紫陽花が立派に生長するまでには、4〜5年はかかるでしょうねぇ。

 今月中には模様替え作業を完了させて、お盆の準備に勤しまないと・・・。紫陽花園の花後の剪定作業もしなければいけませんし。

〜 紫陽花の移植が進みました 〜
2018年6月13日(水)  No.5457

‘儲けもん’の1日
 早朝、弱い雨が降っていました。今日は月参りも法事もないので、外作業をしようと思っていたのですが・・・「1日中、塔婆書きかなぁ」と、ちょっとがっかり。

 しばらくして雨は上がったので、取りあえず外作業にかかりました。降ったら止めればいいのですし。ただ、雨で草木も地面も濡れていたので、合羽のズボンを履きました。

 幸い、雨は大丈夫そうです。でも、ズボンはずぶ濡れ。雨で濡れるか、汗で濡れるかの違いだけです。合羽のズボンを脱いで作業を続け、10時の休憩。その間に汗で冷えてしまいました。

 午後も雨は大丈夫。それどころか、夕方には晴れも間も出てきました。お陰で作業はかなり進み、つつじを3株植え替え、3株処分し、山紫陽花も10数株を植え替えました。切ったり剪定したりしたつつじの枝は、粉砕機でチップに。今日は雨も降らず、予想以上に作業が進んだ‘儲けもん’の1日でした。

 夜、塔婆書きをしようと思いましたが、握力を使いすぎて、筆が持てそうにないので、ヤメ。たまには、ボーッと過ごそうっと!

〜 最後は粉砕機の出番 〜
2018年6月12日(火)  No.5456

降ったり止んだり
 梅雨らしいお天気で、雨が降ったり止んだり。建物から外へ出ると、ムッとするような感じ。建物内のほうがヒンヤリしていました。

 午後からご葬儀。阪急電車に乗って行きました。車で行くと、渋滞や事故などで遅れないかと着くまで安心できませんが、電車は気が楽です。

 今日のお葬式は92才の方でしたが、お友達も多くは亡くなっているか、ご存命でも参列できない状態になっておられるため、思っていたよりもお参りは少なかったです。

 葬儀を終え、京都市営の火葬場で炉前の回向をして、いったん自坊へ。時間を見計らって、今度は自分の車で、また向日市の式場まで還骨回向と初七日のお勤めに行きました。今日は2往復の移動に3時間ほど掛かりました。

 帰りは雨が本降り。雨の夜の日は見えにくくなりました。慎重に慎重に・・・。何歳になったら運転免許証を返納しようかと、最近は真剣に考えます。

〜 白花の紫露草 〜
2018年6月11日(月)  No.5455

なぎなたの先生
 今日は小雨が降ったり止んだりだったので、つつじの植え替えの続きをしました。でも、濡れた土が靴底にくっついて、靴がだんだん重たくなってくる始末。植え替えは1株だけにして、後は入らない草木の撤去作業をしました。

 雨は夜になって本降りになりました。

 京都市の南西の向日市で、92才のおばあちゃんのお通夜。

 8日がおじいさんの七回忌だったのですが、自宅介護をされていたおばあちゃんの体調が思わしくないということで、ご子息一人だけが寺に参列されて法事を行い、お嫁さんは自宅でおばあちゃんに付き添われました。

 翌9日の朝5時過ぎ、とろみを付けたポカリを1口飲んで、肩で大きく息を吸って亡くなったそうです。

 おじいさんの七回忌のことはよくわかっておられて、法事の前日には自分の唇に付けた指をおじいさんの写真に当てて、ニコッとしておられたそうです。

 4人姉妹の末っ子で、共に婦警で薙刀の先生。とても、ピリッとした方でしたが、お茶目。40年来ずっと、お目に掛かった時には決まって両手で握手をしてくださいました。

 お通夜は最近では珍しく一般会葬も受け付けられ、薙刀の弟子などが参列されました。式場には、4人姉妹そろって婦警の制服を着ておられる写真や薙刀の型をされている写真などが飾られていました。

 ご冥福をお祈りします。

〜 雨の紫陽花園 〜
2018年6月10日(日)  No.5454

つつじの移植
 今日は、地元紙をご覧になった人たちが菩提樹の見に入れ替わり立ち替わりお越しになっていました。
 少し離れたところで草引きをしていた職員さんが、「もう茶色くなってきてしまっていますやん。載せるのが遅すぎますわ」とぼやいていました。ほんまにその通り。

 久しぶりに紫陽花園の手入れをしました。ボク以外に手入れをする人もなく、ちょっと荒れていました。

 背の低い紫陽花に雑草が覆い被さっていたり、あちこちで蔓が花に絡まっていたりと、せっかく盛りを迎えようというのに、ちょっとかわいそうな状態でした。1時間ほどの作業で、スッキリ! 時々来てあげないといけませんねぇ。

 自坊の前庭のつつじの植え替えもしました。

 30〜40年前にボクが植えたつつじで、背丈は毎年剪定して1メートルほどに抑えていますが、幹周りは結構な太さになっています。

 もみじなどが段々生い茂ってほぼ1日中日陰になってしまうので、もうずいぶん長い間、花の咲くのを見たことがありません。このままでは、これからも咲く見込はありません。おそらく紫陽花なら咲いてくれると思うので、つつじを植え替えて、紫陽花を植え付けようと作業を始めました。

 根から掘り上げるのが無理だったら、最終的には切ってしまうしかないと思っていましたが、つつじは根張りが浅いので、思っていたよりは簡単に掘り上げられそうです。ただ、大株なので、掘り上げた株の重さは土もろともで20〜30キロはありました。それを手押し車に載せて移植先に運び、また植える場所まで持ち上げて運ぶのはかなりの重労働でした。久々に満身の力を使いました。

 今日の最高気温は28度止まりでしたが、湿気が多くて、快適ではありませんでした。頭からダイレクトに流れてくる汗が目に入って、痛い痛い。

 今日は3株を移植しましたが、まだ7〜8株残っています。相当大きな株もあります。切るしかないかなぁ・・・植える場所もなかなかないしなぁ〜。取りあえず、できるだけ移植するように頑張ってみます。

〜 夕方の蛍袋 〜
2018年6月9日(土)  No.5453

梅雨らしい空模様
 予報よりも早く、昼前から雨になりました。夜まで断続的に降り続き、夜7時過ぎにはかなり強く降りました。

 法事と雨の合間を縫って、「今日の散歩道」の写真を撮りに境内に行きました。花が咲いている菩提樹の周りには、普段よりも多い人がおられました。

 5日の地元紙が菩提樹の写真を撮りに来ていたそうですが、ボツになったのかと思っていたところ、今日の夕刊に載っていました。

 菩提樹の花は一部茶色くなって終わりかけ、結実しているものもあります。撮ってから3日も経ってからの掲載では、様子も変わってしまっているのに・・・。

 紫陽花は、今年、花付きがよくありません。気候のせいか、手入れをしていないせいか・・・。花に蔓が絡みついてりもしています。明日はお天気になりそうなので、ちょっと綺麗に整備しようと!

 これからしばらくは、雨の合間を上手に使う工夫が要りますね。

〜 本堂裏の紫陽花園 〜
2018年6月8日(金)  No.5452

ヘロヘロ
 明け方まで雨が降っていましたが、7時過ぎには少し青空も出てきて、その後は天気が回復。気温も上がって、蒸し暑い日となりました。

 今日の月参りは祇園のまっただ中の狭い路地の中。バイクで行くことが出来たので助かりました。

 自坊での法事、ご自宅での法事と読経を重ねていくうちに、だんだん声が出なくなってきました。「声帯がちゃんと塞がらず、息が漏れているなぁ」という感じです。そのうち、声帯にヒアルロン酸を直接打ってもらわないとダメかも知れません。

 声が出ないと、余計な力を使い、疲れます。夕方には、ちょっとヘロヘロでした。

 あかん・・・。

〜 数日前から咲き始めた沙羅 〜
2018年6月7日(木)  No.5451

ウェブで調べる
 夕べからずっと雨。気象台も、近畿、東海、関東甲信地方が梅雨入りしたと発表しました。長い雨の季節の始まりです。できれば、夜の間にまとめて降って欲しいものです。

 今日は予定していた月参りが2軒キャンセル。お二人ともご高齢で、退院されて間もなくです。もう1軒は、退院されてしばらく経っているので、伺いました。ご高齢のひとり暮らしは、病気になった時などには特に大変ですね。

 時折強くなる雨の音を聞きながら、塔婆書き。気分が詰まってくると、ネットで調べ物をしました。

 先日来、この作業をしているのですが、明日納骨される方の父やその二人の兄、祖父のことを調べました。
 この方々は学問的に功績を残されたため、ウェブ上に様々な情報が出ています。特に祖父は有名で、4年後には没後100年になるというのに、いまだに数多くの著書が販売されています。伯父も著名な数学者で京都帝大の教授でしたが、ネットには「戦後の食糧難による栄養失調のため夭逝」と記されていました。父は植物の研究者で、「いわひば」に関する著書が古書として流通しています。一人の伯父だけは、WEB上での記述が見つかりませんでした。

 この3人のご兄弟の奥さん方は、ボクもよく覚えています。1軒には、若い頃に月参りに伺っていました。ご主人方は記憶にありませんが、それもそのはず、お二人はボクが生まれる前に亡くなっていました。

 さらに調べてみると、3兄弟の他に、姉がおられることがわかりました。この女性の90才になるご子息がブログを書いておられて、その中で「亡父の日記」をリライトしたものを連載されていました。そこには、義父や義弟の墓参に真如堂に行ったことや、義弟が亡くなったという電報が来たことなどが記されていました。また、義祖父のヨーロッパ留学の紀行なども載っていました。

 このような調べごとをする時に、ウェブ情報は本当に有り難いです。それがなければ、どこから調べればいいのかさえ、わからなかったでしょう。

 残念ながら、2兄弟の家にはお墓を継承する人はなく、残った家も今日納骨をする人で直系が絶えてしまいました。

 こういう著名な方のお墓は、後継者がなくなっても寺として可能な限り継承していったほうがいいと思います。そのためには、いつ誰が訪ねてきても、ちゃんと説明できるようにしておかないと・・・。

 難題を解いていくかのようで、なかなか‘面白い’作業です。

〜 雨の中の紫陽花 〜
2018年6月6日(水)  No.5450

わらじ医者、逝く
 朝刊で、医師の早川一光さんが亡くなったことを知りました。

 早川先生とは20数年来のお付き合いで、いろいろな活動を一緒にやったりして、たくさんの思い出があります。

 自坊の「メダカの学校」にも5回お越しいただきました。最後は6年前。もうかなり弱っておられました。その前回でしょうか、奥さんを同乗させて、お車を運転してお越しになりました。もう80才を過ぎておられて運転もおぼつかなく、自坊への狭い進入路から出して欲しいと頼まれて運転しました。「先生、もう運転しないほうがいいですよ」と言ったら、「女房を家にひとりで置いておけないので」と仰いました。

 奥さんはお花が好きで、うちの庭に咲いている「七段花」をご覧になって、「うぁー、かわいい!」と仰ったので、ご自宅に伺った時にお持ちした覚えがあります。その後お目に掛かった時も、「あの花、元気よ」と仰っていました。

 一番思い出に残っているのは、先生の往診に付いていって、西陣のお宅を回ったこと。僧衣で行くと、「これを着て」と白衣を渡されました。僧衣の下には白い着物を着ていますが、その上にまた白衣を着るという、何とも奇妙な格好になりました。往診に伺ったお宅の人に、「何か、坊さんみたいですなぁ」と言われたので、「その通り。ほら」と白衣のポケットから数珠を出したら、目を丸くして驚いておられました。

 何か所かで講演をお願いして、現場でお世話をさせていただきましたが、指定の‘出囃子’があったり、照明を点けたり消したりと、かなり‘演出’の多い演者でした。

 地元紙には、長女のフリーライターの聞き書きによる『こんなはずじゃなかった』が連載されていました。「こんなはずじゃなかった」、それが先生の正直なお気持ちだろうと思います。

 近親者で密葬を済まされて、葬儀・告別式は本人の遺志で行わないとのこと。当然、そうされるだろうと思っていました。「先生、いろいろと有り難うございました」。


 今日は皐月の剪定をしました。ヘブンリーブルーの定植もしました。暑さと水切れで、草木もくたっとなっているので、今夜の雨が待ち遠しいです。

〜 南天の花。熊ん蜂がいっぱい来ます。 〜

2018年6月5日(火)  No.5449

カンカン照り
 今日は伝教大師のご命日。822年6月4日、56歳(満54)で遷化されました。

 京都の天台宗のお寺では、例年、山科の毘沙門堂に集まって、ご命日の法要「山家会」をいとなみます。今日も清々しいお天気で、新緑に囲まれて、法要が勤められました。

 浄斎をいただいて、急いで自坊に戻り、檀家さんの法要。親戚の方が時間になってもお越しにならなかったのですが、「きっとお忘れですよ」と申し上げて、法要を始めました。

 そう申し上げたのには、理由があります。その方はご高齢の男性で、春のお彼岸にお参りになったことを失念して、もう一度お参りになったのです。夕方に、「やはりすっかりお忘れになっていたようで、お元気でした」とメールが来ました。

 午後は、カンカン照りの中を畑のきゅうりネット張り。西日の差し込む窓の近くに、日除けを兼ねてネットを張って、きゅうり、ゴーヤ、宇宙芋を作ります。ついでに、朝顔も這わせますが、朝顔はそれらの作物のさらに上の部分で咲いてくれます。

 もともとあったネットも、昨日100均で買ってきたネットも、90×180しかなかったので、4枚を継いで張りました。継ぐのが一番手間でした。

 直射日光をまともに受けて、今年作業をした中では一番暑く、休憩にアイスキャンディーを2つも食べてしまいました。でも、その後、喉が渇いて逆効果。お茶だけにしておけばよかったです。

〜 きゅうりの花 〜

2018年6月4日(月)  No.5448

‘お出かけ’
 今日も快晴! 最高気温は29.9度でした。室内にいるとそれほど暑さを感じませんでしたが、お墓でご回向をした時は強い日差しが痛く思えるほどでした。

 午後、長い時間、塔婆を書いたりしていたので、夕方、気晴らしに百均に行きました。

 欲しい物は一つあるだけで、‘何か面白いもの’はないかと売り場をウロウロしてみましたが、初めて百均に行った時の「こんなものが百円なの!?」という感動もなく、水汲みの杓と園芸ネットを買ったぐらいで帰りました。

 隣のスーパーに寄ってみたら、「流水麺」というのが安売りしていました。麺をゆでる必要がなく、さっと水でほぐすだけで手軽に食べられというものだということはテレビのCMで知っていましたが、食べたことがないので、試しに買ってみました。

 確かに手軽。腰はそこそこ。味は普通。まぁ、手軽というだけかなぁ〜。少し手間は掛かりますが、冷凍のうどんのほうが腰があって、ボクの好みには合います。

 今日の「お出かけ」は、大した‘釣果’ナシでした。

 夜は、また塔婆書き。お盆の塔婆書きは、気の緩みさえなければ、6月中に終わりそうです。

〜 日の当たる山法師 〜
2018年6月3日(日)  No.5447

朝イチ、薬散
 今日から3日間は晴れ、その後は雨が続いて、いよいよ梅雨入り。葉っぱを食う虫も本調子になってくるというわけで、今日は朝イチに薬剤散布をしました。

 撒布する回数をできるだけ減らしたいので、使う薬は植物体への浸透移行性を持ち、さらに残効も長いことものを使っています。これからの自坊の庭では、エゴノキや菩提樹が毎年食害に遭います。今日撒けば、おそらくは大丈夫でしょう。

 ついでに、除草剤も撒きました。草は1週間もあれば、生えて大きくなります。手で引いたり、薬を使ったり、秋まではその繰り返しです。

 午後の「メダカの学校」では、檀家総代の方に「重さ、長さの歴史と京都」というタイトルでお話いただきました。この方のお家の墓石は、竿秤の分銅の形をしています。

 尺貫などからメートル・キロ等への移行をはじめ、様々な度量衡のこと、それと京都との関わりなど、身近な問題ながらあまりよく知らなかったことを教えていただきました。

 今日の最高気温は29.8度。湿度が低くて過ごしやすかったのですが、人が集まったところに西日が差してくるとかなり暑くなったため、今年初めてクーラーを使いました。

〜 自坊の裏庭の花菖蒲 〜
2018年6月2日(土)  No.5446

少し解明
 お天気が回復して、暑くもなく寒くもなく、爽やかな日になりました。

 月参りや「今日の散歩道」の更新をしていたら、あっという間に1日が過ぎてしまいました。本堂前では菩提樹が咲き出しました。見に来る人が増えますねぇ。

 毎日、お墓に行って、何か変わったことがないかとか、お参り、観察、点検などをしているのですが、無縁となって久しいお墓で、位置関係からいうと自坊の檀家と推測されるけれど、何の手がかりもない明治期の、ちょっと立派なお墓がありました。

 過去帳にも記載がなく、手がかりは墓碑銘と墓石の横に彫られた略歴のみ。今まで幾度となく墓石を見たり、略歴を手がかりにネット検索したりしましたが、よくわかりませんでした。

 お墓の正面には、「大鹿誠子之墓」としか彫ってありません。こういう形の場合は、だいたい皇室に仕えたとか、お公家さんとかです。
 側面の略歴を見ると、さほど官位の高くはない公家に養女に入り、桂宮淑子内親王にお仕えして生涯を終えた方です。今日も国立国会図書館の資料をネットで閲覧したりして、敏宮(桂宮)のことはもちろん、養父のことなどは、ある程度わかってきました。でも、肝心の本人のことがわかりませんでした。

 ふと、古い和綴じの覚え書きのようなものを見ていると、なんと! その人の戒名と没年月日が「覚え」と但し書きして書いてありました。その前後を調べて見ると、他にももう一人、2代ほど子孫に当たる人の戒名も「覚え」として記されていました。

 「やった!」 これで、推測通り、自坊に関わる人のお墓であることがはっきりしました。亡くなってから140年、まだご本人のことはよくわかりませんが、少しずつ輪郭が見えてきました。

 古文などを読むのでも、「何度も何度もじっと見ていたら、ある時突然、向こうの方から教えてくれる」というようなことを仰る方もあります。今回もそれに近いものを感じます。

 「継続は力なり」「石の上にも3年」 最近はこういう言葉は否定的に捉えられることが多いですが、続けているからこそ見えてくることって、本当に多いと思います。

〜 開花した菩提樹 〜
2018年6月1日(金)  No.5445

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