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2006年9月の日記

携帯水没
 朝、出かける前にトイレに行き、洋式トイレの蓋を開けながらポケットから携帯電話を取りだそうとしたら、勢い余って携帯が便器の中にポチャッ! 水の貯まった一番深いところに沈んでいる携帯の光景が信じがたく、しばらく呆然としていました。

 我にかえって便器に手を突っ込んで救い出し、水洗いして、液晶画面を見てみましたが、何だかうっすらと映っているだけ。「冷蔵庫に入れると復活する」という根も葉もない俗説があると聞いて、一応冷蔵庫へ。後から考えると、トイレにはまったものを、一応洗ったとはいえ冷蔵庫に入れてしまっていました。

 今日は福井・敦賀へ行く予定。水濡れサインの出たバッテリーを外したままの携帯を助手席に置いて、快晴の湖西路を北へ北へ。時々液晶画面を見てみましたが、回りから白変してきているような感じで、もうまったく‘生存’している様子はありません。

 遠くへ出かける時に携帯がないというのも不安なものです。コンビニの公衆電話から「何も用事ができてないか?」と自坊に電話しようかとも思いましたが、立ち寄ったコンビニには公衆電話がありませんでした。きっと赤字だからと撤去されたのでしょう。

 携帯電話のトレンド記事が載っている雑誌を買ってパラパラ読みましたが、実際にお店に行ってみないと、在庫があるかどうかもわかりません。いまは好き嫌い言っている場合ではなく、とにかく「携帯」が欲しい!

 不思議と、湖西の国道沿いには携帯SHOPを1軒も見かけませんでした。大型スーパーなどの中にあるのでしょう。

 敦賀から戻って京都市内に入り、即、携帯電話SHOPへ。店頭には、「全機種5000円引き! 9/30〜」と書いてありました。「おお! 今日からじゃん! ラッキー!」 店内に入り、今まで使っていた携帯と同じメーカーの携帯を「これください」と注文して、カウンターで機種変更手続き。
 カウンター前に座って携帯電話のスイッチを入れたら、うっすらと画面が出てきました。「おお! ひょっとしてデーターは救えるかも!?」と期待しましたが、店員さんの「すみません。やはりダメでした」の声に、「そりゃ、そうだ」と納得しました。
 今までの機種を3年以上使っていたのと、ポイントが貯まっていたこと、運良くセール期間だったことで、雑誌に載っていた機種変の相場が結構高い機種でしたが、予想外に安く買えました。

 帰りに、隣接する電気店でメモリーカードを購入。今までの電話機はメモリカードが使えなかったので、持っていませんでした。

 家に着くまで、パソコンにバックアップしてある電話番号などのデーターを、どうやって新しい機種に移すか、ずっとシミュレーションをしていました。

 パソコンのデーターを見たら、この4月末のタイムスタンプ。5ヶ月もバックアップしていなかったのか・・・。おまけに、携帯電話のバックアップ用のソフトは今日買った新しい携帯には対応してなく、仮にそのソフトをバージョンアップしたとしても、未対応。せっかくバックアップしたデーターを活かす方法が・・・こういう事態は想定外でした。

 オークションで今まで使っていた携帯の白ロム機を買って、それにバックアップしたデーターを送り、携帯SHOPで移して貰おうか・・・ バックアップ用ソフトのデーターのフォーマットを変えて、何とか移せないか・・・ 手で打つしかないのか・・・ いろいろ考えました。700件近いデーターを手で打つなんて、絶対にしたくな〜い。

 沈思黙考の末、使用済みの古い携帯があることを思い出し、充電をしてみると動作可能な様子。通信ケーブルも使える! 光が見えました!
 その携帯はバックアップ用ソフトの対応機種には入っていませんでしたが、なんとかデーターを移すことに成功! よし! ここまで来たら、SHOPに持ち込んで移して貰うことも可能! 移せるのは、名前・読み・携帯番号・メールアドレスだけですが、それでも大助かりです。

 その古い携帯はメモリーカードが使えるようなので、携帯本体に移したデーターを、携帯メーカーが提供しているソフトを使って、買ってきたばかりのメモリーカードに移しました。よっしゃ! これも成功!

 そしてそのメモリーカードを新しい携帯に装着して、そのデーターを携帯本体へ移す作業をしてみました。じばらく時間がかかりましたが、これも大成功! なんとか、4月段階の名前・読み・携帯番号・メールアドレスを移すことができました。やれやれです。
 あとは、短縮ダイヤルの設定、メールのフォルダーへの振り分けなど細々とした作業が残っていますが、これは時間を掛ければできます。

 かくして、水没携帯のデーター救出作戦は2つのソフトと通信ケーブル、メモリーカードを使ってなんとか成功しましたが、携帯を離せない悲しい性を思い知らされる1日ともなりました。今に生きる限り仕方がないのでしょうか・・・。

〜 ツーリングの人も多かった快晴の湖西路 〜
2006年9月30日(土)  No.1141

それにつけても居心地の悪さよ
 午前中、住職の弟(つまりボクの叔父)が、千葉から比叡山に来たついでに立ち寄りました。

 叔父・住職・ボクと3人座っていると、何だか気持ち悪い感じ。というのも、みんな瓜二つ。

 昨晩、叔父は銀閣寺あたりで食事をしたらしいのですが、住職も役向きの会議で時々行くというその店で、叔父が何も言わないのに「竹内さんにそっくり」と店の人に言われたそうです。

 それほど似ている3人が相対しているのですから、自分と叔父・住職の境界が視覚的にはなくなった感じで、叔父に向かって話していても住職と話してるような錯覚に陥ったり、叔父を見ながら、「ボクも同じような表情をするのかなぁ」と考えたり。

 何だか、とても居心地の悪い時間でした。


 車検が済んだ車を取りに行った帰りに、カーショップでバッテリーを買い、その場で付け替えました。

 家族ぐるみでやっている老舗のカーショップで、そこのオバチャンが何だかんだとよくしゃべる。

 バッテリィーを運ぼうとすると、「自分で付ける? 車はどこ?」と、店の裏の駐車場まで付いてくる始末。「古いのはこっちに置いておいて」と言って、また店に戻っていきました。面倒見のいい、とにかくよくしゃべるオバチャンです。

 手を真っ黒にしながらバッテリーを替えましたが、別に何が変わるというわけでもなし。動かなくなって初めてわかるバッテリーの有り難さです。

〜 風呂の蓋の上でねるさくら。ボクはいつもこの隙間で入浴 〜
2006年9月29日(金)  No.1140

車検って、高いんだなぁー
 7年目の車検で、ディーラーに車を持ち込み、受付。

 「諸費用が85,330円、リサイクル料金が12,220円ってかぁー。高いなぁー」と思いつつ支払い、「リサイクル料金って言ってたけど、なんだろう?」と、帰って調べました。

 2005年1月1日から施行された自動車リサイクル法。そういえばそういうのがありました。自動車所有者は新車購入時に、施行以前から所有している車は 、施行以降の最初の継続検査(車検)時に、リサイクル費用を支払う。「そりゃぁー、支払わねば。はい、わかりましたぁ」と納得。

 しばらくして、ディーラーから整備費用の見積の電話。Vベルト、ブレーキオイル、オートマオイル、エアーフィルター、冷却水、バッテリー・・・あれやこれや交換したら9万円近くになると言われて、その高価さにズッコケる思いでした。車検って、こんなに高かったっけなぁ?

 バッテリー交換はパス(自分でして節約)、シャーシのさび止め塗料はもう今さら要らないと断って、それでも結局6万円ほどになりました。

 「車を持つって高くつくんだなぁ」と、今さらながら思いました。こればかりは必要不可欠な道具ですので・・・。


 リサイクルといえば、10月1日の京都市の家庭ごみ有料指定袋制を直前に控え、今日、うちのあたりは最後の無料ごみ収集の日。

 無料の駆け込みごみが一気に増えたためか、どの収集場所も普段の倍以上とも思えるゴミが山積みになり、昼になっても収集車が来ません。きっと、あまりにごみが多いため、集めて捨てに行くのが普段通りには捗らないのでしょう。

 京都市の、袋の売り上げによる手数料収入は年間約10億円程度。その収入は、今年度、生ごみコンポストの購入補助金や収集所のカラスよけネットの貸し出し費用などに充てられますが、来年度以降は未定なのだとか。有料制にして負担を強いておいて、その使途が未定というのも、エエ加減な感じです。

 1組しか配達されなかったごみ収集の説明の冊子と有料指定ごみ袋のお試しセットは、1週間毎日、担当部局に電話をし続けてようやく繋がり、貰えることになりました。でも、配達する人手がないので、宅配便で送るとのこと。

 路地の奥にある家々にまったく配達されていなかったり、まだに貰っていないという声も聞きます。きっとその方々も、何度電話しても繋がらず、ようやく繋がったら宅配便で送って貰うことになるのでしょう。
 実に段取りが悪く、ちゃんと準備を進めていたら、宅配便の費用も要らなかったでしょうに。

 いつもながら、何とも情けない「文化観光都市京都」のお役所です。

〜 京大白菊会の納骨塔前に積み上げられた最後の無料ごみ 〜
2006年9月28日(木)  No.1139

彼岸開けの‘何でも屋’
 檀家宅での読経とお彼岸の墓前回向の‘残り’を終えたら、もう3時。

 膝の手術をして、まだリハビリ真っ最中という、富山から来られた方と、3カ所のお墓を回るのに1時間かかったのです。そんなお体で、「もうこれが最後かも知れない」という覚悟で来られたので、こちらも「せっかくなのですから、ゆっくりいきましょう」と、一歩一歩お供をしました。よくお参りになりました。


 僧衣から作業着に着替えて、昨日片付けにかかった納屋の電気工事。いまの配線も20年ほど前にボクがしたのですが、見るからに危ないので、すべて引き直すことにしました。

 蛍光灯3灯と白熱灯、そのスイッチ、コンセントを配線。いままで裸電球一つだった納屋が見違えるように明るくなりました。素人の電気工事、法律違反だぁー。


 シャワーを浴びて、軽く夕食を食べ、すぐに高雄の病院へ。この病院では、超宗派の僧侶の会「バカボン」が20年来、患者さんを対象に書道教室をしています。ボクが事務局を勤めているので、久々に現場を見に行こうと出かけたのです。

 病院に着いて掲示板を見ましたが、ボクが毎月FAXで送るチラシが張ってありません。「おかしいなぁ・・・ 張ってくれてないのかなぁ・・・」と病棟の看護士に聞いたら、「今日はありませんけれど・・・」とそれ以上は詳しくない様子。

 担当してくれている禅寺の和尚に電話したら、1軒目の大先生は誰も出ません。「・・・やっぱりこっちに来ているのかなぁ」。2軒目の和尚も留守でしたが、奥さんの聞くと、大先生の都合が悪くなり、先週に繰り上げたのだとか。

 「えーーー 聞いてないよぉ。でも、お二人に任せっきりで、ボクも久しく様子を見に来ていなかったしなぁ」と反省。また40分ほどかけて、来た道を帰りました。トホホ。

〜 朝の散歩の収穫 〜
2006年9月27日(水)  No.1138

お久しぶりです、アグネス・チャン
 お彼岸最終日。掃除を終えて、「閑話」を書こうとしていたら、住職が何やら大きな音を立て始めました。「何しているんだろう?」と見に行ったら、納屋の戸を外して、中の物を外に出そうとしていました。

 隣接している墓地管理所の建物が老朽化し、来月2日から建て替えのために解体すされることになったのですが、その納屋は管理所の建物の柱にトタンの庇と付け、雨戸をはめた2畳ほどの小さなもの。40年近く前、庫裡を改築するときに臨時に掘っ立てたものをそのまま使っていましたが、‘親亀こけたら皆こけ〜る’式で、数日のうちに、墓地管理所の建物と共に解体の憂き目に遭ってしまうのです。

 住職は、納屋の中に入っていた梅干や餅船、バラバラになったお櫃などを次々と出していました。「出してどうするの?」と聞いても、「とりあえず出さないと」と言って、収納先のことをあまり考えていませんでした。
 また、戦後間もない頃のものと思われる、90センチほど奥行きのある2段積みの黒い食器棚は‘物がいい’ので捨てないと言います。とても‘物がいい’とは思えないのですが、そう言うのは予想していました。

 「とりあえず出しても、収納先を先に整理しないと2度手間になるだけだから」と住職を制止し、収納先に考えていた別の納屋の片づけを始めました。

 その納屋は8畳ほどの広さのある中2階建てで、大阪万博の頃に住職が建てたもの。当時中学生?だったボクも、少し手伝いました。

 その後、高校生の頃に2年ほど自室として使い、大学生の頃には1階を暗室に改造。以後は、暗室の設備はそのままに納屋として使ってきました。
 暗室として使うために、コンクリート製の大きな流しを作り付けて井戸水を引いたり、光が入らないようにガラス戸などはベニヤ板で覆ったりしたので、納屋としてはとても使いにくく、寺の行事で使う瀬戸物や漆器、灯油ストーブなどのダンボールが所狭しと積み上げられていました。
 そのままの状態のところへ、今回壊す納屋に入っていた物を移しても、余計に雑然とするだけで、足の踏み場もなくなってしまいます。まず、そこを整理しなければいけません。

 「もう一度使うこともあるだろう」と思ってそのままにしておいた暗室ですが、今ではすっかりデジタルになり、引き延ばし機でやっていた‘覆い焼き’や‘焼き込み’‘トリミング’などは、すべてパソコンで簡単にできるようになりました。
 「もう自分で現像したり、伸ばしたりすることはないなぁ・・・もしそんな時がまた来たら、その時に考えよう」と、暗室機能を取り払い、純然たる納屋として使うことにしました。

 墓前回向をしながら原稿を書こうと思っていた予定はのっけから大狂い。制止された住職はいつの間にやらどこかへ行き、気がついたら墓前回向をしていました。

 現像液したり水洗い作業に使っていたコンクリート製の流しを大きなハンマーでバラバラに割ろうとしましたが、結構細かく鉄筋が入っていて、思ったより手間がかかりました。我ながら丁寧に作ったものだと感心。細かく割ったコンクリート塊を何往復もして持ち出し、一輪車に積んでとりあえず外へ持ち出しました。一輪車で3杯、結構ありました。後日、これをさらに粉砕して、撒く予定です。

 窓を覆っていた黒く塗ったベニヤ板をバリバリと剥がすと、思ってもいないものが出てきました。アグネス・チャンの写真です。ここを自室としていた高校時代のものでしょう。「こんなもの張っていたのかなぁ・・・」 自分でもすっかり忘れていました。
 その頃、ボクはアグネス・チャンの、3つ下の弟はアグネス・ラムのファンで、弟の部屋にはラムの大きなポスターが張ってあったのを、この写真を見て思い出しました。
 ‘思春期の思い出’にと、破れないように剥がして自室に持ち帰りましたが、いまさら壁に貼るわけにもいかないし、どうしよう・・・。

 コンクリートを割ったり、ベニヤ板を剥がしたり、3時間の暗室機能撤去作業の間、納屋はずっと埃だらけ。はめていたマスクははたくと埃が舞うし、下瞼あたりのマスク際は真っ黒。喉や目に悪いこと間違いなし! 今日はこんな予定じゃなかったんだけどなぁ・・・。

 住職が使うと言っていた古ぼけた食器棚は、よく見ると部材は薄く、少し動かすだけでバラバラになりそうです。しかも、深すぎて使いにくい。住職がいなくなったのをこれ幸いと、整理してスペースができた納屋にそれを運び込むのは止めて、スチールラックを新たに買うことにしました。

 まずはシャワーで全身の埃を洗い流し、真っ黒になった作業着を着替えてホームセンターへ。暗室用に入り組んでいる電気配線を引き直して照明器具を替えるための部材を求め、行きつけの事務機器屋さんでスチールラックを2つ求めて、すぐに引き返しました。

 照明器具を臨時に付けて日が傾いて薄暗くなり始めた部屋を明るくし、スチールラックを組み立てて、ともかく、住職が出すだけ出した餅船や漬けた日付を書いた過去何年分もの梅干壷群などを収納。積み上げられていた行事用の皿や弁当箱のダンボールも、新しい棚に振り分けました。見違えるようにスッキリしました。
 また、壊される納屋に保管してあった棚板などの陶芸の窯道具やべんがらなどの釉薬原料も収納。いつかもう一度窯を築いて陶芸をしたい、轆轤を回したいと思いました。

 外はもう真っ暗。8時間以上、解体屋、整理屋に没頭していました。手はもう握る力もなくなってしまっています。これは確実に筋肉痛がきます。

 住職がこだわっている古い食器棚をどうするか、木やコンクリートの廃材の処理などはまだまだこれから。納屋の整理も終わってはいません。まだまだ相当の時間がかかりそうです。

 それにしても疲れたぁ〜。住職は朝以来、一回も顔を見せず。ったく、もう! ボクと同じB型だからなぁ・・・。

〜 懐かしきアイドル 〜
2006年9月26日(火)  No.1137

軟禁状態
 お彼岸の墓参の方も、今日はポツリ・・・・・ポツリ・・・というペース。それでも4時まではお墓で回向させていただくと案内しているので、軟禁状態。作業着を着て植木屋をしているわけにもいかないので、いつでも‘出動’できる体制で、ずっとデスクワークをしていました。

 宗派の研究所で、絶版になったような冊子などを電子化して宗派内の関係者にWEB上で公開する事業が緒に就きだしたので、スキャナーで読んでPDFファイルにする作業などをシコシコ進めました。

 コピーすらなかった時代には、書写するしかなかったようなものが、今では居ながらにして手にはいるようになりました。便利には違いないですが、‘功’ばかりではないでしょう。ボクの場合、‘手’には入っても、‘頭’には入っていかないような気がします。時間を掛けて書写することは、時間の無駄ばかりではなかっただろうなぁと思います。


 明日の会議のために上洛した友人と夕食。「明日は早いから、今日はあまり呑まない」と言っていたのに、かなり呑んでいます。
 「12時過ぎたから、そろそろ帰りましょうよ」と急かし、帰りにトマト蕎麦を食べました。蕎麦屋を出て、まっすぐ帰るのかと思いきや、途中の長浜ラーメンの店の前まで来ると、「じゃぁ、これ食べて帰りますから」とさっさと入っていきました。

 最近お腹の調子が悪いと言っていたのに、すごい健啖ぶり。1才下のボクは、ビオフェルミンを飲んで家を出、お酒もかなり控えめに飲んでいたのになぁ。

〜 オオバモクゲンジの散り落ちた花 〜
2006年9月25日(月)  No.1136

Draft One
 大阪での通夜・葬儀から夕刻帰り、夕食にビールをいただきました。

 数日前からいただき始めた‘Draft One’。実は、このビールは昨日・今日ご回向させていただいたUさんご本人から、今夏のお中元にいただいたものでした。

 7月の後半頃でしたでしょうか、Uさんから電話がありました。「去年、『もう送ったらあかん』と言われたのですが、やっぱりあきませんか?」と。

 去年のお歳暮にUさんは日本酒を贈ってくださったのですが、住職だけではなく、ボクの分までも別に頂戴したのです。有り難く、でも申し訳ないので、お礼の電話をした時に、「住職の分だけでもう充分ですので、どうかお気遣いくださいませんように」とお伝えしました。
 それで今夏、事前に「やっぱりあきませんか?」とお電話をしてくださったのでした。

 「いやぁー、もう本当に1つだけ頂戴したら充分ですし、お気持ちだけいただかせていただきますから」と電話を切ったほんの数日後、Uさんから住職には日本酒が、ボクには‘Draft One’24缶入が2箱も届きました。

 「ひぇ〜 やられたぁ〜」と思って、早速、Uさんに電話すると、こちらが何も言う前の開口一番、「へ、へ、へ、へ」と満面の笑みが容易に想像できるイタズラっぽい声が返ってきました。その‘先制パンチ’に、返す言葉が見当たりません。その上、「私は純照さんのファンですねん。よろしいやん」と言われると、二の句が継げません。

 「暑さで、もう、しんどいですわぁ。早うお迎えに来て貰わんと。よろしゅうお頼みしますわ」というUさんの弱音に、「何言うたはりますにゃ」と今から思うと軽すぎる言葉を返し、電話を切りました。
 それから1ヶ月半ほど。「よろしゅうお頼みしますわ」という言葉がこんなに早く現実になるとは思ってもいませんでした。

 通夜の席ではそんなエピソードをご披露申し上げましたが、今朝になって、去年お歳暮のお礼の電話をした時に、「あのお酒は特別ですので、純照さんがひとりで呑んでください」と言われたことを思い出しました。接待などに使わずに、ボクにお酒を楽しんで欲しいということだったのでしょう。もちろん、そのお酒は、ひとりでチビチビ楽しませていただきました。

 Uさんはお酒が好きで、何年か前のお十夜の時にお寺で呑んだお酒がとても美味しかったとお嬢さんに話しておられたそうです。その美味しさには叶わないと、それ以後はもっぱらビール党に転向。今回送っていただいた‘Draft One’を、ご自分も呑んでおられたのでしょうか。
 今頃、Uさんは3年前に先立たれた奥さんのもとへ向かっておられるでしょう。

 Uさん、奥さま共々、阿弥陀さまのもとへお参りください。ビール党のUさんの代わりに、しばらく‘Draft One’を堪能させていただきます。2箱も送っていただいたので。へ、へ、へ、へ ・・・。

〜 Uさんの‘Draft One’ 〜
2006年9月24日(日)  No.1135

なんばのパラダイス・ホテル
 今日は秋彼岸のお中日。雲一つない快晴で暑い! 頭が焼けるのを防ぐために、饅頭傘をかぶって墓前回向をしました。

 墓地は例年のお中日より少し空いています。いつもは長い列ができる水場も、しばらくの間行列ができただけ。明日もお休みなので、混むお中日を避けて、明日お参りされる方も多いのでしょう。
 加えて、2学期制の学校が多くなった数年前から、お彼岸の中日に運動会をする小学校などがあります。子供が運動会なら、両親も祖父母も、墓参の日をずらして運動会に行きます。‘いのちの大切さを教える’ということを教育目標の一つに掲げている学校も多いですが、やっていることはちぐはぐな気がします。墓参はいのちの大切さや継承を教える大切な機会に他なりません。


 夕方、まだまだ墓参の方が続く中、通夜を勤めるために大阪・堺へ。京都から大阪へ向かう電車は満員でしたが、大阪市内の地下鉄や私鉄はガラガラでした。
 2時間かけて戻り、また明日の葬儀に2時間かけて行くよりも泊まってしまおうと、通夜を終えて大阪に投宿。

 ネットで調べ物がしたかったので、‘ネットが使えるホテル’を最優先に高くないホテルを探したら、難波のビジネスホテルがヒット。‘残室わずか’というので、すぐに予約しました。

 通夜を終え、普通電車しか止まらない駅から15分ほど電車乗って、にぎやかな難波の町に出ました。若者が行き交い、電飾のまぶしいところをサッサと通り過ぎて、コンビニで翌朝用のパンを買ってホテルへ。「え、まさか、ここ?」という外観のホテルでした。

 自動ドアから普通の家の玄関のようなところに入ると、主人らしき人が出てきました。名前を告げると、「はい、お待ちしておりました」とニコニコ顔で歓待され、指示されたとおり、部屋番号のついた下駄箱に草履を入れて、スリッパに履き替えました。

 フロントはどこかと4畳半ほどのロビーを見回しましたが、それらしきものはありません。キョロキョロしていると、主人が分厚い本のようなものを持って来て、古びた応接セットにボクを招きました。

 「すみません。これにご住所とお名前をお願いします」と言って差しだされたのは「宿帳」。宿泊者カードではなく、まさに宿帳。ずらっと住所と氏名が書いてあるその帳面の末尾に、同じように記帳するように促されました。個人情報保護もなにもあったものではありません。

 主人に先導されてエレベータに乗り、4階へ。

 ホテル予約サイトには、「大阪なんば駅前にあり、便利で家庭的なホテルです。全室高速インターネット接続無料、シャワートイレ付」と書いてあった「家庭的」というのはこういう雰囲気を言っているのかなぁ・・・。

 ドアは明らかに合板製の中空構造。鍵は内側からドアノブの真ん中を押すだけのタイプ。「女性お1人様でも安心してお泊りいただけます」と書いてありましたが、男性でも不安。

 部屋の中にはちょっと古めのベッドがあり、その枕元には、会議で使うような180センチ長の折りたたみテーブルが置いてありました。LANはどこだろうと探したら、そのテーブルの脚に、無造作にケーブルがくくり付けてありました。反対側を辿ると、壁のLAN差し込みに繋がっています。「これでいけるのなぁ」と早速ノートPCで試してみると、ちゃんと繋がりました。このホテルに決めた第一の目的はまず達成か?

 トイレがウォシュレットなのが、この部屋には似合っていません。でも、潤沢な資金もなさそうなのにウォシュレット付きに改装した宿側の誠意が伝わりました。小さめのユニットバス。置いてあった歯ブラシで歯を磨いたら、口の中が血だらけに。

 翌朝用に買ってきたサンドウイッチを冷蔵庫に入れようと探しましたが、ありません。どうやらないみたい・・・(翌朝チェックアウトする時、共用の冷蔵庫が廊下にあるのを発見しました。言ってよ!)。シャワーをした後、サンドウイッチが痛むといけないと思い、ビールを飲みながら食べました。

 かなり疲れていたので、ネットを使った調べ物は断念。メールを送ろうとしましたが、受信はできても送信できません。いろいろやってみてもダメ。調べてみると、ホテルなどの回線ではこういうことが時々あるとのこと。仕方ありません。諦めました。

 ふと、ルーム・キーを見ると、「竹内様 スミ」と書いた小さな紙片がセロテープで貼り付けてありました。宿代徴収済みということかな?

 夜中は、隣室の‘オバちゃま’たちが五月蠅く、窓の下で外で酔っぱらいが騒いだり、パトカーのサイレンがけたたましく鳴ったりで、何回も目が覚めました。トマト酢を飲まなかったのもいけなかったかも知れません。

 設備はイマイチ、ネット環境も不満あり、それなりに安いかといえばそうでもない。「もう1回泊まりたいか?」と尋ねられたら、「他のホテルを探します」と答えるでしょう。
 でも、不思議と憎めず、なぜか笑えてくる。嫌いじゃない。そんな難波のパラダイス・ホテル。ジョークがわかる人など、人を選んで勧めたくなるホテルでした。お世話になりました。

〜 ☆清潔な天然木フローリング床☆が売りの室内/廊下にあった冷蔵庫 〜
2006年9月23日(土)  No.1134

彼岸会中の更新は変装して
 午前中、本堂で、日本を代表する企業グループの社長・会長の懇談昼食会が主体となった物故社員慰霊法要。

 みな名前を聞いたことのある会社ばかりで、その社長・会長ですから、日程を合わせることだけでも大変なことだろうと思います。熾烈な競争の末、今の地位に辿り着いた人たちばかりなのでしょうね。


 今日は更新日。

 慰霊法要までにできるだけ写真を撮ろうと、変装スタイルでカメラ片手にウロウロしていたら、職員に「えー、まだそんな格好しとるのぉ!」と見つかってしまいました。

 朝夕の斜めの光が差してくる時間が、真っ昼間よりも写真になります。その時間を惜しんで、写真を撮っていたのです。

 「まだ大丈夫!」とは言ったものの気になり、着替えて集合場所に行きましたが、少し早すぎました。あー、貴重な時間を損しちゃった。

 法要が終わってからも、墓前回向の合間をぬって、変装して境内へ。写真を撮っていると、檀家の人が通りがかり、思わず帽子を目深にかぶり直し、写真に集中したオッサンの振りをしました。

 気づかれなかったと安心していたら、別の方向から、「あっ、おっさん!」と檀家の人に声を掛けられました。今日はホームページの更新日でと、事の顛末を説明。その間も、墓地からは住職の読経の鈴の音が聞こえていて、何だかばつが悪いなぁ〜。

 また職員に見つかると余程暇なのだと思われるので、身を潜めながら写真を撮りました。

 あー、窮屈な更新日だなぁ。しょうがないなぁ、彼岸の忙しい最中にこんなことしているんだもの。

 毎日拾い続けている‘大砲どんぐり’がいっぱい溜まってきました。今日も朝と昼、20個ぐらい拾いました。
 ホント、それだけ拾ってどうするのでしょう。でも、拾わずにはいられません。我ながら変。

〜 緑の上の桜一葉 〜
2006年9月22日(金)  No.1133

お粗末政令都市、京都市
1・5・9月の21日に行われる恒例の東山某寺院の大般若転読会法要。

 「今日はお参りが多いなぁ」「やけに写真を撮っている人が多いなぁ」と思っていたら、京都市の『市民しんぶん』に写真入りの紹介記事が掲載されたのだとか。だからなのかぁ。


 『市民しんぶん』なんて、あまり見たことがありませんでしたので、帰ってからパラパラと見てみました。

 1面は、小中学生の社会・経済体験施設ができた、市立の小中学校の全普通教室の冷房化が完了したという記事。なんか、ピントがずれているような・・・そんな綺麗事言っている場合なの、京都市は? 一見しただけでイライラしてきました。血圧が上がる・・・。

 2面になって、ようやく、市職員の不祥事が絶えないことへのおわび。3面は家庭ごみの有料化。そうでしょう、目下、京都市が抱える大問題はこっちじゃないの!

 4月以降、覚せい剤の使用などで逮捕された市職員は10人。他にも、児童買春、窃盗未遂、免停中の公用車運転、生活保護受給者の一時金をケースワーカーが搾取したり、ペット処理費を着服した業務上横領など、もう書き出したらきりがありません。
 そんなニュースを聞いて仰天するかというとそうでもなく、「あ、あり得るなぁ」。内情を知れば知るほど、京都市の行政は本当にお粗末。

 「人のことは悪く言わないでおこう」と心に決めたのですが、組織が相手ならまぁいいかな?

 来月1日からは、家庭ごみを出す時に使う袋が、市が指定した有料のものとなる制度が実施されます。とても周知徹底されているとは思えず、指定袋以外で出されたゴミが放置されるのではないかと案じます。

 このゴミ袋有料化に反対する人も多いようですが、ボクは基本的には賛成です。無駄なものまで買って、食べもせずに腐らせてしまい、それを何とも思わず捨ててしまうような生活サイクルを改める機会になればと思いますし、ゴミをたくさん出す人は応分の負担をしてしかるべきだと思います。

 ただ、京都市は決してゴミの分別やリサイクルに熱心だとはとても思えず、今度のことがそのままゴミ減量や資源の再利用に繋がるとは思えません。「お金を払いさえすれば、いくらでもゴミは出してもいい」と考える人も出てくるでしょう。

 今日、京都市から「ごみ減量や分別・リサイクルに関する情報を紹介した総合環境情報誌」と事前配布のゴミ袋が届けられました。うちは2世帯で、町内会の配り物などもすべて2組届きますが、冊子とゴミ袋は1つしか配られませんでした。担当部局に「もう1組欲しい」と電話をすると、「ポストが1つなので、1つ」と一点張り。そんなアホな、やっぱりこの行政はどうかしています。

 おまけに、今日車で走っていて、京都市の市章を付けた軽トラックの運転席から、煙草の吸い殻がポイ!と投げ捨てられるのを見てしまいました。「おいおい、そんなゴミの減量の仕方はいけないよぉ!」 ったく、もう!

 市民からは、ゴミ減量よりも「まず、職員の不祥事を減らすべきだ」という批判もあるそうで、それも心情的にわかりますが、それはそれ、これはこれ。

 「本当に京都市はどうかしてる!」と腹を立てながら読んでいたら、今日の大般若の予告記事を見ることなどすっかり忘れてしまっていました。

〜 庭でくつろぐクロ 〜
2006年9月21日(木)  No.1132

泥縄
 今日から彼岸。自坊では、お越しになったお檀家の墓前回向を、1週間を通して行っています。
 「入りの日」の今日の午前中は、お参りも多め。住職は待ちかねたかのように、張り切ってお墓に飛び出していきました。ボクも後を追って・・・。

 墓地から自坊を見ると、2階の障子の破れがすごく目立っています。墓地に行くたびに、「張り替えないと格好悪いなぁ」と思うのですが、そう思い出してから既に半年は優に超えています。

 お盆の頃、暑気あたりしたさくらを獣医さんに連れて行った時、奥さんから「あの障子はさくらちゃんが破ったのですか?」と聞かれました。獣医さんの家のお墓は破れているその障子がよく見える位置にあります。しっかりチェックされていたのです。

 「あー、そうなんですよ。さくらには困っているのです」と答えたものの、本当は障子紙が古くなって弱って破れただけで、さくらは触りもしていません。さくら、犯人にしてゴメン。

 お彼岸になって墓参の人も多いし、獣医さんの奥さんもお参りになるでしょう。「まだ、張り替えてないなぁ」と思われるのも格好が悪いので、思い立って張り替えることにしました。

 墓参の人が途切れた隙にパッと衣を脱ぎ、古い障子紙を取って、紙を切り・・・ 墓参の方が来られたらサッと衣を着、終わって脱いで、糊を桟に付けて・・・ 何とか4枚を張り替えました。あと4枚残っていますが、これはまた後・・・ というと、また半年後とかになってしまうなぁ。

 まぁ、どうにかこれで体面は保てました。誰に見られても、もう大丈夫! どうせ張り替えるのなら、もっと早くにしておけばいいのに。


 6月に買ったばかりの小さなデジカメの修理が終わり、戻ってきました。内蔵バッテリーの不良という初期不良に近いような故障なのに、お詫びの一文もなく、「修理完了報告書」という伝票が1枚入っていただけ。やさしくないなぁ・・・・。

〜 修理が済んで戻ってきたカメラで撮った張り替え後の障子 〜
2006年9月20日(水)  No.1131

竹の春はここ。我が春はどこ?
 大原野にある京都市洛西竹林公園に行きました。

 公園の建物の前からは、洛西ニュータウンやなだらかな大原野の丘陵に広がる竹藪が見渡せました。
 この公園は、ニュータウンの建設の時に多くの竹が伐採されたことから、 残る竹林を積極的に保存しようという声が高まって、1981年に作られたものとか。

 ニュータウンは少子高齢化・人口減少傾向が顕著だと、ずいぶん前から新聞ネタになっています。団塊世代がリタイアした時、この街の行き場所のない人たちはいったいどう過ごされるのでしょう。視野が広がる気持のいい光景を見ながら、そんなことが頭に浮かびました。

 公園の中には、いろいろな竹を集めた生態園の他に、応仁の乱の発端となった「百々橋」や地下鉄工事の際に発掘されたたくさんの石仏などが並んでいました。

 石仏は、信長が将軍足利義昭のために築いた旧二条城の石垣に使ったといわれるもので、「信長は多数の石像を倒し、 頸に縄をつけて工事場に引かしめた。都の住民は、これらの偶像を畏敬していたので、それは彼らに驚嘆と恐怖を生ぜしめた」 とポルトガルの宣教師がその時の様子を書き残しています。

 寺や街角などにあった石仏を有無を言わさず集め、それを石垣に使うなんて・・・。「鳴かぬなら 殺してしまえ」と伝えられる信長の性格の一端を見たような気がしました。
 そういえば、明治の廃仏毀釈の時もそんなことが行われました。いや、もっとひどかったかも知れません。廃仏毀釈が、それまでの日本の宗教や文化を大きく傷つけ歪めたことを、石仏を見て思い出しました。

 竹がきれいだなぁ・・・・・「竹の春」かな。我が春は何処? もう終わった?

 竹の間を傾きかけた陽が差し込む中を、帰途に着きました。

〜 傾いた日射し越しの竹藪 〜
2006年9月19日(火)  No.1130

ちんたら1日
 台風は、いつもより少し強い風が吹いた程度で、何事もなく通り過ぎていきました。雨もわずかに降っただけでした。

 連休最後の日、この3日間で法事はわずかに1座だけ。お彼岸の墓参の方がパラパラ。普段の土日よりも、よほど暇。皆さん遊びに行っておられるのでしょうか?

 時間ができたので、紫陽花などの挿し芽苗をビニールポットに移植する作業をしました。

 挿し芽をする時に紫陽花の名前を書いておいたつもりでしたが、さてここに来て一部がわかりません。挿し穂を作る時は、「まぁ、書かなくてもわかるだろう」と高をくくっていたのでしょう。昨日のことでさえ忘れるのに、3ヶ月ほど前にことを覚えているわけがありません。そんな忘れっぽい自分であることさえ忘れていました。

 挿し芽苗の葉っぱを1枚取って、外に植わっている紫陽花の葉と照らし合わせ、「まぁ、だいだい、これと同じかなぁ」と推測で名前を付けました。

 レンギョウ、マタタビと合わせて約150鉢。おー、腰が痛い。無事に大きくなってくれますように。

 順調に移植が終わったので、大型スーパーで運動靴やトマトジュースを、ホームセンターで野菜の苗などを買いに行きました。連休で駐車場待ちの長い列を予測していたのですが、待つことなくすんなり入れました。

 皆さん、家に籠もっておられるのでしょうか? それとも遠出?

 寺を空けるわけにもいかず、何となくダラダラした連休でした。あー、山行きたい!

〜 ポット苗 〜
2006年9月18日(月)  No.1129

さくらのトイレ
 ちょっと下の話です。

 さくらは、もう1歳半になるというのに、いまだにトイレでウンチができません。

 便意を催したときは鳴いたり走り回ったりする仕草でわかるので、無理やりトイレに連れて行き、お尻をチョンチョン刺激してあげて、ようやく一件落着。
 もし、便意を催した時にこちらがいなかったり、寝ていて気がつかなかったりすると、必ず勝手口のたたきの上でしています。時折、ウンチがボクの白い鼻緒の草履に付いていることもあります。

 そんな赤ん坊のようなさくらですが、オシッコの時は違います。

 最近は、トイレでオシッコをした後、トイレ砂をかけるのはもちろん、ご丁寧に側にある尿取りパッドをその上に置いて隠し、事を終えるのです。まるで淑女のよう?
 パッドが置いてあると、「あっ、オシッコをしたんだ」とすぐにわかります。

 今までできるだけ涼しいところを探して寝ていたさくらですが、最近は押入の中とか、あまり風邪が通り抜けないようなところに寝場所が変わってきました。季節の移ろいを感じているのですね。

〜 失礼。事成就の暁に置かれたお印 〜
2006年9月17日(日)  No.1128

大阪で再会
 仕事の関係で九州に引っ越した友人が、学会で大阪に来るというので、大阪で再会することにしました。会うのは5〜6年ぶりです。

 お互い大阪のことはよく知らないので、魚が美味しいという店をネットで探して行きました。

 大阪・梅田の中心部の一角にあるガード下の食堂街。小さな店がひしめき合う一角の、飾りも気取りもない店にいきました。

 会社帰りのサラリーマンなどがフラッと寄って、少し飲み食いして会社の‘垢’を落として家路につくようなお店が並んでいます。こういう雰囲気は京都にはありません。

 目利きの主人が毎日市場に行って選ぶという魚と、京都より少し濃い味付けのおでんを堪能しながら、近況を語り合ったり、昔のことを思い出したり。

 カウンターのみ10数席のみで、客はほぼ常連ばかり。友人の臨席には、肘の先まで刺青を入れた人が、携帯電話でいろいろ手配をしながら、定食のようなものを食べていました。トイレは店の外で、食堂街の共用。

 気兼ねのない仲で行くには落ち着ける店ですが、「食い道楽」という土地柄、お店の構えから考えると、ちょっとお高い店でした。

 まだまだ話したりないので、雰囲気を替えてもう1軒。駅近辺を少し歩いて、ふらりと入った店もガード下の2階。電車が通る度に、頭の上から騒音が聞こえてきます。
 大阪って、小さいお店がひしめき合って、人気のある店だけ淘汰されて残っていくのだろうと感じました。

 大阪で呑むなんて10年ぶりぐらい。普段しなれていないと、帰りの電車のことが気になります。
 大阪の友人と京都で呑む時など、彼らは最終の電車が何時何分発なのか、ちゃんとの知っていますが、今夜、ボクは調べて来ませんでした。
 「まだ、大丈夫だよね?」といいながら、だんだんお尻がこそばく(くすぐったく?)なってきました。店も閉店間近。

 地理不案内なボクを電車に乗れるところまで送ってもらい、「また呑もうよ」と当てのない約束をして、ハグをして別れました。

 帰りの電車はぎゅうぎゅう詰め。「こんな時間でも混んでるんだ。みんな遅いんだなぁ」と、普段遭遇しない環境に感動してまんじりともせず、帰路に着きました。

 あ〜、楽しかったぁ。

〜 大阪らしい雰囲気の食堂街 〜
2006年9月16日(土)  No.1127

境内の情景?
 更新の写真を撮りに境内をウロウロする日には、必ず出会うと言っていい賽銭泥棒。

 リュックサックを手に持ち、帽子を目深にかぶって、少し大股で歩く50才過ぎの男性。目に棘がありますが、身なりは普通で、みすぼらしくもありません。

 彼の辿るコースはわかっているので、写真を撮る振りをしながら見ていると、いつものように参道脇の石仏などを参拝するふりをしながら、その仏前に賽銭が置かれていないかチェックをしています。
 拝む気があるのならちゃんと掌を合わせますが、彼の掌は賽銭のある下のほうを向き、頭を下げながら、回りの様子をしきりと気にしています。

 賽銭が置いてあったとしても5円か10円。彼は1円玉には手を出しません。全部回っても、たいてい‘ぼうず’。あっても50円に達しないでしょう。

 以前、賽銭を盗ってはいけないと注意したことがありました。彼は、「置いているんや」と反論してきましたので、それ以上は言いませんでした。あまりきつく言って、仕返しに荒手の手段に出られると困りますので。

 こうして何年か経つと、また別の賽銭泥棒に代替わりしていきます。スーツ姿あり、女性あり、それらしく見える人は一人もいません。


 ‘シロクロ猫’が歩いていたので、後を付いていきました。こちらを気にしていますが、慌てて逃げる様子もありません。ミーコよりもおっとりしていて、警戒心も薄い子です。

 何故か溝の中が好きなようで、塔の脇の溝、本堂回りの溝と移動しては、その中に身体の下半分を隠しています。

 本堂の溝に入っている時に2メートルほどの距離まで近付きましたが、シロクロ猫は逃げるどころか、寝たふり? 熊に出会った人間でもあるまいに。

 こうして写真を見ると、面白い模様の入り方です。‘シロクロ猫’とは、一つのひねりもない、見たままの名前ですね。


 帰ったら縁先にクロの姿が見えました。ボクを見つけると、口を大きく開けてピンクの舌を見せ、「ニャァー」と甘えて寄ってきました。手を伸ばせば触れられるような距離です。

 「だいぶ慣れてきたから、試しに手から餌をやってみよう」とクロの目の前に手を差しだしたら、クロはしばらく困った顔をして、いきなり前足でボクの手を2回払いました。

 「痛てて! 何すんにゃな、クロ」

 クロは半野良猫。やはり、深窓の我がさくらのようなわけにはいきません。そういえば、さくらが大きくなってから、手から餌を食べさせるなどということをしたことがありません。さぞかしクロも差しだされた手に面食らったのでしょう。

 猫の生態や性格もだんだんわかるようになってきました。すごい!

〜 寝たふりをするシロクロ猫 〜
2006年9月15日(金)  No.1126

足、ふらつく
 最近、雨が多いので、草がよく伸びます。1週間前に草刈りをしたばかりなのに、また刈らなければなりません。

 昨日は除草剤撒布、今日は草刈り。まだ、先日ひっくり返って強打した肘が痛みますが、彼岸も近いので、晴れた日にやっておかなければいけません。

 いま、ボクの寝起きしている建物の前は農機具だらけです。草払い機、薬剤散布機、ヘッジトリマー(刈り込み機)、チェーンソー、鋸、ガソリン缶、そして蚊取り線香ホルダー。

 草刈りをしていて、彼岸花の芽を見つけました。気をつけて見ると、毎年花が咲く場所の其処彼処から、彼岸花の花のシュートが顔を出してきていました。
 1週間前には、まったく姿を見せていなかったのに、どうして彼岸が近付いたことがわかるのでしょう。毎年、この花を見る度に、その律儀さに驚かされます。ボクも見習わなければ・・・。

 「これは注意しなきゃなぁ」と思いつつ、目を凝らして斜面の草を刈っていたら、足元がふらつき、手元が狂って、せっかくの彼岸花のシュートの先端を切ってしまいました。

 「わぁー、ゴメン!」

 もう元には戻りません。ちょうど花色で紅く見える部分が飛んでしまいました。
 「気をつけなきゃ」と意識している時に限って、逆にそちらに近付いてしまう。そんなことが間々あるように思います。

 それにしても、1年掛けて満を持して出てきた花芽を・・・ 本当にゴメンなさぁい。ボクも足腰が弱ってきたのかなぁ。

〜 先っぽが飛んでしまった彼岸花の花芽 〜
2006年9月14日(木)  No.1125

大砲どんぐり
 降水確率は午前午後共に100%。それに違わず、ずっと雨でした。

 雨水の流れ具合を見に境内を歩いていると、思いがけないものを見つけました。「大砲どんぐり」です。

 本当の名前は「全手葉椎(マテバシイ)」の実ですが、子供の頃から「大砲どんぐり」と呼んでいます。半分に切って中をくり抜いて笛を作ったり、独楽にしたりしてよく遊びました。

 もう落ちているとは思っていなかったので、ビックリ。雨をものともせずに、すべて拾いました。

 1週間ほど前、バスに乗って美術館の横を通った時に、この実がなっている姿を初めて見ました。‘つき合い’の長い実ですが、境内の木に実がなっている姿を見たことがありませんでした。

 境内の木は大木なので下から見上げるしかないのですが、きっと大きな葉に邪魔されて実は見えないのだと思います。美術館の横の木はまだ若く、ちょうどバスの窓から見る高さに実がなっていて、生態観察にはうってつけ。「へぇー、こんなふうになるのかぁー」と感動しました。

 この実が落ちていると、「拾わなきゃ!」という強迫観念にさいなまれます。

 小さい頃はこの実を我先に拾いました。風が吹いた翌日などは朝早くから拾いに行き、学校の行き帰りに拾い、夕方また拾い。拾ったすべてを遊びに使うわけではないのですが、とにかく「他の子よりもたくさん集める」ということに囚われていました。それがいまだに消えていないのでしょう。

 この実を競って拾った幼馴染みはみな引っ越して、その時のことを懐かしく語れる相手は誰もいなくなってしまいました。

 いまだにボクだけが、この実を見つけると目の色を変えて我先に拾っているのです。今年も今日からその‘儀式’が始まりました。

 そして、秋から冬に向かう頃には、小さな紙袋いっぱいほどの大砲どんぐりが集まります。でも、翌春になると、いつのまにかなくなっています。どこへ行くのでしょうね。

〜 大砲どんぐり 〜
2006年9月13日(水)  No.1124

刺激
 午後、思い立って、大津・坂本へ。

 去年まで携わっていた公開講演会があるのですが、参加者が少ないということですし、何か新しい刺激が欲しい、講演を聞いて勉強がしたいと思ったのです。また、今日の司会者はボクが紹介をした人だということもあり、「顔を出しておこうかなぁ」という気持もありました。それにもう一つ気になることも。

 講演会には150名ほどの参加者があり、椅子と椅子の間隔が広く取ってあったので、「いっぱい」に見えました。よかった。

 講演の演題は「比叡山と琵琶湖」。主に「琵琶湖」という名称を軸に、歴史、宗教、文化の話が進められました。

 講演自体は起承転結に欠ける感じでしたが、第2部の司会者との対談になると、何でもすらすらとお応えになり、その知識の深さ・博学ぶりに驚かされました。

 「琵琶湖」という名称が、琵琶湖に浮かぶ竹生島の弁才天の持ち物である琵琶に関係していること、琵琶湖が今も毎年1.7mずつ北へ移動していること。比叡山が伝教大師が開かれる以前から山岳信仰の山だったこと、滋賀県の歴史の深さなど、「刺激が欲しい」「勉強がしたい」というボクの目的は充分達成されました。

 司会はバッチリ。まぁ、地元TV局の現役女性アナですから、当たり前と言えばそうなのですが、壇上の彼女はキラキラ輝いていました。「あー、普段は愚痴が多いけど、ぜんぜん違うなぁ。本当にこういう仕事が好きなんだなぁ」と、それも刺激になりました。


 「もう一つ気になること」のために事務所に行くと、事務職員も今ボクに電話をしようとしていたとのこと。

 もう何年も一緒に仕事をしてきた人が、境内にあった建物の廃材を境内の山林に不法投棄したということで、数日前に有罪が確定したのです。「境内」が県立公園内だったため、大事に至りました。

 事務職員から、その方が、昨日、すべての職を辞されたと聞かされました。

 辞任は社会的には仕方がないことで、ボクもある程度予想していましたが、有能で気っ風がよく、年下の我々の話も良く聞いてくださった方だけに、とても残念です。

 昨日最大の、トドメの‘刺激’でした。

〜 こうしてみるとお年寄りが多い講演会場 〜
2006年9月12日(火)  No.1123

呑んだら乗るな!
 テレビのニュースを見ていると、毎日、飲酒運転による事故のことが報じられています。また、特集を組んでいるような番組もあります。

 福岡の事故以来、よく取り上げられるようになった飲酒運転。特に公務員の飲酒運転が狙い撃ちされていますが、あの事件以後、飲酒運転がいつもにも増して頻発しているわけではなく、いつもこれぐらいあるのに違いありません。ただ、よく取り上げられるようになっただけでしょう。

 お酒を飲んで車を運転することは、取り締まり云々よりも、危険きわまりないことに違いありません。

 番組の中で、飲酒した後車を運転しようとしていた人が、「オレの人生なんだから勝手だろう!」と悪びれる様子もなく言い切っていました。「自業自得」だけ、自分が怪我をするだけで済むのなら「勝手」と言えるかも知れませんが、飲酒運転は‘凶器’を振り回しているのと変わりありません。

 ボクの回りにも、お酒を飲んでも平気で車を運転する人がいます。「呑んだらダメだ!」と言っても、「少し休めば平気」「少しだけだから」などと、勝手な自分の基準で説得には応じません。そんな人と一緒にお酒は呑みたくありませんので、もう同席しません。
 高校時代の恩師は、飲酒運転で電柱に激突して亡くなりました。もう30年近く経ちますが、いまだにそこを通るたびに、「この電柱だ」と思います。

 呑んでも運転するというのは、自分への過信なのか、車を置いて帰ると翌日困るからなのかは知りませんが、生半可なことでは直らない「癖」としか考えられません。根本的に意識改革をしないと、変わらないでしょうが、‘意識’などという曖昧なものはあてにせず、「呑んだら動かない車」を作るしかないかも知れません。

 セクハラ問題などを見ていても、日本は酒に甘いというより、酒にだらしない社会ではないかと思います。

 明日から警察は飲酒運転を徹底取り締まりするとのこと。

 でも、警察はいつもその時だけ。携帯電話を使いながらの運転が規制されたときも、その時だけ。今では、平気で使っている人を多く見ます。昼間にヘッドライトを点けるという運動も、原付の2段階右折も、みなその時ばかり。駐車違反もまた元通りになりつつあります。
 全国一斉の飲酒運転取り締まり強化週間が終われば、また元通りなのでしょう。

 ボクは、人には厳しく自分には甘い質で、自分のことは「まぁ、いいか」とよく流れてしまいます。
 でも、飲酒運転に関しては、「まぁ、いいか」はあり得ませんよね。

〜 最近お気に入りの階段を見下ろせる書架の上 〜
2006年9月11日(月)  No.1122

ずぶ濡れ
 朝、気象予報のレーダー画面を見て、「これならあと1時間は雨は降らないなぁ」とバイクでお参りに出かたのが大失敗。

 走り出して10分もしないうちに雨が降り出したので、宅配便を出すのもあってコンビニによって雨宿り。雨コートを着ましたが、雨はすぐに上がってきました。

 お経を上げて、奥さんと猫の話を、木工師のご主人から胡粉の絵付けの話を聞いて、「もう、ちょっと待たはったらどうです・・・あ、止んできました。あれ、また降ってきました」「10時から法事ですから、帰りますわ」と小雨の中、帰路を急いだら、それからが大変。

 雨はどんどん強くなり、雨コートの表面を流れる感じ。さらに、雨コートを突き抜けて、だんだん中に入ってきました。こうなったら雨宿りしてもしかたなく、とにかく先を急いで走りました。

 帰り着いたら、コートからは水が滴り、中の僧衣、白衣もボトボト、下着まで絞れるほどでした。

 とにかく脱いで着替え、法事。1座目が終わってお墓に行こうとしたら、「雨がひどいですし、私たちだけで行きますので、後で拝んでおいてもらえますか」と言われたので、「じゃぁ、後で念入りに」と応え、2座目。2座目が終わった頃には日が差し、墓所に行くと照りつける日が厳しいほどでした。

 濡れた僧衣は化繊ですからいいものの、略袈裟は絹。もう使えないかも・・・。
 昨日のアクシデントで肘・肩は痛むものの、木魚はちゃんと叩けました。


 久しぶりに自室を掃除しました。あー、気持いいなぁー。

 でも、山の荷物はまだ出したまま。今年もう1回、どこかへ行きたいと未練たらしく片付けていないのですが、9月中はお彼岸もあって2日間でさえ日程を取ることができません。
 9月いっぱいで多くの山小屋はしまってしまうので、現実的には不可能かなぁ。狙いは、10月の加賀・白山!

 一昔前のフォークのCDをかけ、調子よく口ずさみながら、掃除機をかけました。不思議と、ほとんどの歌詞が出てきます。新しいことは覚えられないけれど、古いことは覚えている・・・ちょっと危ないかも。


 さくらが急に窓のほうに走っていったので何事かと外を見たら、窓先の手すりの上にクロがちょこんと座っていました。クロがこんなところまで近付いてくるのは初めて。

 クロは部屋の中を覗き込むようにして、「ミャァー ミャァー」と、少しかすれた撫でるような声で鳴いています。まるで、ボクとさくらが仲良くしているのを見て、自分も一緒にしたいと言っているかのようです。

 さくらは最初少し興味をしましましたが、すぐに興味をなくした感じ。さくらにはクロが自分と同種だという意識はなく、自分も人間の身体を持っていると思っているのでしょう。
 素っ気なくされたクロが可哀相。

 暗くなってからも、クロは2度やってきました。真っ暗な夜の闇の中に沈み込むような黒い体なので、身体の輪郭はまったくわかりません。ただ、目だけが光っていました。

 どうして急に来るようになったのでしょう。秋が近付いて人恋しくなったのか、生理的なものなのか、ボクに気を許すようになったのか、さくらの魅力か・・・。
 さくらは過保護できかん気の我が儘娘ですが、クロは控えめでおとなしい子です。男の子? 女の子? どっちかな?

 ミーコ監視用に土塀につけた赤外線のセンサーが、いまはクロの出入りを知らせてくれるものに様変わりしています。

〜 「おー、ク ロミオ!」 〜
2006年9月10日(日)  No.1121

ヘイヘイホー
 自坊の前庭に、杉の木が7〜8本植わっています。住職が改築の時などに役立てようと、順次植えたものです。

 いまボクが住んでいる建物を建てる時にも数本の自生の桧や杉を使いましたが、大工さんには面倒がられました。伐採して、製材して、乾燥させて・・・四方柾が取れるわけでもなし、面倒がられても仕方ないかも知れませんが、ここで育った木を使うのは、施主側にしたらとても意義深いことです。

 残っている杉は樹齢35年ほど、直径5〜6寸、樹高8〜10mほどが大半で、間伐材に毛の生えた程度に過ぎません。材木にもならないどころか、台風で転けたりするほうが心配です。かつて、台風で2〜3本根こそぎ倒れたことがありますので。

 住職も、「あれを切らなあかん。切ったらどうや」と気安く言いますが、一番切る必要に迫られている木は直径1尺ほど。吉田山から見ても、塔の前にスクッと立っている杉です。ボクも、「確かにあれが転けたら、土塀や茶室、この建物の大破するなぁ。もみじのためにも切った方がいいしなぁ」とは思っていましたが、そんな簡単に切れるものではありません。。

 今は伐採の適期ではありませんが、木を見上げるたびに段々「やらなきゃなぁ」という気になり、倒し方をシミュレーションしました(何かにつけてシミュレーションします)。そして、本命にかかる前に、先ず直径5〜6寸、樹高8〜10mほどの木を、間引きを兼ねて切ることにしました。

 2連梯子を目一杯伸ばして登り、余計な枝を先に落とした後、まず木の先端の3m分ほどを切り落としました。残っている幹の先端にロープをくくり、倒したい方向に引っ張りつつ、その方向の根元をV字型に切って・・・。

 1本目は意図する方向から15度ほどずれてしまいました。65点!

 2本目。手順は同じです。ところが、幹の先端にくくり付けたロープの反対側を、倒したい方向から体重を掛けて目一杯引っ張っていたら、いきなり何の前触れもなく「プツン!」とロープが切れてしまいました(音はしていません)。

 ロープが切れるなどとは思ってもいなかったので、ボクは吹っ飛ぶように地面に叩きつけられました。ちょうど綱引きをしていた綱が切れた感じです。
 吹っ飛んでいる間の自分は、まるでスローモーションのようでしたが、すぐに地面が待っていました。受け身に構える暇などなく、即、肘から落ちました。幸い土の上。あと30センチずれていたら、石のベンチで頭を打って、今頃は病院のベッドの上だったでしょう。

 すぐに立ち上がり、誰かに見られていないかと見回しましたが、大丈夫。ロープを繋いでもう一度引っ張ったら、また切れました。繋いでもう一度。また切れた。
 見かけは全然問題のない化学繊維のロープでしたが、実は使いものにならないほど経年劣化していたのです。

 ロープはそれしかなかったので、切れない程度に注意して引っ張りました。チェーンソーで木の根元に切り込みを入れ、グラッと来たところで鋸を止めて、あとは手で一押し。「ギィーーー、ドッカ〜ン」。今度は狙った方角にドンピシャリ倒れました。失敗したら、土塀を壊してしまうところでした。2本目は90点かな。

 さて、切った2本の杉は何に使おうかなぁ。杉箸作ったら、何膳できるでしょう。

 好きでもない『すきま風』の歌が、頭の中でだんだん大きくなっていました。なぜか、わっかるかなぁ〜。本当は頭も打ったのかも知れません。
 肘はちょっと痛むので、保冷剤で冷やしています。明日、木魚叩けるでしょうか・・・。

〜 先端を切り落とした後の木こり姿。撮影−ライブカメラ 写真提供−Wさん 〜
2006年9月9日(土)  No.1120

ネットショッピング
 一つ、また一つと、小さな宅配便が届きました。一つは本、もう一つはパソコンのパーツ、USBメモリです。

 考えてみれば、日常品を除いて、最近、ほとんどの買い物をネット通販でしています。
 銀行の振り込みや残高照会、自動車保険の更新、先日登山をしたときの高速バスのチケット、もちろんホテルの予約も、パソコン、電化製品・・・鞄も買いました。もう、ネットということを意識せず、ごく当たり前のことになっています。

 今日、届いた本にしても、わざわざ書店に行っても在庫はないし、注文したらまた取りに行かなければなりませんが、ネット書店だとすぐに送料無料で届けてくれます。
 平積みしてある本をパラパラめくって、「これは面白そう!」と発掘の喜びを味わうには書店に行かなければなりませんが、それ以外はネット書店のほうがボクには便利です。

 USBメモリも、店頭にたくさんある中から一つを選ぶのは大変ですが、ネットだと性能などをいろいろ調べてから購入できますし、店頭の方が安いということは、送料を支払ってもまずありません。

 そう考えると、ここ数年、ネットを使うことで買い物などはとても省力化、スピード化、低価格化されました。その分、衝動買いが増えてしまったかな?

 でも、衝動買いでいえば、100円ショップやホームセンターでしている‘つまらない買い物’のほうがよほど多いかも知れません。つい買ってしまって、結局使っていない、役に立たないというものが結構あります。
 ソーラーの庭園灯、これは蛍程度にしか光りませんでした。電撃殺虫器。買ってきてよく見たら「室内専用」と書いてあり、「こんなもの部屋の中に吊しておけない」と、軒先に吊したまま結局1回も使っていません。

 ネットショッピングの最後のネックは、結局は代金として引き落とされるお金をちゃんと銀行に入れておかなければいけないこと。うちは給料振り込みではありませんので、実際に入金に行かなければなりません。

 閑話ネタがなかったので思いつきを書き始めましたが、しょうもないことをダラダラ書いてしまいましたぁ〜。こりゃぁ、あかんわ。

〜 役に立たせていない電撃殺虫器 〜

2006年9月8日(金)  No.1119

‘穴’開きが売りの靴
 友人が出品している版画展に行き、別の友人との食事まで時間が余ったので、デパートをうろうろしました。

 デパートでうろうろするのって、何年ぶりでしょう。行ったとしてもササッと用事だけ済ませて帰るばかりなので、ゆっくり見て回ることなど普段はありません。

 アクセサリー、傘、紳士用品、食器、タオル、工芸品、雑貨、食料品、スゥイーツ・・・。

 それにしても、デパートって、どうしてあんなに店員さんが多いのでしょう。ほとんどは派遣社員でしょうが、売り場によっては店員だらけ。団子になってしゃべっていたり、レジカウンターの中で櫛で髪を梳かしていたり。
 「こんな人件費ばかりかかっているようなところでは買いたくないなぁ」と思いつつ、ワゴンバーゲンのマグカップを買いました。

 入り口やエレベーターのところに置いてある機械にカードを突っ込んでいる人を頻繁に見ます。覗き込むと、‘ポイント’という文字が見えました。「はっはぁー、これが‘来店ポイント’とかいうものか・・・」と、まるでお上りさん。

 そうこうするうちに時間が来て、友人と恐怖のフレンチを食べて店を出たら、歩道が濡れて水たまりの出来ているところもあります。食べている間に、結構、雨が降ったようです。

 ごく浅い水たまりが目前に現れましたが、避けるほどのものでもないと思ってそのまま突っ込んだ瞬間、‘水’を感じました。

 「おかしいなぁ。この靴、まだ買ってすぐで、今日で履くのは2回目。穴が開いているわけないしなぁ」と、側のビルに寄りかかって靴底をよく見たら、何やらメッシュが見えます。靴を脱いでその部分を触ってみたら、なんと中敷きの下はそのメッシュで、申し訳程度にわずかなソールが付いているだけ。まさに、‘穴’が開いている靴だったのです。

 帰ってその靴の‘売り文句’を見てみると、「通気性も良く、足ムレを解消します」などと書いてあります。そりゃぁー、‘穴’が開いているんだから・・・。冬は足先から冷たさがダイレクトに入ってくるのが目に見えています。夏でも、焼けたアスファルトの上を歩いたら熱気が入ってくるかも知れません。

 この靴は、気候が良い頃の、晴天限定のもの? ‘TRAVELLER’という商品なのですが、天気のいい日ばかり旅行に行くのじゃないぞ!

 「板子一枚下は地獄」という言い方がありますが、「中敷き一枚下は地面」というような靴でした。そういえば、安かったかも・・・。

〜 つま先と土踏まずの部分がメッシュになっている靴 〜

2006年9月7日(木)  No.1118

意気消沈
 テレビは朝から親王様ご誕生一色。何だかきれいごとばかり伝えている気がします。まぁ、しょうがないですが・・・。

 この重圧から病気にまでなられた方は、これで楽になられるのか、ますますお苦しみになるのか、そのほうが気がかりです。時間をかけてよくなっていただきたいと願います。


 体調は下降線。どうも軽い風邪を引いたみたいです。蒸し暑いと思ってエアコンをかけると寒いし、夜、窓を開けて寝ると涼しすぎたりと、‘快適な環境’を作り出すのに毎日苦労する季節の変わり目です。

 今日自宅へお参りに伺う予定の詩吟の先生も風邪をひかれたようで、キャンセル。

 「こういう時は汗をかかなきゃ」と庭仕事をしていたら雨。「そうだ! 盗難監視カメラに雨対策をしないと!」と、カメラをビニール袋で包み、偽装のための葉っぱを張り付けました。我ながら可笑しい光景です。

 結局、どうも意気の上がらない一日で、やらなければいけないことを放って、早々と寝てしまいました。

〜 葉っぱに偽装したカメラ 〜
2006年9月6日(水)  No.1117

‘山’切れ状態
 せっかく準備万端ととのえているのに、花盗人は現れず。

 時々、「カメラは盗られていないかな?」などと点検に行っています。苗はタダですが、カメラは高価なのですか。

 でも、そんなにすぐに現れるという‘期待’もしていないので、花盗人のことはほとんど意識の外。心まで盗まれていません。


 10月に東京の仏教系の学校で講義をして欲しいと頼まれたので、どう進めるか、構想を練りました。

 3年前に京都の学校の講師をクビ(学科がなくなってしまい)になってから、授業などしたことがないので、勘が取り戻せません。というより、以前は学生とワイワイやっていただけで、講義らしい講義はほとんどしたことがありません。しゃべるのは苦手なのです。

 内容は、‘仏教とターミナルケア’のようなことらしいのですが、ターミナルケア云々以前に、のほほんとしている若い僧侶候補生のネジを巻きたい。「葬式・法事ばかりして、いい車に乗ってるな! もっと、生身の人間と関われ!」とお説教したい気分です。伝わらないだろうなぁ・・・。


 じっと原稿を考えていると、「あー、山歩きたい!」という気持が湧き起こってきます。エンドルフィンが、「私を出させて。一緒に楽しみましょう!」と分泌されたがって誘ってくる感じ。

 せっかく山モードになっていた体も、すっかり平地モード、メタボリック・モードです。

 最近、NHKで夜に放送している『日本の名峰』ですが、ぜんぜん‘空気’や‘温度’が伝わってきません。ハイビジョンで見ていないからでしょうか。いつも途中で寝てしまいます。

〜 ダンボールに引きこもるさくら 〜
2006年9月5日(火)  No.1115

坊主ポリス、おとり捜査開始!
 今年になってもう何本盗られたかわからない紫陽花や山吹の苗。しばらく盗られなかったのですが、27日、山に出かける朝には、山吹の苗3本がなくなっていました。

 このままでは何を植えても盗られるばかり。何も植えられません。

 「何とかしなきゃなぁー。時間ができたら、泥棒対策をしよう」と、お盆前から考えていました。


 高校時代の恩師の追悼法要の案内を、東北〜九州に散らばっている同窓生140名ほどに出し、お彼岸の案内を檀家さんに出して、さぁ、いざ泥棒対策!


 「泥棒撃退&逮捕装置」の仕組みは、もうしっかり考えてあります。

 泥棒は、地面に植わっている苗を引っこ抜いて盗っていきます。苗にスイッチの紐をくくり付け、泥棒が苗を盗ろうすると紐が引っ張られてスイッチが入るようにしておきます。
 スイッチがONになると、ベルが鳴って、投光器が点きます。ベルは、「いま泥棒が来てる!」と知らせると共に、威嚇のためです。投光器は、夜でも泥棒の姿がカメラに写るようにするための照明です。

 苗に向けてカメラを据えておき、苗の回りで何かが動くと撮影が始まるように設定しておきます。赤外線カメラではないので、夜は動きを感知できませんが、その代わり、泥棒が苗を盗ろうとした時には投光器が点くので、その時、カメラが動きを察知して撮影してくれます。

 おとり用に新たな山吹の苗を植え、スイッチの紐をくくりつけて、見えないように土をかけました。ベルや投光器の配線をして、カメラを据えてノートパソコンで設定。

 作業自体は難しくありませんが、投光器やカメラは泥棒を照らしたり撮したりしなければなりませんので、逆に考えると泥棒から見える位置に置かざるを得ません。それをどうカモフラージュするか。それが一番の課題。

 「よっしゃぁー! 出来た!」

 ボクの予想では、泥棒が来るのは早朝。夜真っ暗な中では苗も見えないでしょうから、おそらく、早朝の空が白んできた頃に来ているのだと思います。

 さぁ、手ぐすね引いて待ってるよ! いつでもお出で! でも、考えなおして、泥棒はおよし! それが一番。

〜 手前のぼやけているのがおとりに植えた山吹。その向こうにカメラ 〜
2006年9月4日(月)  No.1114

遠隔操作
 金曜日の「今日の散歩道」の更新が終わってお風呂に入り、「ちょっとほっこりしたいなぁ・・ビールを呑みながら、ぼけっとテレビでも見よう」とリモコンを押しましたが、無反応。
 電池がなくなったのかと思って交換し、また押しましたが無反応。リモコンが逝ってしまったみたい。

 リモコンは、TV&ビデオ&DVDのもの。リモコンがないと面倒くさいし、ビデオの予約など、どうしたらいいのかわかりません。

 昨日、リモコンを分解し、接点の劣化が原因かと思って、アルミ箔で修理してみたりしましたが、やはりダメ。発信部の赤外線LEDが壊れているのかも知れません。

 パーツ屋さんに行って買ってこようかなぁとも思いましたが、オークションに同じ型のリモコンが出ていないか調べてみました。

 すると、ありました、ありました。「対応機種についてはわかりません」と書いてありますが、添付されている写真を見ると、型番は同じ。メーカーに注文しても、届くまでには結構時間がかかるでしょうから、GETすることにしました。
 出品者が「この価格でなら、すぐ売りたい」という希望落札価格が設定されていたので、その価格を入札して即落札。40分ほどして、新潟・三条市在住の出品者から、振込先などを書いたメールが来たので、すぐにネットバンクで振り込みました。

 EXPACK500の追跡サイトで見ていると、リモコンは夕方には新潟の地方局から本局を通過し、今日の朝には京都の中央局に。そこで5時間も止まって、昼過ぎに左京局に到着。車なら30分もかからないのに・・・。そして午後3時前には配達されました。
 落札してから24時間。土日だったのに、すごいスピードです。

 早速電池を入れて使ってみましたが、バッチリ完全に動作します。その上、今まで使っていたリモコンよりも綺麗です。

 あー、よかった、よかった。インターネットの有り難さを実感しました。

〜 新旧リモコン 〜
2006年9月3日(日)  No.1113

元気どす
 山の疲れはナシ! かえって普段より、頭がスッキリしています。

 適度な運動を空気の薄い高所でして、空気の濃い下界に下りた結果、‘酸素バー’にでもいるような状態になっているのでしょうか? 何だか、体の隅々まで酸素が行き届いている気がします。

 でも、まさかわずか3000メートルに3日間いただけで、高所トレーニングをしたような結果にはならないはず。
 ‘いい感じ’なのは嬉しいのですが、明日あたりには普段のボヤッとした頭に戻ってしまうのかも知れません。あーーー。


 今日は「メダカの学校」。テーマは「京ことば」。

 京都の言葉といえば、「・・・どす」とか「おおきに」が有名ですが、講師の方にいただいた「知っといやすか 京ことば」という資料には、知らない言葉がいっぱい。

 「アモ」「ウサル」「エズクロシイ」「エンバント」「キズイ」「グツ」「コートナ」「スミクダ」・・・・・・・・。まるで、東北か沖縄の言葉みたい。

 代々京都に住んでおられる方でもわからない言葉も多いようですが、西陣や室町あたりの呉服や染色などの仕事に携わっている方には、まだ結構伝わっているようです。

 うちは、祖父は群馬、祖母は丹後、父は千葉と、生粋の京都人家系ではありません。ですから、家の中に本当に京都弁が飛び交っている環境ではないので、資料の言葉がわからないのも当然かも知れません。

 いまのご時世に京都弁を聞こうと思ったら、伝統産業に関わっておられるような家の余程のお年寄りを見つけるか、舞妓さんなどの‘教育された’京都弁を聞くしかないのかも知れません。

 なんか、「じゅんさい」な今日の閑話。あかんわ。
〜 夕焼けの東の空 〜
2006年9月2日(土)  No.1112

‘訳あり’の鞄
 今日になっても、山へ行った後遺症の筋肉痛や疲れが出てきません。筋肉痛については、1週間ほど前にした足慣らしが効いているのかも知れません。疲れを感じないのは、やはり歩く時間が短く、全体的にあまりハードではなかったからかな?
 アルプスに行って、こんなに平気なのは初めてです。


 体は平気でも、頭は呆けているのか(いつもですが)、今日が「今日の散歩道」の更新日であることに、昨日になって気がつきました。もう1日あると思っていたのですが・・・。

 折悪しく、今日は午後から大津・坂本で会議。午後の時間はまるで潰れてしまいます。

 この会議、東京から参加される方が金曜日しか都合が付かないため、いつも更新日と重なります。
 朝のうちに少し写真を撮り、昼食を食べて出かけました。


 数ヶ月前、ネット通販で鞄を衝動買いしました。何かの拍子で、鞄を製造しているメーカーのホームページに辿り着き、「訳あり」のダレスバッグというのを注文してしまいました。

 ダレスバッグというのがどんなものかなど知っていたわけもなく、ただ写真を見て、「会議にちょうどいいなぁ。今の鞄もくたびれてきているから」と思っただけ。
 「訳あり」というのは、若手の見習い職人が腕を磨くために作ったもので、ベテラン職人が最終チェックと手直しをしているということでした。

 鞄や時計に凝ったりこだわるという趣味はまったくなく、実用性と価格が買い物をするときの最優先事項であるボクとしては、「あ、これ、買っちゃおう」と、気軽に【ご注文】ボタンをクリックしてしまいました。

 それから、「今、制作途中です。お楽しみに」というようなメールが来て、約1ヶ月後の出来上がった時には、「ご注文の“訳ありダレスバッグ“が昨夜出来上がりました。現物写真を下記のURLにアップロードしましたのでご確認ください。こちらの商品でご納得いただければ正式発注をお願いいたします」というメールが届きました。

 もちろん、迷わず正式発注し、ネットバンクでお金を振り込んで、翌々日には鞄が届きました。出来がいいのか悪いのか、ボクにはよくわかりませんが、しっかりとした、書類のたくさん入りそうな鞄でした。

 それから数ヶ月、使うこともなく箱に入れたままの鞄が、ようやく今日、日の目を見ました。

 ただ、今日の会議に必要なのは小さなノートPCだけ。書類もなければ、資料や本も要りません。大きな目の鞄の中で小さなノートPCが、あっちに行ったりこっちに行ったり。

 会議が終わって帰り、鞄はまた箱の中へしまっておきました。次に使うのは、10月の会議の時かな?


 それから夕方の境内に出て写真を撮り、更新が終わったのは、また日付が変わった後でした。

 次の会議も金曜日。今度は勘違いしないようにしないと・・・。

〜 訳ありダレスバッグ 〜
2006年9月1日(金)  No.1111

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