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2004年9月の日記

繰り上げ更新
 ホームページの定例更新日の明日は法要や会議で忙しく、土曜日も会議と「メダカの学校」があるために、急遽、今日更新作業をすることにしました。

 「台風一過」の天気となったのは、午後しばらく経ってから。朝のうちは、時々時雨れたり曇ったり、午後もとても風が強く、小さな花のアップの写真を撮るのには苦労しました。

 夜、寝る時に布団をかけないと涼しくて寝られないようになってきました。

 秋も深まってきました。

 最近、食欲がありすぎて困ってます。ご飯も一膳で止めておこうと思うのですが、ついつい…このままでは大変なことになります。

〜 更新選外の写真「花の木」。上のほうはこんなに色づいてきました 〜
2004年9月30日(木)  No.401

十六夜台風
 またもや台風到来。

 お昼前、墓前回向をしていたら、急に横殴りのどしゃ降り。お焼香の火も消えてしまいそう…かと思っていたら、いきなり雨が上がり、一転して強い陽がさしてきました。
 なんだぁ、この天気は。

 午後はずっと強風が吹いていました。外に出ると、小枝が折れたりしていました。

 夜、台風は今年到来したものの中で、最も京都市に接近したと思われますが、気が付かない間に通り過ぎていたという感じ。

 かえって午後のほうが風が強かった気がしますし、吹き返しの風もありませんでした。

 今夜は十六夜。今年は、十五夜も十六夜も見られませんでした。
2004年9月29日(水)  No.400

別請竪義
 延暦寺で「別請竪義べっしょうりゅうぎ」という特別な行事があり、参列しました。

 「別請竪義」は、天台宗の最高の法階である「探題たんだい」への関門で、数年に1度不定期に行われ、口頭試問の儀式が10数時間にわたって続く特別な行事です。

 今回、試問を受けるのはお二人で、これを経て、天台座主への階段を上られます。

 お二人それぞれの行列が大講堂前に着いた後、試験官役の「探題」が、高張り提灯を先頭に輿に乗って到着。

 それぞれが堂内に入られた後、お堂の扉は閉められ、参列者はお堂の裏から真っ暗な堂内に入ります。

 後は問答の繰り返し。我々参列者は、御簾越しにその様子を拝します。

 ほんのさわりの部分だけを拝し、参列者はお堂の外へ。後は延々と問答が続けられ、終わるのは夜中の2時頃とか。
 皆さん最高位におられる方で、ご高齢な身。大変なことでしょう。


 ボクは今回試験を受ける「竪者りっしゃ」となられた兵庫県の書写山円経寺貫主の関係者として参列させていただきました。

 御簾越しの行事はとても幻想的。この行事に参列できることは、今後あるかないか。今回はとても稀な縁に恵まれました。


 比叡山の上はもっと涼しいかと思っていましたが、暑い暑い。参列は冬の衣に加えて、帽子(襟巻き)を着用と定められていたので、汗だくでした。

〜 延暦寺大講堂。この中で秘儀が続きます 〜
2004年9月28日(火)  No.399

裏口からの出棺?
 京都のお葬式も様変わりし、少し前までは自宅葬が多かったのに、最近は葬祭場での葬儀が大半になりました。

 今日、行った葬祭場はもともと外車の展示場だったところ。

 ショーウィンドウだったところはシャッターが降りて、外からはまったく何の建物なのかわかりません。

 近くに住む人に、「あの外車のあったところでお葬式です」と言ったら、「ええ! あそこ、そうなの!」と驚いておられました。

 内閣府政府広報室が、葬祭場ができることに対して、近隣住民アンケート調査を行っています。それによると、協力する 6.2% どちらかといえば協力する 20.1% どちらかといえば反対する 30.3% 反対する 30.0% どちらともいえない 10.0% わからない 3.3%となっています。

 葬祭場は、住民反対運動の対象。京都でも、葬祭場が急増していますが、計画が明らかになった段階で反対運動が起こることが多く、OPENしてからも「反対!」の幟が立っていることもあります。

 そういうこともあってか、近隣への配慮か、外からは何の建物かわからない葬祭場も増えています。
 今日の会場もまさにそうでした。

 葬儀のシェアー争いも白熱しているそうで、今日、葬儀をあげた方の自宅にも、つい1週間ほど前に葬儀業者の会員勧誘があったとか。その縁で、今日の会場が決まったとのことでした。

 車の展示場を急いで模様替えしたことがありありとわかる式場。出棺は、裏手の勝手口のような、ようやく棺が通れるような狭いドアから。
 「何だか隠れて出棺しているようだなぁ」と思いました。

 簡素・質素と威厳・厳粛は違うのになぁ。


 ネットで見ていたら、病院協会のバレーボール大会に葬祭業者が協賛していました。
 病院のメモ帳にも葬祭業者の名前。病院が行事をすると、参列者送迎用のバスが無償でお迎えに。
 ご遺体を病院から自宅や葬祭場へお送りする寝台車をとった業者が、引き続いて葬儀も請け負うのが常。

 死後の世界も欲まみれです。一部のお寺もですが…。
2004年9月27日(月)  No.398

また、一皮剥ける
 今日も、墓参の方はボチボチでした。墓地へ行ったり来たり。


 その合間に、自室の掃除をしました。綺麗になって、気分もスッキリ! あちこちから小銭が出てきて、ちょっと得した気分です。

 扇風機をしまってしまおうかと思いましたが、まだしばらくは要りそうです。


 夜、入浴の時に頭を剃っていたら、また一皮剥けました。どうしてこんなに剥けるのでしょう。

 「このまま剥け続けたら、どうなるのだろう…」と、一瞬、あり得ないことを想像しました。


 季節の変わり目だからでしょうか、お天気がスッキリしないせいでしょうか、心や体のバランスを崩している人が結構多いようです。

 ボクの咳も、イマイチ。なかなか医者に行けません。
2004年9月26日(日)  No.397

開店休業
 お彼岸中の土曜日。さぞかし墓参の人も多かろうと、朝から住職と2人、手ぐすねひいて待っていました。

 ところが、来る人はまばらで、ほとんど開店休業状態。

 住職は白衣に帽子をかぶった変な格好で、菊の手入れ。ボクも白衣にスコップで、穴掘り。いかにも中途半端。

 こんな状態で2人共待機しているのはもったいないと、「後、頼んます」と住職に墓前回向を委ね、午後からは庭の手入れをしました。

 彼岸もお中日を過ぎると、もう彼岸を過ぎたような感覚の方が多いのでしょうか? 明日もこんな調子かなぁ。


 夕方からボランティアの会議。結構長〜い会議でした。

 帰りに見た雲間に顔を出したお月さまがすご〜く綺麗! もうすぐ中秋の名月です。
2004年9月25日(土)  No.396

一皮剥ける
 今日は、1日、安静にしていました。おかげで、気管支の調子も上向きです。

 今日のお天気には翻弄されました。

 起き抜けは快晴。しばらくたって、雨。すぐにあがって、曇り空からだんだん晴れて、急に曇って、スコールと雷。

 雷の時、テレビがビッシッ!と音を立てたので、爆発するのかと思わず身構えました。

 その後は、晴れたり曇ったり。なんという天気でしょう。


 夜、お風呂に入ったついでに頭を剃ったら、頭皮がボロボロと剥がれてきました。

 昨日、何もかぶらずにカンカン照りの中にいたものですから、すっかり日焼けしたのでしょう。

 それにしても、昨日の今日で、もう剥けてくるとは手回しのいいこと。新陳代謝が活発ということで、まだまだ絶好調ということでしょうね。


 今日も早めに寝て、体調を復活させないと。
〜 樋から溢れ落ちる雨 〜
2004年9月24日(金)  No.395

彼岸お中日
 お彼岸の中日。

 混んでいるため、お中日を避ける人が増えたとはいっても、なんてたって中日。朝8時前から夕方5時前まで、約100軒の方が墓参されました。

 寺に来られた方に経木塔婆をお渡しして、墓前で回向をします。

 住職とボクはほとんど墓地に出ずっぱりで、寺から回向に来られた方の名前を書いたメモが伝令によって回ってきます。

 ところが、これがなかなかスムーズには運びません。

 墓地の掃除を済ませ、花などを供えてからお寺に来られる方、真っ先にお寺に来られる方、ご主人が墓地の準備をされている間に奥さんがお寺に来られる方など様々で、お寺に来られた順番に行ったのでは、早すぎたり、遅すぎたりということが起こります。

 10反ほどの墓地は、墓石があって(当たり前ですが)、見通しがききません。

 お年寄りはゆっくり、一人で来られている男性は早く歩かれ、またお参りをされるペースも、ゆっくり1時間近くかけてという方もあれば、恐いもののようにすっ飛んで帰られる方もおられます。

 そんな状態の中で、住職と2人で、墓地の中を行ったり来たり。

 ピークは11時前から1時頃で、水を汲むところには行列が出来、通路も混雑します。

 住職などは、墓地の前に檀家の方が来られたら、準備が出来たかどうかは関係なしに拝み始めますが、ボクは一応準備が出来るまで待って、その間に他のお墓にお参りに行ったりすると、なかなか元の方のところへ戻れなくなって、元の方は待ちきれずに帰ってしまわれるということも起こります。

 とにもかくにも、今日は咳き込みながらも、何とか乗り切りました。


 墓地の回りのお堂の屋根や木には、数十羽のカラスが高みの見物。

 墓参の方が、お供え物をそのまま供えて帰られようものなら、一気に10羽以上のカラスがそれを目指してサァーッと低空飛行で集中します。それは、間髪を入れないほどの素早さです。

 空には、ミカンをくわえたり、ビニール袋をくわえたカラスが往来していました。

 カラスの鳴き声にも個性があって、「カァー」と普通に鳴くものもあれば、「ガァー」と濁るもの、中には「アワワ アワワ」と奇妙な鳴き声を上げるものもあり、子供がそれを真似て、笑いを誘っていました。

 お供え物は、ほとんどカラスが獲得しますが、残ったものは犬か、翌早朝に訪れる“人”がさらえ、翌日にはすっかりなくなっています。


 お彼岸の中日は、夕陽が真西に沈みます。その夕陽を拝みながら、阿弥陀如来の西方極楽浄土をイメージする。古来から行われている「日想観」というイメージ法です。

 残念ながら、5時過ぎからの雷雨で、夕陽は見えませんでした。

〜 人波の続く墓地 〜
2004年9月23日(木)  No.394

鈴虫鳴き止む
 午前中は、檀家宅とお墓での読経をこなしていたのですが、午後はグロッキー。住職にまかせて、寝たり起きたり。

 気管支の調子が悪い時に声を出すのは、難行です。

 明日は彼岸の中日。1日中の墓前回向なので、よくなってくれないと困ります。


 急に涼しくなったと思ったら、鈴虫の鳴く声がピタリと止まりました。

 見てみると、どのケースも、鈴虫の数が少し減っています。死骸の欠片もありませんが、雄が雌に食われとしか考えられません。

 あわれなり、雄。
2004年9月22日(水)  No.393

暑いけど、秋ムード
 午後から、東山七条 養源院の「大般若転読会法要」。毎年、正(1)・5・9の「三斎月」の21日に勤められます。

 インドの在家信者が1・5・9月に行を修してきた風習が、中国を経て日本に伝わり、日本では「忌むべき月として結婚などを禁じ、災厄をはらうために神仏に参詣した『広辞苑』」のです。

 暑い時の大般若は酷。大声を出して、経本を繰ったりする動きのある法要に、汗また汗。腕の汗で袖口がくっついて、手が上がりにくくなるしまつ。

 でも、まぁこれが終われば、暑さも終息でしょう。


 終わって、11月の「メダカの学校」の講師を依頼しに、JAのビルに入っている「京のふるさと産品価格流通安定協会」へ行って、京野菜の話をいろいろ聞かせていただきました。

 ボクが日頃から「不味い!」と言っている鹿ヶ谷かぼちゃは、青森の菊座という和かぼちゃが起源で、京都で栽培されるうちに胴がくびれた形に変わっていったのだとか。
 今、多くの他府県で「京野菜」が栽培されていますが、京都に合うように変容した種にとっては、他府県の風土ではその特徴が十分には発揮されず、味も違うのだ、とうような話を聞かせてもらいました。
 とても面白かったです。


 最後に、ボランティアの事務所に。養源院でいただいた御供養の赤飯をいただきながら、パソコンのメンテナンスと会議。
 ガレージセールへカレー屋を出す相談。これも秋の恒例行事。紅葉の頃に、自坊でボランティアの人たちの鋭気を養ってもらう会を開こうという相談も持ち上がりました。

 いろいろと行事が目白押しの秋。いよいよという気分になってきました。


 気管支が不調で、吸入をしながらの1日。しんどぉー。
2004年9月21日(火)  No.392

彼岸の入り
 今日は彼岸の入り。敬老の日と重なって祝日。

 自坊の秋の彼岸は、訪れた檀家の方の墓前で回向をするのを行事としていて、まとまった法要は勤めません。

 法要を1座するほうがずっと楽で、彼岸の間中、墓前回向をするのは大変。塔頭で、唯一、墓地と接している地の利を生かして、数十年前に住職が始めました。

 平日は4時まで、日祝日は終日、墓前回向をさせていただきますと、檀家の方には連絡してあります。

 今朝は7時頃からお参りの方が見え始め、9時頃には墓地に出ずっぱり状態になりました。
 午後2時過ぎには、人も減ってきて、住職と2人がかりになるほどでもないので、ボクが“担当”。

 5時半に来られた方が最終でした。

 蒸し暑〜く、午後からは日も照って防御無しの頭には厳しい日となり、暇があったら水分補給をしていました。


 日も替わって21日、午前3時前、門の脇の戸が開く音がしました。

 「新聞屋さんにはまだ早い…誰だろう」と窓から覗くと、誰か出て行く人影が見えました。
 「誰だろう? 泥棒の下見?」と気になり、懐中電灯を持って門内を見ましたが、特に変化はナシ。

 朝になって、置いてあるお布施を見つけました。「お参りなの…あの時間に…」。

 いくら何でも早すぎるというのか、遅すぎるというのか。真っ暗なお墓に行かれたのでしょうか。
 なんでまたそんな時間に…。
2004年9月20日(月)  No.391

庭の復旧作業
 連休とはいうものの、明日が彼岸の入りなので、墓参の人はまばら。何だか肩すかしで、かといって出かけるわけにもいかず、庭の手入れをしました。

 8月の大雨で、自坊の庭の土が流れ出し、苔などもひどい状態になってしまっていました。

 早く修復しようとは思っていましたが、その後、激しい夕立が続いたりしたので、「今なおしても、また夕立で荒れてしまうのでは…」とその気になれず、放ったらかし状態でした。
 秋になると、来客も増えるし、11月には茶会もあるので、そろそろ直さないといけません。

 境内の適当な土を一輪車で運んで、庭の土が流れ出した部分に入れ、土まみれになってしまった砂利を水で洗って復旧する、そんな作業なのですが、時折雨がパラつき、蒸し暑くってたまりません。おまけに砂利を洗っている時に、ホースのジョイントが外れてズボンはボトボト。2回、着替えました。

 作業はまだまだ緒に就いたばかり。当分かかります。

 先日、ミーコに襲撃された蹲いの回りに金網をはりました。当面、ミーコが諦めるまでの間の臨時措置です。
 ミーコが金網越しに恨めしそうに小鳥を見ているのを、こっそり見てみたいです。

〜 蹲の回りの金網 〜
2004年9月19日(日)  No.390

25年ぶりの再開
 夕立が去った後、1人の人が訪ねて来られました。

 取り次がれた時にその人の名前を聞いただけで、すぐにわかりました。大学時代のクラブの先輩であることが。

 「どんなふうに変わっているだろう…」と恐る恐る玄関の戸を開けたら、学生の頃とほとんど変わっていないその人の姿がありました。

 会うのは25年ぶり。彼が卒業して以来です。

 卒業してから、およそ似つかわしくない大手の証券会社に就職。そこを辞めたという風の噂でしたが、辞めてはいずに、今は広島支店長。

 明日、東京の人とゴルフをするのに、ちょうど中間ということで滋賀県に決まり、早めに来て、今日は京都をブラブラするのだということでした。

 彼は、美術部でエッチングや陶芸、写真をやり、ボクは陶芸と写真をやっていました。
 暗室や窯場がうちにあったので、彼はよく家に来て、写真を引き伸ばしたり、ロクロを回したりしていました。

 彼の留守中に、駒ヶ根の実家に泊めてもらい、鯉こくをご馳走になったこともありました。

 小一時間話して、ボクは法要へ、彼は大学へ行き、その後、祇園で落ち合い、彼の元部下やクラブの友人を交えて宴会。

 1次会は会社の経費、いつも行くお茶屋さんスナックでの2次会はボクのオゴリになっちゃいました。超特大出費! しばらく、お粥をすすらなければ…。

 厳しい業界で走り続けてきたわりには、極めて大雑把で、そのくせ細かい気遣いがあるところは全然変わってなく、25年ぶりとは思えない再開を楽しみました。
2004年9月18日(土)  No.389

花押、できる!
 夜、超宗派の僧侶の会「薄伽梵KYOTO」の月例会。

 8月末に開催の予定が台風で流会になったので、その代わりの開催。そのためか、なかなか出席者が揃いません。

 参加者が増えるのを待ちつつ雑談。

 お経の話、噴霧器の話、改築の話、その他様々な情報交換。この会の醍醐味は雑談だと言い切ってもいいくらい。利害抜きで、いろいろな話ができるのが素晴らしい!

 そのうち、話題の中心は花押の話へ。

 先日、吉野山で友人の著書の校正をした時、講演会の後に著者のサインをして本を買って貰おうと打ち合わせをし、そのサインには花押がいいだろうということになりました。

 帰ってさっそく、日展の入選歴のある禅宗の会員に、友人の花押の作成を依頼。その会員が、今日、花押を持ってきてくださいました。

 天台宗の僧侶で花押を使うことなどまずありませんが、禅家では使う機会もあるのだとか。
 特に、大徳寺山内などでは、本山で署名をする時や茶道の世界でも必要だということでした。

 例会は、たちまち花押教室。

 書家でもあるその会員は、大学生の時に日展に入選した後、その体質が嫌で、以後出展しなくなったという反骨の主。今は、僧侶に書道を教えたりされていて、能筆であり、書の碩学といっても褒め過ぎではないでしょう。

 出席した会員の花押を、花押の時代的な変遷や解説交えながら、書いてくださいました。
 そして、ボクの花押も。

 月例会の本題に入るまでに、すでに1時間以上が経過。結局、今日の出席者は5名だけでした。

 メインの議題であった、ミニFM局に月1〜2回程度の番組を持つという話も、何とか進展しました。

 それにしても、この花押、いつ使おう……ボクも本を出さなきゃ!

〜 「純」の花押2種 〜
2004年9月17日(金)  No.388

パソコン三昧
 朝から晩までパソコン三昧。

 昨日の会議で、業者に出したら200万円かかるホームページを、とりあえず自前で作ってみることになってしまったのです。

 か〜なり大変です。1ヶ月はかかりますねぇ。


 パソコンばかり触っていると、時々、動きたくなります。

 先日買ってきたカビ取り剤が、とってもよく効きます。ちょっと、今、マイブームです。

 パソコンの合間に、浴室のブラインドのカビ取りをしてみることにしました。ブラインドって、本当に掃除しにくいですね。カビ取りも、今まで何回か挑戦しましたが、うまく行きませんでした。

 果たして今回は……。

 ん〜、まずまず綺麗になりましたが、古くなって塗装が痛みかけたブラインドには、カビ取り剤は過酷のようでした。

 気が付いてみると、履いていた黒いズボンに点々と水玉模様が……。 あーー!

 塩素系のカビ取り剤で漂白されてしまったのです。

 マイッタなぁ。一張羅のユニクロのズボンだったのに……。
2004年9月16日(木)  No.387

蕎麦・サンドウィッチ・刺身
 秋晴れの空、最近、食べるものが美味しくて…。

 お昼前から、大津坂本で会議。お昼ご飯は、坂本の老舗の蕎麦。

 8月の会議の昼食は、出席者から「蕎麦じゃぁ、お腹が空いていかんがな。丼でもなんでもいいから、他のもんにできんかなぁ」と提案があり、幕の内に変更になったものの、今日の会議はまた別の集まりなので、やっぱり蕎麦。

 ん〜、食欲が高まっている今日この頃には、ちょっと頼りないなぁ。


 終わって、今度はボランティアの会議に、京都の西へ。

 夕食時になっていたものの、食べている時間がなかったので、コンビニのサンドウィッチとジュースでお腹の虫押さえ。

 会議が終わって、パソコンのサポートが終わったのは10時前。


 蕎麦とサンドウィッチではお腹が空いていなぁ……帰りにスーパーで100円引きになった刺身を買って、冷酒を呑みながらいただきました。

 なーんかアンバランスな食生活。
2004年9月15日(水)  No.386

証券会社に行く
 証券会社に、「お金を預けに行きました」と言ったらいいのか、「商品を買いに行きました」というのか……。

 「銀行の普通預金よりは有利やし、リスクも分散されているさかい」

 「お寺のお金やから、減らすわけにはいかんよ」

 「私も関係あるんやから、危ないものは勧めへんわよ」

と、証券会社の営業をやっている檀家の女性にタメ口で勧められ、海外国債ファンドを契約することに。

 「来てくれた方が早いんけどなぁ」と言われ、四条通の店舗へ。行くのは2回目ですが、どうも馴染めません。

 入ると、株式相場の大きな電光掲示板があって、その前にたくさんの比較的年輩の人たちが、椅子に座ったり、掲示板を覗き込んだりしながら、たむろしていました。
 ボクは見ても、一向にわかりません。

 カウンターの中では、女性の店員さんが忙しそうに小走りにウロウロしておられます。

 カウンターに座ると、隣の席には、株売買の手続きをしていると思われる70才前の女性が、『会社四季報』をパラパラ繰りながら、銘柄の相談をしておられました。

 その向こうの席では、何だか胡散臭さそうなお年寄りが、大きな声で何やら相談中の模様。

 何だかよくわからない、まったく異次元の世界です。

 手続きの書類などを書き、こわごわ持っていったお金を渡して、やれやれ一仕事終了。

 会社から、ラップやタッパーなど新規契約の景品を貰い、「これ、私からやし」と重たい洗濯洗剤や飲むお酢などをいただいて帰りました。

 あー、疲れたぁ。
2004年9月14日(火)  No.385

たらふく頂戴しました
 お檀家へ月参りを終えて自坊で法要。

 ウィークデイなのに……今日の法要は美容院の方。月曜日に法要をされるのは、ほぼ100%理容業に関わっておられる方です。


 午後からはボランティアの研修と事務所のパソコンのサポート。4台のPCの間をクルクル。いくらやってもキリがない……。


 夜はボランティア仲間との食事会。

 ボクがネットで探して予約したのは、四条烏丸近くの創作料理店。「看板がない」という下調べ通り、何も店の名前を示すものはなく、「営業中」という札だけ。ネットで見た入り口の写真を頼りに、お店を特定しました。

 店は、民家を改造した少し古ぼけた感じ。冷蔵庫などが露出していたり、ラッチの壊れている戸が開かないように紙が挟んであるなど、雰囲気にももう少し気を配った方がいいのにと思わせるような店内。

 予約の時に2500円のコースを頼んであるので、飲み物を決めたら、即料理が出てきました。
 最初は、「鮮魚の中華風たっぷり刺身」。鯛の刺身に、大根のツマ、かいわれ大根、コーンフレークなどを酸味の効いた味付けでいただきました。美味しかったぁ。

 次は、「栗の冷製スープ」。あまり栗の味はしなかったですが、珍しかったぁ。

 それから、「さつま芋スティック」「カマンベールとフルーツのヨーグルトソース」「冬瓜のカレー風味」などが次々出てきて、テーブルの上に溜まり始めました。
 1皿食べたと思ったら、すぐに次が出てきて、わんこそば状態。食べるのに必死で、お酒を呑む余裕がないほど。

 結局その後に出てきたのは、穴子とろみ蕎麦・蛸とアボガドのマリネ・甘鯛と百合根のムース・鴨ローストと隠元豆のサラダ・山芋と木の子のグラタン・ラタトゥーユ・とうもろこしの照り焼き・鬼アサリの酒蒸し・もずくのすだち風味・賀茂茄子の田楽・ピザ……順番は覚えていません……最後に、焼きおにぎりとデザート。

 一体何品あったのでしょう。それぞれのメニューはしっかりとした量があり、小量多品目ではありません。
 味もそれぞれ工夫されていて、メニューによって好みはあるでしょうが、なかなかのもの。

 ただ、どういう順番で出てくるのか、さっぱりわかりません。

 使われている野菜も、人参・キュウリ・大根・貝割・アボガド・オリーブ・トマト・九条葱・生姜・壬生菜・椎茸・エリンギ・しめじ・アンディーブ・クレソン・玉葱・山芋・ズッキーニ・、パプリカ・ピーマン・茄子・とうもろこし・さつま芋・冬瓜・大葉・百合根……。

 これでもか、これでもかと出てきて、コースを食べるだけで2時間以上。こっちがもっとサッサと食べていたら、時間はもっと短かったでしょうが、胃袋がこなれるのと並行してでないと、箸が進みませんでした。

 ボクの胃袋からいうと、量は半分でも十分。もう少し、ゆっくりお酒を楽しみたかったなぁという感じでした。

 レジで割り勘で払ったのは、1人3千円少々。とても儲けが出ているとは思えないような料金でした。


 後からネットで検索してみると、このお店はテレビなどでも紹介されたことがあるとか。
 店主は、「お客さんにとっては、看板がない=一見の変な客が入ってこなくて、非常にリラックスできるはずです。そしてお店にとっては、料理だけでなくサービスにも手が抜けなくなる。スタッフにいい緊張感が生まれます」と語っておられました。2500円からという値段設定も、お客さんに対する満足度をあげようという店主の心意気の表れだそうです。

 十分にその心意気を堪能させていただきました。
 次に行く時は、若い人を連れて、1食抜いて伺いましょう。ごちそうさまでした。

 気のせいか、来ているお客さんは、みな太って見えました。
 
 食べるのにあまりに時間がかかって、カントリーのライブに行き損ねました。

〜 カマンベールとフルーツのヨーグルトソース 〜
2004年9月13日(月)  No.384

鈴虫の鳴き方
  朝、テレビの番組で、平安時代に楽しまれていた鳴き声と今の鳴き声は違うということを知りました。

 今の鳴き方は「リーン リーン」という「競い鳴き」。平安時代の鈴虫は「リン リン」と延ばさずに鳴く「一人鳴き」なのだそうです。
 「競い鳴き」は鈴虫を人工的に飼育していることによる鳴き方だそうで、平安時代の鈴虫はほとんど野生。今、野生の鈴虫は滅多にいないので「一人鳴き」はほとんど聞くことができないとか。

 調べてみると、鈴虫は、@他に鳴いている鈴虫がいる場合(競い鳴き、連れ鳴き) Aメスが居る時(ラブソング) B縄張りを固持する時(本鳴き呼び鳴き) Cオス同士が喧嘩する時(喧嘩鳴き、脅し鳴き) D餌を独り占めする時に鳴き、その声にも「金鈴」(鉄琴のような透き通った音色)と、銀鈴(木琴のように少し雑音が入る)の2通りがあるということを知りました。

 鳴き方はよくわかりませんが、声にはハスキーな声と透き通った声があるのは、うちの鈴虫の声からもよくわかります。
 個性だと思っていましたが、そうではないのでしょうか。

 また、鈴虫の鳴き声は、周波数の関係で、電話機からは聞こえないとか。そういえば、携帯ストラップに付いている鈴の音も、相手には聞こえなかったです。

 コオロギと鈴虫を一緒に飼育すると、鈴虫は食べられてしまうそうですが、野生の鈴虫がほとんどいないというのは、そういう原因もあるのでしょうか。
 鈴虫を放してやろうかと思っていましたが、ダメですね。


 ボクは、『地球ふしぎ大自然』などの自然番組はほとんど見ません。いつ蛇が出てくるかわからず、安心して見ていられないからです。
 その点、虫の番組はある程度安心していられます。なかなか面白かったです。

〜 7〜8センチの小さな、今年最後?の蓮 黒谷・西雲院にて 〜
2004年9月12日(日)  No.383

残暑の日々
 夜はめっきり涼しくなりました。もう、窓を開け放しては眠れません。

 でも、昼間はまだまだ暑く、最高気温は毎日32度ほど。車に乗っていても、エアコンを入れないといられません。

 お檀家へのお参りで、八瀬大原に向かう途中の三宅八幡に行きました。あたりには、まだわずかに田圃も残っていて、延びてきた新興住宅の間に、のどかな田園風景も垣間見られます。

 黄金色に輝く稲、その上を飛ぶ無数の蜻蛉、赤い芙蓉。おもわず車を止めて見とれてしまいました。


 毎日毛虫退治に追われています。

 天候が不安定で、薬散をすれば、必ずにわか雨が降るという皮肉な状態。1回撒いて、毛虫がいなくなったと思っても、また次の毛虫が発生してきます。

 桜の木の下は毛虫の糞だらけで、耳を澄ましていると、糞が葉に当たりながら落ちてくる音が聞こえます。

 秋の虫やカエルのためには薬を撒きたくないのですが、人への害を考えると撒かざるを得ません。トホホ。

〜 三宅八幡近くの芙蓉田圃 〜
2004年9月11日(土)  No.382

温水便座
 朝食を食べてすぐ、昨日届いていた温水便座を来客用のトイレに取り付けました。

 いやぁ〜、簡単簡単。

 以前、水道屋さんに「『ホームセンターでウオッシュレットを買ってきたけど、取り付けられなかったから付けてください』と言ってくる人が多いのですよ」と聞いていたので、難しいのかなぁと思っていました。

 いやぁ〜、なんのなんの。

 必要な部品と工具は付いていたので、こちらで用意するのはドライバーだけ。

 欲を言えば、マニュアルの文字をもう少し大きくして欲しいということぐらい。

 30分もかからずにすべて完了し、すぐに使用可能。

 パソコン修理と毛虫退治と温水便座の取り付けをする便利屋さんでも始めようかなぁ。
2004年9月10日(金)  No.381

金剛蔵王大権現
 友人(高校の1年先輩)が本を出すことになり、その企画校正のために、吉野山に向かいました。

 近鉄電車にのって薬師寺の塔を見ながら奈良を過ぎ、橿原神宮で乗り換えて、明日香をさらに東へ。
 車中はガラガラ。これでは球団を手放すのもしかたないかなぁと思いました。

 線路脇には彼岸花が群れて咲いていました。「早いなぁ」と思いながら、今日が「重陽の節句」であることが、ふと頭に浮かびました。
 中国では、この日、野に出て宴を催し、丘の上に登る古い習わしがあったとか。「吉野も山。山に登るのだから、ちょうどいいかなぁ。菊酒を飲むには季節が早いなぁ」などとぼんやり考えているうちに、電車は終点の駅に到着。

 迎えに来ていた友人の車に乗って、狭くて急勾配の山道を進むと、斜面いっぱいの彼岸花を見ることができました。

 柿の葉寿司をいただいた後、蔵王堂に参り、世界遺産登録を記念して特別にご開帳されている蔵王大権現を参拝しました。

 内陣の大権現の前には、衝立で仕切られた半畳ほどの『発露の間』と名付けられたスペースがいくつか設けられ、短い線香が尽きるまでの10分ほどの間、独りの時間をその中で過ごせるように工夫されていました。

 過去・現在・未来と3体並ばれた権現様。真ん中の像は高さ7メートル、両脇は6メートルの圧倒的迫力。大きな忿怒相の御顔を見上げながらの10分間は、大権現と何隔てることもなく対峙できる心洗われる時間でした。

 その後、蔵王堂の一層目の屋根の上の回廊部分に上がらせて貰い、吉野の山々の景色を堪能。桜の季節には、この山が染まるほどの花が咲くのだなぁと、想像しました。
 360度、山また山。ここに南朝の都が置かれたのはなぜでしょう? むしろ、隠遁の地としてふさわしい気がしました。

 蔵王堂の後ろ側に回ると、少し変わった景色。回廊の下から屋根らしき構造物がはみ出しているのです。権現様の御厨子の後ろ側の屋根の部分だということでした。
 下から拝んだ時、権現様はようやく御厨子の中に収まっておられるほどでしたから、御厨子自体が大きいわけではありません。ということは、このすぐ下に権現様の頭がある!? いま、権現様の後ろの方の上を歩いている!?
 畏れ多くて、急いで通りました。

 下に降りて、蔵王堂正面に立ったところで、京都から一緒に行った出版社の人が、「いま、前にいるから、パソコンで…」と奥さんに電話をされていました。
 金峯山寺ではボクのHPからヒントを得て、ライブカメラを設置されたのですが、いまその画面の中にいま写っているから、そのページを見ろと奥さんに指示されているのでした。http://www.kinpusen.or.jp/
 でも、運悪くシステムが落ちているようで、見られなかったそうです。出版社の人はずいぶんがっかりされていました。

 その後は、ひたすら本の企画編集作業。一段落して、近くのお店で、「吉野鍋」とやらをご馳走になり、また長い道のりを帰ってきました。

 忿怒相をされていながら、どこかしらやさしいお顔の、素晴らしい大権現様でした。

〜 金剛蔵王大権現(金峯山寺のパンフレットより)/回廊に下からせり上がった権現様の御厨子の屋根 〜
2004年9月9日(木)  No.380

指導する器
 午後から夜まで、ボランティアの新人研修。グループ指導と個人指導を担当しました。

 人の指導をする時は、自分が問われます。「指導できるだけの自分なの?」「そんな偉そうなこと言っていいの?」という、もう1人の自分の囁きが聞こえてきます。
 その葛藤って、結構大きいものがあります。

 人と関わる難しさ、自分という存在も実にやっかいなものです。


 凝りもせず、定形小包郵便物(EXPACK500)の専用封筒と切手を交換しに郵便局に行きました。
 高額切手が手元にたくさんあるので、少しでもそれを使いたいのです。

 9/2の閑話にも書きましたが、専用封筒と切手の交換については特定郵便局によって対応が違ったので、翌日、郵政公社HPの「お問い合わせの受付」から問い合わせてみました。
 すぐに回答があり(暇なのかなぁと思ってしまいました)、切手での購入はできないが、切手との交換はできるとのこと。

 今日は、最初に切手との交換に応じてくれた特定郵便局に行ったのですが、なぜか「できません」。
 「えー!」 この前はできたこと、公社へ問い合わせをして「できる」との回答を得ていることを説明し、局員同士の協議を経て、ようやく応じて貰いました。

 郵便局をいじめるつもりはないですが、どうして一々こんなにトラブルのでしょう。
 郵便の業務は“法律”(約款)に則って行われているはず。その解釈が、局員によって、局によってまちまちというのは、やっぱりおかしいよなぁ。
2004年9月8日(水)  No.379

台風の過ぎるのを待つ
 いつ風が強くなってくるのだろうと、手ぐすね引いて?いた1日でした。

 各地で大きな被害が出ましたが、京都市は台風が通り過ぎた後に吹き返しの風が吹いた程度で大したことはなく、雨はほとんど降りませんでした。

 今年は上陸する台風がこれで6つ目。いずれも、京都は何事もなく過ぎてきました。

 先日の「メダカの学校」で、中国も日本も、都が置かれた都市は北緯35度線に近く、四季がはっきりしていて、国の東西南北の事情がわかる場所に多いというお話がありました。

 天災も少なく、そういう条件を満たした場所を、先人は都を置いたのでしょうか。夏は蒸し暑く、冬は底冷えがしても…。

 被害に遭われた方に、お見舞い申し上げます。
2004年9月7日(火)  No.378

ウロウロ、ゆったり
 めまぐるしくウロウロした1日でした。

 朝、お檀家の家にお経をあげに行き、帰りにボランティアの事務所でパソコンの修理。
 その後、農機具屋とパソコン屋に寄って、帰ったら予期せぬ来客があり、ホームページ作成の打ち合わせ。

 あっという間に夕方6時過ぎになってしまいました。


 通りがかった上賀茂の住宅街の中に、1枚だけ稲刈りを終えている田圃があり、こぼれたお米を求めて、スズメや鳩がたくさん集まっていました。

 先日も立ち寄った野菜即売所で、また万願寺唐辛子を買いました。
 先日より、トマトはヘタの方まで赤くなり、茄子は肌が汚くなっていましたし、値段も微妙に変わっていて、万願寺は300円と表示してあるのに200円。

 万願寺は少し網で焼き、鰹節と醤油で食べましたが、甘くて美味しかったです。

 めまぐるしかったけど、気持には余裕のある1日でした。

〜 稲刈りの終わった上賀茂の田 〜

2004年9月6日(月)  No.377

くたびれ損の薬散
 ちょっと前から毛虫が大繁殖。桜の木の下を通ると、茶色い糞がいっぱい落ちています。

 先日、加茂街道を通った時に桜の木を見たら、桜の葉が食われて相当なくなっていました。
 葉がなくなると桜は花を咲かせなきゃと思うらしく、去年の秋には何本もの桜が狂い咲きしていました。今年も…。

 今日は天気が悪いという予報だったので、薬散は諦めていたのですが、案外そうでもなさそう。

 とにかく早く毛虫をやっつけないと、その下を通るだけで気持ち悪く、中には通るだけでかぶれる人も出てきてしまいます。

 でも、薬散は憂鬱。というのも、噴霧器の調子が悪く、毎回、実際に薬散作業に入るまでに、噴霧器の修理でかなり疲れてしまうからです。

 今回も、案の定、お決まりコースでした。

 背負式動力噴霧器のエンジンをかけようとスタータの紐を何度も引っ張っぱりましたが、エンジンは動き出す気配もありません。
 でも、これはいつものこと。キャブレターの掃除をして、もう一度やりましたが、やはり動く気配なし。
 点検してみたら、燃料コックのゴムが蒸着して、燃料がキャブレターまで来ていません。
 燃料コックを直してみても燃料がこないので、とうとうキャブレターを分解。

 約1時間こんな作業をして、なんとかエンジンがかかりましたが、気が付いてみれば、もう法要の時間。

 作業をいったん中止して、何度も何度も石鹸で手を洗って、オイルとガソリンを落とし、僧衣に着替えて法要へ。

 昼食後に作業を再開して、ようやく実際に薬を撒く作業に取りかかりました。

 高い桜の枝には、なかなか薬が届きません。届く範囲だけでもとにかく薬をかけ、しばらくすると、2匹ほど毛虫が落ちてきました。
 この時の達成感ってないですねぇ!

 ところが、毛虫の落ち具合を見ている間に、葉陰に子カエルを発見! よく見ると、体が濡れています。薬剤がかかったに違いないのですが、カエルは平然としています。

 「馬鹿だなぁ、お前。このままでは死んじゃうぞ!」と、大急ぎでタモ網を取ってきて捕獲し、カエル池の中に浸けて、しばらく浮き上がってこられないように押さえて、体に付いた薬剤が落ちるようにしました。
 その後、子カエルは池の水草の上に乗ったりして、遊んでいました。
 ヨカッタぁ、きっとこれで大丈夫。

 そうこうするうちに、遠くから雷の音がしてきました。薄日が差していたので空雷だなぁと思っていたら、すぐに黒い雲が出てきて、しばらくするとザァーっと雨が降り出しました。

 「えーーー、雨ぇーーー。せっかく薬を撒いたのに……。晴れてたじゃないの……。」

 雨は30分ほど強く降り続き、サッと上がって、また日が差してきました。

 「すぐに上がるくらいだったら降るな! あぁ〜、せっかく撒いたのに……」

 黒い雲の中に真っ赤な雲が見える、奇妙な夕焼けでした。腹立つぅ〜。


 夜、2回の長〜い地震。そう強くはなかったですが、いつ収まるかと不安でした。

〜 手のかかる噴霧器 〜

2004年9月5日(日)  No.376

コンビニ決済
 客用のトイレを温水便座にしようと思いましたが、ホームセンターで売っているのはほとんどがアイボリーで、うちのはピンクであわないので、ネット通販で注文。

 支払にコンビニを選び、今日行ったのですが、何ともわかりづらい。

 チケットを買ったり、宿泊予約ができる機械で、インターネットで購入した商品の決済も出来るという機械。

 機械の前に立って一瞥したものの、どこから手を付ければいいのか…画面は小さいし、字も小さい。おまけにゴチャゴチャしている。最近、目の老化著しいボクには厳しいなぁ。

 店の人とは面識があり、入店するなり時候の挨拶をされましたが、機械の操作などわかりそうもないおばあさん。

 後ろに待っている人がいれば焦ってしまいますが、幸い誰もいないし、ここはとにかくじっくり腰を落ち着けてかかるしかないと覚悟を決めました。

 メニューを端から確かめ、これかなぁと押してみては戻り…やっと「これだぁ!」というのを見つけて、サブ画面に入り、後は通販先のコード番号などを指示通りに入れていくだけ。
 やっと終わったら、レシートのようなものが機械から出てきて、それをもってレジに行きました。

 レジで代金を支払い、「もういいですか?」と聞いたら、おばあさんのご子息が、「いえ、ちょっと待って下さい」と説明書きを見ながら、何やら操作。すぐにどこからか「受領書」という立派な用紙が発行されてきて、それに収入印紙を貼って、「ありがとうございました」。

 その間、おばあさんと、「旅行にでもいかはるのですか?」「いえいえ、トイレの部品を買ったら、これで支払ってと」「へぇ〜、私はこんなややこしいのわかりませんわぁ。何度もやり直している人もいますよ」「いやぁ、難しいですねぇ」などと会話。

 とにかく面倒でした。これは若者向けの機械ですよ。こんなことならクレジット決済にでもすればよかったです。



 今日の「メダカの学校」の講師は、友禅作家で、日本図案家協会の大内さん。

 7/7に工房をお訪ねし、熱のこもったお話をうかがいましたが、今日も「伝統技術を守りたいという、そのためには何でもしたい」という切々たる思いが伝わってくるお話でした。

〜 コンビニの操作画面 〜
2004年9月4日(土)  No.375

迷惑メールも楽し
 「今日の散歩道」の更新の日、うっかり、午後過ぎからボランティアのスケジュールを入れてしまったので、大変。

 朝から何回か写真を撮りに行き、文章を書いて……写真が決まらないと文章も書きにくいので、結局は当日1からのスタート。

 でも、こういう時に限って、案外すんなり出来上がるものです。ダッシュがかかるのか、妥協をするのか。
 出来上がらなければ、夜遅くに更新でもしかたないと思っていたのが、出かけるリミットの30分前頃には完成しました。


 最近、こんなメールがよく来ます。「主人が出張なので暇です」とか、「来週、会おうねぇ、楽しみ!」とか。

 初めはドキッとしましたが、最近は「主人が出張なので暇だって。昼寝でもしてればいいじゃないですかぁ」とか、「来週ねぇ、いつがいい? 他に誰誘おうかねぇ」と、ひとりで突っ込みを入れています。

 こういうメールを、フィィルターをかけて、いかに即削除済みにするか、その攻防もまた楽し。

 ウイルスメールも、「いらっしゃぁ〜い!」

 神経質になったらキリがないですものね。
2004年9月3日(金)  No.374

EXPACK500
 定形小包郵便物(EXPACK500)を利用しようと特定郵便局の窓口で、専用封筒を求め、高額切手がたくさんあってそれで支払おうと思ったら、「どれはできません」の返事。

 先月、別の特定郵便局では、手数料の5円を支払って出来た旨を説明しても、「それは間違っています。できません」。
 同じ郵便局で対応が違うのはおかしいと指摘すると、「うちは間違っていません。向こうの郵便局でお聞き下さい」。

 間違っているかどうかは知りませんが、郵便局によって、一つのシステムに対する解釈が違うというこのとなのでしょう。


 EXPACK500は、宅配便のメール便に対抗するために、昨年10月から郵政公社が始めたサービス。「安い・早い・便利」をキャッチフレーズに、◆日本全国一律500円 ◆全国翌日配達 ◆インターネットや電話で「追跡サービス」利用可能 ◆ポストへ投函できる ◆無料で集荷サービス ◆配達先へ手渡し と、便利なもの。

 EXPACK500専用封筒を500円で求め、それを投函する。専用封筒は、248mm×340mmの大きさの厚紙でできた封筒、A4サイズ用紙が約250枚程度入る大きさ。この封筒に入るものなら、重量制限30kgまでのものは送れます。

 なんか郵政の宣伝をしているみたい…。


 このシステムは便利なんですが、今日の窓口の対応はあんまりですね。どっちが正しいかは、郵便局の中で決着を付け、対応は一手にして欲しいですよ。


 ボクは郵政民営化には、企業論理を持ち込んで体質を変え、サービス向上をはかるという点で賛成です。
 「郵便局の人は頑張っている」し、民営化のメリットなど薄いとテレビなどでも言っていますが、民間の努力には到底及んでいないと思います。


 先日の、ローソンから宅急便が撤退するという件も、郵便局にとって5%にも満たない領域なのに、民間が努力して開拓してきた分野を横取りするようなことをしなくてもいいだろうと思います。
 親書などは郵便局が独占し、それで十分利益が上がっているのだし、様々な優遇措置もあって、端から民間とは土俵が違うわけですから。


 EXPACK500はオススメです。矛盾しているなぁ。でも、背に腹は替えられない。
2004年9月2日(木)  No.373

ムカデ禍
 夜半、足の指にチクッと痛みを感じました。寝ぼけているわけでもなく、確かに痛いので、起きて見てみると、3センチぐらいのムカデがたくさんの足を使って逃げる途中でした。

 「あ、ムカデぇー」と電気を点けて、とりあえず近くにあったものでやっつけました。

 はっきりと傷口がわかるので、キンカンを塗ってみたら、指がちぎれそうに痛かったです。

 再び床に就きましたが、1匹出たらもう1匹出てくることも多く、そう思うとなかなか寝付けませんでした。


 朝になって、昨日買ってきたEEスイッチの交換作業をしようと、古い器具を外してビックリ。なんと、6センチぐらいのムカデがスイッチの接点あたりにはさまってカラカラに乾いていました。

 スイッチの不良の原因は、この感電した?ムカデだったのです。

 何と今日はムカデに縁のある日でしょう。


 水道のパッキングを替えたり、ビデオカメラの修理をしたりと、我ながら何屋さんかなぁと思う一日でした。
2004年9月1日(水)  No.372

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