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2003年12月の日記

除夜
 今年も今日で終わり……という気がまったくしない大晦日です。

 午前中、残っていた落ち葉を片づけてやれやれと思っていたら、雨が落ちてきました。ギリギリセーフです。

 今日は、正月に墓参できない方や正月前にお墓を掃除しようという方も多く、作業着姿に頬っかむりで応対したり…衣姿とあまりにかけ離れた姿に、気づいてくれない人もおられました。


 だいたいの作業を終え、自室を片づけようかと思いましたが、元旦の更新作業の準備に時間がかかり、まったく手つかず。泥棒が入った後のような状態の部屋。情けなや。


 夕食は姉弟一家も加わり、15人の大人数。ここ数日、場所を分けたり、タイミングをずらしながらて食べるような有り様です。

 夕食が終わったと思ったら、年越し蕎麦。蕎麦は、いつも聖護院の河道屋さんのおじいさんから頂戴します。
 蕎麦におろした辛み大根と海苔をのせてあっさりと。

 蕎麦、茶そば、うどん、全部で何玉あるでしょう。15人の大所帯をもってしても、とても食べきれず、いつも翌日元旦のお昼代わりになります。

 はち切れそうなお腹、下がって来るまぶたを必死で上げながら、また更新準備の続き。

 除夜の鐘には約500人の方々が参加。
 鐘楼から離れた墓地の真ん中に立っていると、あちこちから他のお寺の鐘の音が聞こえてきます。鐘楼の喧噪が嘘のようです。
 お墓は、1年を振り返り、諸々の罪を懺悔するにはもってこいの場所でした。

 3時前。撮ってきた除夜の鐘の写真の整理も終わり、あとは早朝の光景を撮るのみ。

 ようやく長い1日の終わり、2003年の終わりです。
2003年12月31日(水)  No.125

落ち葉掃除
 だらだら落ちてくる落ち葉にあきれ、掃除をしなかったら、落ち葉がいっぱい。

 夕方になって掃除を始めたら、明るいうちには終わらず、大晦日までずれ込むことになってしまいました。

 こんなに押し詰まってから大量の落ち葉を掃除するなんて、例年にはないことです。

 先日も、本堂の職員と話をしました。「サンシュユの実がついていませんね。菩提樹の実が小さいですね。本当に今年の紅葉は悪かったですね……」 例年と違う木々の様子を二人であげつらいました。


 午後、昨日不調だったパソコンの部品を見て貰いに電気屋さんに行きました。

 電気屋さんのPCでは正常に動作。その部品自体の欠陥ではなく、ボクのPCに問題があるか、部品間の相性の問題とわかりました。

 使えない部品を持っていても仕方がないので、買い取りショップで処分。昨日、5500円で買ったものが、今日売る時は3400円ほど。

 パソコンにトラブルを起こさせ、さんざん冷や汗を流させた挙げ句……行き帰りの時間などを考えると、丸損。とほほ。


 歳末の街はやっぱり人だらけ。あたたかな年の瀬です。
2003年12月30日(火)  No.124

着々と?
 泣いても笑ってもあと3日。
 出来ないことはしょうがないと高をくくっています。

 午前中は、自坊の歴代や遠方におられて墓参できない方のお墓にあげる花作り、午後は仏器磨き……。


 お墓にあげる花は、お正月用の松竹梅。花屋で買えばいいのですが、60ほど要りますし、正月用の花は高いので、毎年自分で作っています。

 以前は境内にある松の枝を使っていましたが、年々松が枯れ、今は花屋さんから購入。梅・竹(笹)は自前。あと彩りに南天の実を添えます。
 なかなか格好良くは作れませんが、ちゃんとお正月らしい雰囲気が出ています。


 仏器磨きも年末恒例の作業。
 天台宗や真言宗など、密教の修法をする宗派は、他の宗派と比べて、ずいぶんたくさんの道具を使います。その多くは真鍮製。使っているうちにだんだん輝きを失っていきますので、磨いてやる必要があります。

 「ピカール」といういかにもピカピカに磨けそうな、頭髪の乏しい方のニックネームにありがちな名前の金属磨きを使って、新聞紙で磨きます。
 力を入れて磨かないと綺麗にならないので、ハァハァ息を切らすぐらいの勢いで磨きます。


 夕方近くになって、最近挙動不審なパソコンが正月中にダウンしないように、電気屋さんに部品を買いに抜けだしました。

 帰って、その部品をパソコンに取り付けた途端、電源ランプは点くものの、その後ウンともスンとも言わなくなってしまいました。
 取り外したら直るだろうとやってみましたが、結果は同じ。

 「えらいこっちゃぁ」 顔面蒼白。
 これからお正月に向けて、パソコンを使う作業がたくさんあります。他のパソコンで代用できないことはないですが、とても面倒。
 「どうしよう……」

 夕食もそこそこに、お酒さえ呑む気がせず、とにかく修理。

 幸い、自分で組み立てたパソコンですから、構造はわかっています。ほとんどすべてのケーブルを外して、システム情報をリセットさせて、またケーブルを接続しなおして、ようやく正常に動くようになるまで約1時間半。
 やれやれです。

 部品の不良か本体と部品の相性か。また明日電気屋さんに行かなければいけません。こんな時に……面倒。しかも、町はすごい混雑。
 しなくてもいい作業を増やしてしまったようで、少し後悔。でも、……。


 それからまた仏器磨きに復帰して、ようやく11時頃に終わりました。

 朝は植木バサミを握り、午後は力を入れて磨いたので、手の握力がなくなったような感じです。


 お風呂が気持よかったぁ。

〜磨き終わった仏器〜
2003年12月29日(月)  No.123

迎春準備着々?
 朝は白かった比叡山も、見る見る黒っぽく変わっていきました。今日は、おだやかで、あたたかい日になりました。


 午前中の外回りを終え、午後からは仏間の掃除、餅つき、白菜のぬか漬け、年賀状書きなどをこなしました。
 なかなか達成感のある日でした。

 餅は、甥がほとんどついてくれ、ボクは手返しをしていました。つく量も年々減って、今年は5臼だけ。少々、拍子抜けの餅つきでした。

 漬物は目分量で塩を入れたので、塩梅がどうか心配? 今年は漬けるのが遅かったので、正月には食べられません。
 明日は大根を漬けようっと。

 今年中にしなければいけないことはまだまだあります。明日もお天気の予報。順調に進みそうです。


 もし、地球が太陽のまわりを365日で回らず、たとえば100日で1周していたら、もっと頻繁にお正月を迎えていなければなりませんでした。
 365日って、長いのか短いのか…。

 小さな孤舟が水を割って進んでいく。船が通った後は、また何もなかったように水が平になっていく。
 人生ってそんなものなのかなぁと、ふと、漠然と、そんな光景が浮かびました。

 いろいろと考えながら、年賀状を書き終えました。
2003年12月28日(日)  No.122

 目が覚めたら雪。
 本当ならHPの更新ネタが得られて嬉しいところ、年末の忙しい時期の更新を早く済ませたいと、昨日、何枚か撮っておいた写真がパァー。一から撮り直しとなりました。

 外に出たら、水気たっぷりの雪。カメラが濡れるのを心配しながら、2週続けての雪景色を撮り、いざ更新作業。
 それが遅々として進まないのです。

 仕事の都合で九州にいて、福井の故郷に正月帰省する途中に京都駅で会いたいと連絡があった知人に会うために、お昼前に外出。

 境内を出て、ものの5分も走らないうちに、雪なんて影も形もありません。少し濡れているなぁという程度。

 雪が積もっているのはごく限られた場所だけだったようです。わずかな温度差の違いで、境内では霙のような雪になり、市街地では雨になったのでしょう。

 京都駅の最上階あたりからまわりの山々を見ると、はっきりと山沿いだけに雪雲がかかっているのがわかりました。正体見たり!

 2時間ほどしゃべって取って返し、更新作業。また、夕方までかかりました。年末にこればっかりしていられないんだけど…。

 あとはひたすら塔婆書き。午前2時半頃までかかって、ようやく完成。これで、一仕事、片が付きました。

 そうそう、メガネを新調した甲斐もあったというものです。

〜駅ビルの上から眺めた市街と雪雲に覆われた西山(金閣寺付近かな?)〜
2003年12月27日(土)  No.121

押し迫る
 どんどん押し詰まってきました。

 やることはいっぱいありますが、まだ手も付けていないことが山積み。今年中には出来ないから、来年回しにしようかなぁ。

 そういえば去年は、腰が痛いと言いながら障子の張り替えをしていました。まだ、綺麗だから、今年はしませ〜ん。
 仏間のいろいろな仏器を金属磨きで磨く作業もまだ手つかず。

 年始準備に、護符作りを11月中にやり終えたところまではよかったのですが、あとがいけません。


 今日は、樋につまった落ち葉を取り除いたり、排水口にたまった泥をあげたり…早朝と夜は、塔婆書き。

 でも、夕食に呑んだお酒が少し多かったようで、もう眠たくって。ダメだこりゃ。

 せっかく、メガネを入手して、準備万端なのに…。
2003年12月26日(金)  No.120

スクウェアー
 今日、生まれて初めて、眼鏡を作りに行きました。

 今までは100円ショップの眼鏡をあちこちに置いて間に合わせていたのですが、年末、塔婆や年賀状などの書きものが多くなるにつれて、本格的に使うにはそれらではちょっと厳しいと思うようになってきたのです。

 眼鏡屋さんチェーンのお店に行って、「老眼を作りたいのですが」と単刀直入に来店の趣旨を述べ、すぐに視力測定。
 変な機械の前に座って、ちびまる子ちゃんの主題歌を歌っていた歌手がしていたような へんてこりんな眼鏡?をさせられり。
 「えっ? こんなのでわかるのですか?」と半信半疑。

 お店の人は視力測定しながらも、「今は15%引きセールです。2本お求めになればさらに20%引きです」とジャパネットのようなセールストークを欠かしません。

 次にフレーム選び。

 「こんな顔にはどういう眼鏡がいいのですか?」と若い女店員さんに聞くと、「スクウェアーがいいですよ」と。
 「スクウェアー? ああ、アメリカに‘マジソン スクウェアーガーデン’というのがあったなぁ…四角っぽいということかなぁ…そんな言葉年寄りだったらわからんよ。若いと思われているのか…でも、老眼だしなぁ」と頭の中でぼそぼそ言いながら、店員さんの持ってくるに任せていました。

 「5千円くらいからあります」と視力を計った人が言っていたわりに、持ってくるのは1万5千円とか2万円とか。「もっと安いのでいいですから」と注文をつけましたが、最近の人はみな小顔なのか蔓の部分が短く、ちょっと長めのはそれぐらいの値段。

 パソコン用と字を読む時用に、度数の違うのを2本求めることにし、オススメのスクウェアー型に決めました。

 これで終わりかと思ったら、「レンズをどうしますか?」なんて。結構くたびれてきているのに、まだぁ…。

 レンズが分厚くならないように圧縮をかけたり、傷防止のコーティングをしたりとかで、高いのは +6万4千円。ひぇ〜。

 標準セットのレンズにして貰い、これで終わりかと思ったら、レンズにキラキラするワンポイントを付けるか、ネームを入れるかと聞かれ、時間がかかるそうなので断って、最後に眼鏡ケースと眼鏡拭きを選んで、やっと終わり。

 値札の合計では2万数千円のところ、サービス期間中で15%オフ。さらに2本買ったから20%オフですって。

 さわやかな若い店員さんたちで、また行きたくなりそうでした。しばらくは用事ないけど。

 仕上がりは明日。ワクワクです。
2003年12月25日(木)  No.119

イブの夜
 世はクリスマスイブ。

 この夜を迎えると、チキンを丸々焼いたローストチキンを思い出します。

 母の弟で、僧侶として育てられ、寺を嗣ぐはずだった叔父。名前も「行純」と、ボクと同じ「純」の系統。

 その叔父は、どういう理由からか寺を嗣がず、コーヒーの卸商として、喫茶店やレストランなどに様々な材料を届けるのを生業としていました。

 60を前にしてガンで逝き、もう丸4年ほどになります。

 口はすこぶる悪かったですが、一所懸命人の世話をする人で、高校の頃から少々真面目にぐれていた?ボクも、ずいぶん世話になりました。
 興奮すると、首を揺らしながらしゃべりまくる姿が目に浮かびます。

 いつの頃からか、商売でローストチキンを扱うようになったらしく、我が家のイブの日の夕食にもローストチキンが並ぶのが常となりました。
 
 お寺のイブの夜にローストチキン…変なシュチエーションです。

 叔父が逝ってからその風習は亡くなりましたが、イブの夜を迎えると、チキンが食卓にドカンと出て来そうな気がいまだにします。

 命日は覚えていませんが、イブは叔父を偲ぶにふさわしい夜です。

 余談ながら、翌日、そのチキンのガラは、ボクのお手製ラーメンのスープの素となるのでした。

 チキンにラーメン、坊さんの日記とは思えないですが。
2003年12月24日(水)  No.118

金魚鉢
 昨日、金魚鉢の水替えをして砂利を洗おうとしていた時、丸い底を支える、ちょうど香炉の足に似た3本の足の付け根の部分に2センチほどのヒビが2本入っているのに気がつきました。

 金魚を飼うようになったのは、アジア雑貨のお店で、直径40センチほどのカットを施した丸いガラス製金魚鉢に惹かれたのが契機。
 すぐに買い求め、以来1年半ほど。金魚もずいぶん大きくなって、その金魚鉢では狭くて可哀想だと思っていた矢先でした。

 買い求めた時から、3本の足で、水をいっぱい蓄えてかなりの重さになる金魚鉢を支えるに少し不安を持っていました。

 金魚が小さいうちは水をそんなに多く入れなくてよかったのですが、金魚がどんどん大きくなるにつれて、水量を増やしたため、当然3本の足にかかる負担も大きくなっていったのです。

 これではいつ割れてバラバラになるかわかりません。残念ですが、水をあまり入れなくてもいいような、沢蟹を飼育するとか水生植物用にすることとして、金魚はとりあえずバケツに避難。一晩経った今日、ようやく代わりの水槽を買いに行きました。

 午前中の外回りの帰りに大好きなホームセンターを2軒回りましたが、休日とあって、車は満車。
 結局、いつも餌や藻を買いに行く熱帯魚屋さんで、愛想に欠ける四角いガラス水槽を買いました。丈夫が一番。
 併せて、6月に伴侶を亡くして淋しそうな大きな金魚の相手に、小さな金魚を2匹買いました。

 水槽には、エアポンプや餌などの他に、何故か青い海の中をイルカが泳いでいる分厚い紙が入っていました。
 説明書を読むと、その紙を「水槽の背景に貼って下さい」とのこと。金魚の水槽の背景に海原を泳ぐイルカの写真を? 金魚が喜ぶの? 青い色が水槽を綺麗に見せてくれるの? ……

 とりあえず、説明通りにそのイルカの紙を貼って、水を入れ、金魚を放ってやりましたが、金魚はイルカを見た途端、ギョッとしていました。本当に。

 人間の勝手な判断を金魚に押しつけているような気がしたので、やっぱりイルカ君は同居させないこととしました。

 前の金魚鉢と比べれば少し広くなった水槽の中を、大きな金魚はゆったりと泳ぎ回り、その回りを小さな金魚が甘えるように泳いでいます。


 午後からはすす払い、夜は年賀状作りと年始の卒塔婆書き。

 そして柚子の代わりに、いっぱい食べたミカンの皮をお風呂に入れ、ほっこりあたたまって寝ることといたします。

〜金魚の他にイルカも泳ぐ?水槽〜
2003年12月23日(火)  No.117

年賀状、完成せず
 やっと年賀状にかかり始めました。

 早くから買い求めてはいたものの、もう一つやる気が起きず、結局今に。メールにしようかなぁと思いつつ、年1回なのだから、やっぱり賀状にしようと重い腰をあげたのです。

 寺のは住職が書いているので、ボクが書くのはほとんどプライベートな相手。

 今日は、去年のデーターを基礎に、喪中欠礼のハガキが来た人を除き、今年出会った人を加え、リストを作成する作業をしました。

 でも、今年出会った人の住所をそろえるのが大変。名刺はあちこちに散在。あーー、これを集めて、出すかどうか判断して……と考えるとまた面倒になってきて、結局他の仕事を優先してしまって、完成しませんでした。


 今日は冬至。

 棘の多い柚子の木を小枝ごときって、柚子を収穫してきました。大地の恵みですねぇ。
 その後忘年会に出かけ、帰ってきた時には、すでに日付が変わっていました。

 風呂の扉を開けるなり、柚子の香りがパァッと広がりました。やっぱり、入浴剤とは大違い。

 湯船で半分居眠りしながら、堪能しました。癒し効果「大」なり。
2003年12月22日(月)  No.116

今年最後の年回法要
 最近、日記を書くのを忘れるようになりました。それだけ、ネタ切れ、何も変わったことがないということかも知れませんが。

 今日は、檀家さん宅へ2軒伺ったのと、法要2座。日曜としては平均的な忙しさでした。

 午後からの法要の参列者のうちの数人は、高校駅伝に巻き込まれたということで、遅刻。
 「もう始めて下さって結構です」「折角ですから、もう少しお待ちしましょう」と言っている間に到着。約15分遅れの法要開始でした。

 秋の観光シーズンや雪の頃には、こういうことがよくあります。
 以前、山陰の方から来られる予定の方が、雪で列車が大幅に遅れ、結局、法要が中止になったことがありました。
 紅葉の時にも、高速のインターから進まないと、やはり中止になったことがあります。
 雪は仕方がないとしても、紅葉の観光シーズンの時に、法要のついでに紅葉が見られたら一石二鳥と欲張った結果です。気持はわかりますが。

 年末の檀家さんの法要は今日が最後。

 さぁて、すす払いもしなきゃ。
2003年12月21日(日)  No.115

初雪
 朝起きたら、窓の外は真っ白。今年初めての雪です。

 さっそく、カメラを持って写真を撮りに出かけました。

 窓から見たよりも積雪は少なく、道にはあまり積もっていませんでした。

 本堂の前には、いつもの散歩の人や犬の散歩の人に交じって、カメラを持った人たちが数名。

 その中の一人が、本堂の横の方に行こうとすると、「ちょっと!」と声を掛けてきました。「ひょっとして、邪魔だというのかなぁ…」と思っていたら、的中。そこを通らないで欲しいと言う。ファインダーの中に入るとは思えない場所なのに。

 自分の写真のために平気で通行人を制止するその人をたしなめましたが、こういうことは秋でオサラバかと思っていたのに、冬になってもまだ……ガックリ来ました。

 お天気があまりよくないので、なかなか思うような写真が撮れません。長い間、ウロウロしていたので、手はかじかみ、鼻も真っ赤になっている感じでした。

 写真はいっぱい撮れたのに、なかなか「今日の散歩道」の更新が終わらず、結局午後までかかってしまいました。


 今年もあと10日あまり。
 年が変わる実感が湧いてきません。年賀状やいろいろな年末の作業もまだ手つかず。えらいこっちゃ。
2003年12月20日(土)  No.114

大仕事も一段落?
 天台宗の公式ホームページの公開を来年1/15に控え、今日は大津・坂本にある天台宗の役所‘宗務庁’で、内部向けの説明会を開きました。

 ここに至るまで、ずいぶん時間がかかりました。出来上がりは……。まぁ、これから充実させていくということで……。

 今年の大きな課題の一つにも、これで区切りがつけられそうです。


 説明会・打ち合わせが終わって、もう一仕事しようと思っていたら、窓の外ではだんだん雪が激しくなってきているではありませんか。

 琵琶湖の対岸には、明らかに雪雲と思われるものが、密度が高そうにたれ込めています。

 「早く帰った方がいいかも知れませんよ」と言われ、「山越えしても、まだ大丈夫だろう」と、急いで山中越で京都に向かいました。

 来る時は久々にクッキリ見えていた琵琶湖が、鉛色に一変。道路沿いに立っている温度計は、「1℃」を表示していました。

 いきなり真冬です。

 夜の忘年会に、ブルブル震えながら行きました。
2003年12月19日(金)  No.113

ありがとう、先生。
 西村公朝師の本葬。

 早朝時雨れていたものの、次第に天気は回復し、本葬の頃には穏やかな晴天となりました。

 1時から2時半までの本葬の間、自分がどう動いているのかわからないほど、あっちへ行ったりこっちへ来たり。
 後から考えたら、ボクは焼香すらしていません。

 でも、公朝先生は「純照君、焼香なんていいわ。いやぁ、有り難うなぁ。世話かけたなぁ」と言ってくださってる気がします、きっと。

 本当に偉ぶらない人でした。芸術家ぶらない人でした。業績の素晴らしさは言うに及ばず、それ以上に心底“有り難い”と感じられる、数少ない方でした。
 「尊敬できる人が亡くなってしまったなぁ」と、しみじみ思います。

 「あんたのおじいさんに習ったんや」と言われるにしては法要の修法は???でしたけど、ハートはピカイチでした。

 うーん、言い出すときりがないのです。でも、まだ悲しくないのです。今までは、本葬のことで頭がいっぱいでしたから。

 今日は呑んで寝ちゃおう。それしかないね。

 有り難うございました、先生。

〜来年の年賀状用に書かれた先生の絶筆。会葬御礼のミニ色紙〜
2003年12月18日(木)  No.112

てるてる坊主
 西村公朝師の本葬を明日に控え、今日は一日その準備に奔走。

 嵯峨野の奥にある愛宕念仏寺は、市内よりかなり寒く、おまけに夕方から雨。

 平坦な場所が少なく、参道は坂か階段。携帯電話は通じない場所も多く、連絡するにはもっぱら坂を上がり下がりするしかありません。何往復したでしょうか。
 葬儀業者は、ヘトヘトの様子でした。

 夕方6時前、ようやくおおかたの準備と打ち合わせを終えました。

 参拝者の車両の誘導がうまくいくか、急で滑りやすい参拝路をたくさんの参拝者が滞りなく進めるかどうか、多くの来賓を失礼なく参拝していただけるか……難問だらけですが、60名ぐらいのスタッフと境内に並び立つ1千体を超える羅漢さんの威力をもって、すべてが順調に進むように祈るだけです。
 そして、どうか晴天でありますように。 


 本番を控え、夜、頭を剃りました。

 14日の夜、剃るのに失敗して、頭はまだカサブタだらけ。こういう時に剃刀を使うと、カサブタをはがしてしまうだけ。緊急避難には電気剃刀を使います。

 以前、電気屋さんのシェーバー売り場で、「これで頭を剃れますか?」と店員さんに聞いたら、「これは髭を剃るものです」と言われました。「そんなことわかってるわ!」と言いたいぐらいの返答でした。

 頭の面積は髭とは比べものになりませんから、頭を剃るのに電気のシェバーを使うと、すぐに切れなくなってしまいます。

 しかし、今日はこれしかありません。
 カサブタ付近を電気シェーバーで剃り、大丈夫な部分はT字のひげ剃りで剃って、これで頭もスッキリ。

 式場も、頭も、万全です。

 てるてる坊主を吊そうかなぁ。

〜準備中の本葬式場〜
2003年12月17日(水)  No.111

大根10本
 医者を2軒ハシゴして、帰りに大きなスーパーの前を通りがかったら、ビニール袋に大根を2〜3本入れて歩いている人を発見! おお!大根の安売りか?

 実はここ数日、漬物にする大根の安売りを探して、いろいろなお店を調査していたのです。

 去年から考えて、買値は1本100円見当。お店によって、99円あり、180円あり。
 昨日も100円のお店を見ましたが、あまり美味しくなさそうな大根だったので、結局買わずにいました。

 今日のスーパーの大根は、なかなか良さそう。これなら沢庵にするもOK! ついでに白菜も買っちゃおう!

 思わず大根1箱10本、白菜1箱4玉を買ったものの、今日はバイク。おまけに、天気予報では晴れの予想が結構な雨。お店の人から品物を渡して貰った時、かなりの重さに「帰れるかなぁ…」と少々心配になりました。

 バイクに振り分け荷物でとにかく積んで、雨で段ボールが崩れてきやしないかと不安を抱きながら、フラフラしながら帰りました。

 見ていた人は、「雨の中、八百屋さん、大変ねぇ」と思っていたでしょうね。

 これで‘漬物の材料’調達という大きな課題を達成した感じ…馬鹿みたいですが。
2003年12月16日(火)  No.110

枕の血痕
 朝起きたら、血痕が……。夕べ頭を剃るのにしくじって、頭皮を数カ所削ってしまい、枕に血の跡が水玉模様のようについてしまったのです。

 「どうやって頭を剃るのですか?」とよく聞かれます。

 人によって違いますが、ボクはT字型のひげ剃りの1枚刃で剃ります。

 1枚刃と限定するには理由があります。2枚刃では、刃と刃の間に剃った髪が詰まってしまうのです。髭と違って、頭の毛は量が多いですから。禿げていれば、2枚刃でもいいかも知れませんが。
 ちなみに、髭を剃るのは2枚刃です。区別しています。

 もちろん、すべて自分で剃ります。剃刀を持つ手と反対の手で確かめながら、頭の後ろもゾリゾリと。

 手の感覚というのは鋭いもので、少しでも剃り残していたらすぐにわかります。鏡と手で確認しながら、ゾリゾリ、ゾリゾリ。

 夕べは、ちょっと髪が伸びすぎていたのを無理矢理剃ったのがいけませんでした。一度バリカンで短くしてからすればよかったのですが、面倒くさくて省略してしまった結果がこれです。
 3〜4日剃らないと剃りにくくなってきますが、面倒なので、毎日は剃っていません。

 後ろは血だらけになるほど剃ったのに、夕方になって、額の上のところに、短い毛が数本まばらに残っているのに気がつきました。オバQみたい……。
2003年12月15日(月)  No.109

眠り病
 午前中にお仕事を終え、午後は修理を依頼されてお持ち帰りしたパソコンを直しながら、寝てしまいました。

 30分ぐらいで起きようと思いつつ、目が覚めながら起ききれず、1時間…2時間…とうとう3時間。気がついたら4時前でした。

 こんなこと、今年初めにインフルエンザにかかって以来。びっくりしたなぁ〜もう。

 でも、罪悪感などはなく、何となくリッチな気分。それから仕事に身が入ったかというとそうでもなく……。

 夜、先日買った漢詩の本を読んでいたらまた眠たくなってきて…ちょっと寝過ぎかな…まぁいいや。
2003年12月14日(日)  No.108

焼き芋オフ
 焼き芋! 朝、BBSで呼びかけたら、7人の人が駆けつけてくださいました。

 ほうきや電動ブロアなどを落ち葉をどっさり集め、適当に灰ができた頃にさつま芋を投入。どこに、いくつ入れたかを覚えておかないと、回収漏れができてしまい、炭と化した芋を後から見つけて悔やむことになります。
 その上から、また落ち葉を少しずつかけていきます。

 持ってきたくださった芋など、合計20本。太いの、細いの、丸いのなどいろいろで、焼くのにかかる時間も大いに違います。それをうまく焼くのがこの道○○年の技といったところ。
 一気に熱を加えるより、ジワジワとゆっくり時間を掛けて焼かないと、甘い、ホカホカの焼き芋にはなりません。

 焼き上がるのをただ待っているのは辛いのですが、落ち葉を集める作業をしながらですから、待ち時間は苦になりません。
 いっぱいっぱい枯れ葉を集め、結局燃やしきれずに、山となったまま残りました。

 灰の中から芋を取りだし、手で柔らかさを確かめて焼け具合を計ります。

 さぁ、次々と焼けてきます。まだ焼けていないのはもう一度火中へ。

 焼けたのを割ってみると、半分透き通ったような黄色い実が湯気の中に。「熱ーい」「あっちち」とホクホクしながら、頬ばりました。

 食べ終わって、掃除もしていないと、だんだん体が冷えてきます。家の中に入って、結局5時半過ぎまで談笑。
 年末の楽しい一時でした。

 ご参加いただいた皆さん、有り難うございました。

 服についた煙の匂い、しばらく消えませんよ。
2003年12月13日(土)  No.107

若人のエネルギー
 佛教大学で、1時間臨時講義をしてきました。

 内容は、仏教とターミナルケア…みたいなことかな。学生はわずか2人。人気のないコースのため、学生が集まらないみたいです。

 テーブルを囲んで、ボクを呼んでくれた先生を含めて4人で、ゆっくり話ができてよかったです。

 佛教大学には6年ほど前まで5年間、非常勤講師で行っていましたが、大学側のやる気のなさに嫌気がさしてやめたのです。
 その頃と比べ、設備は格段によくなっていましたが、内容的には何も変わっていません。ボクがやめたのと同じ理由で辞めていく先生もあり、勉強したいと思って来ている学生が気の毒な気がしました。


 先日、今行っている龍谷大学から1通の通知が来ました。

 ボクが行っている短期大学部は、先年より学生の募集を停止していて、学部が廃止になるため、講義は今年度いっぱいで終わりです、という内容でした。


 佛教大学から龍谷大学と足かけ10年来続けてきたボクの教師も、今年度で終わり。
 若い人から貰っていたエネルギーが途絶えてしまいます。老け込まないようにしないと……。
2003年12月12日(金)  No.106

漬物桶
 本葬に出仕して貰う僧侶方への依頼状作りやスタッフ用マニュアル作りに、丸1日費やしました。

 頭の中でいろいろなケースを想定して、初めて持ち場に着く人に向けての説明を作らなければいけないので、頭の中は“妄想”だらけ。

 雨だけは降らないで。雨女、雨男は、どうか京都に近づかないで。


 頭の中が煮詰まり、頭痛が始まるといけないので、大好きなホームセンターに漬物をつける容器を買いに行きました。

 ホームセンターは、安売りをしているのか、暮れが近づいてきたためか、大混雑。レジには長蛇の列。

 広い店内から漬物桶のコーナーをようやく見つけ、店員さんに棚の一番上にあった大きいのを取って貰い、「も一つ欲しいんですけど」と言って、店員さんが在庫を確認しに言っている間に、棚をよく見ると四角い漬物桶?があるじゃないですか。
 丸い桶は白菜にはいいけれど、大根は漬けにくく、いつも大根を無理矢理曲げて漬けていましたが、四角い桶ならその必要もなし。
 「在庫はありますよ」と執拗に言う店員さんを、「いや、こっちがいいですから」と振り切り、僧衣姿で両手に漬け物桶を持って、レジへ。

 レジ前で、足の裏に張るホカロンを見つけ(お店の策にはまってる)、カゴへ。衣で、漬物桶とホカロン持って、長蛇のレジに並ぶ姿は変だなぁ。


 帰ってしばらくしたら、お米屋さんが1俵分の糠を持って来てくれました。よし、これでぬか床が作れる。
 あとは大根と白菜の調達だ!
2003年12月11日(木)  No.105

本葬準備に奔走
 愛宕念仏寺で、西村公朝師の本葬の打ち合わせ。

 寒〜い! ここは愛宕山から吹き下ろす風でもあるのか、もうメチャクチャ寒い! おまけに携帯は圏外。余計に寒い気がします。

 狭い境内。交通量の多い細い道。推定参列者2500人。控え室や湯茶の接待をする場所もない。この重複する難条件をかかえてどうするか、業者を交えて4時間、打ち合わせをしました。

 寒くて体を縮こまらせていたためか、肩が凝ってしました。

 帰って、今日の打ち合わせをもとに、参列者に配布する印刷物や、葬儀出仕僧や手伝い方への依頼状、スタッフへのマニュアルなどを作成しかかったのですが、肩の凝りが取れず、頭痛がひどくなってきて、山積みの仕事を気にしつつ、寝てしまいましたぁ。

 本葬、寒さなおさら加わり、大変だぁ。
2003年12月10日(水)  No.104

今年最後の講義
 今日は、今年最後の講義。

 来年早々の講義は檀家さんへの年頭回礼のため休講。2週目は課題発表。あとは試験週間。
 ボクは試験はせずに課題と出席で成績のつけるので、学生たちは今日中に課題を作り上げなければなりません。

 課題は各自のホームページ作り。いろいろ達成しなければならないポイントがあり、いつもはボンヤリしている学生たちも今日は必死。

 おまけに、今日は助手さんがお腹を壊して欠席のため、学生を指導をするのはボクだけ。各自が別々の作業で、進行状態も違うので、大変。

 向こうも必死なら、こっちも必死。そんな、いっぺんに手をあげないでよ。

 「今頃なに言ってるの!」と言いたい質問もありますが、愚痴っているより課題を達成できるよう手伝うのが先決です。

 説明するよりボクがやった方が早いので、しまいに、学生の席を取り上げて、あっちの端末、こっちの端末。まるで、蜜蜂のよう……違うか。

 結局、30分以上居残りして指導し、あとは……。キリがないのです。

 帰る時、学生が「先生、お疲れさんでした」と言ってくれました。
2003年12月9日(火)  No.103

焼き芋
 寒〜い日になりました。

 落ち葉がいっぱい。今年2回目の焼き芋をしました。

 例年なら、焚き火をしていると、観光の人が寄ってきて、手を温めたり、「焼き芋をしているのですか?」などという会話があるのですが、今年はこの時期となって、観光客はもうわずか。話かけてくる人もおられません。
 そんなところからも、今年の違いを感じます。

 美味しかったですよ、焼き芋。

 加湿器が、1日中動くようになりました。そんなに乾燥しているのかなぁ。

〜ニシキギの紅葉〜
2003年12月8日(月)  No.102

ゆったり
 オフィシャルな仕事は午前中で終わり、午後はフリーとなりました。

 今日は風が強くて、落ち葉掃除も休み。

 泥棒が入ったあとのような自室を片づけた後、急ぎの用件を片づけたり、返信が遅れているメールに返事をしたり、久々に落ち着いた時間を過ごしました。

 部屋の掃除をすると、行方不明のものが出てきたり、小銭を拾ったり…何だか得をした気分になりますね。

 明日は落ち葉掃除が大変だろうなぁ。
2003年12月7日(日)  No.101

1週間が過ぎちゃった
 朝、桂離宮のあたりに読経に行って、帰りにボランティアの事務所を冷やかし、午後は「メダカの学校」。夜は睡魔と闘いながら、「今日の散歩道」の更新とデスクワーク。

 「今日の散歩道」の更新が夜までずれ込むなんて初めて。早く更新しなきゃと気持の余裕がなく、ギャグは不発。皆さんはガッカリされたのか、ホッとされたのか…。

 12月も、1週間がもう過ぎてしまいました。えらいこっちゃ。
2003年12月6日(土)  No.100

早変わり
 朝、檀家さん宅でお経を上げ、帰って衣から服に着替えて、ボランティアへ。そこで今度は逆に服から衣に着替えて、帰り道に檀家さん宅でお経をあげ…。帰って、服に着替えて、超宗派のお坊さんの会‘薄伽梵’の忘年会へ。
 その合間をぬって、公朝師本葬の準備を進めていました。

 忘年会は大いに盛り上がり、6千円のお料理だったのに、精算すると、一人1万円。ちょっとみんな飲み過ぎじゃないの。

 そういうボクも飲みすぎ。1次会だけで早々に帰宅し、そのままぶっ倒れてしまいました。
2003年12月5日(金)  No.99

天台大佛師大僧正公朝法印大和尚 密葬
 公朝師の密葬、火葬、収骨、自宅での還骨法要と、一日を過ごしました。

 悲しいというより、師の葬儀が落ち度なく執行できるようにお手伝いさせていただくことが、今のボクに出来る恩返しという気持です。

 18日の愛宕念仏寺での本葬に向け、短い時間で様々な準備を滞ることのないように進めなければなりません。
 読経の合間に、携帯電話で各所に連絡をしたり、いろいろな刷り物の手配をしたり、頭の中は段取り一色です。

 師が病床で描かれた来年の年賀状用の絵を見せていただきました。病気で伏しておられるとは思えない、力強い大日如来でした。

 師の戒名は、「 天台大佛師大僧正公朝法印大和尚 」。
 先の天台座主山田恵諦猊下からいただかれた「天台大佛師法印」の称号をそのまま使った、師をあらわすに最も相応しい戒名だと思います。
2003年12月4日(木)  No.98

5人での帰路
 今は1日おきに落ち葉焚きをすればいいかなぁという程度。今日は焼き芋をするだけの落ち葉も時間的余裕もなかったです。
 
「クシャミ3回!」と言ってくださった方はおられたのですが…残念でしたぁ。


 公朝師の通夜。

 京都も大阪も道が混んでいて、自坊から式場まで2時間かかりました。空いていた帰りは1時間。こんなに違うんですね。

 本葬を別の日に行うため、あくまでも近親者だけの通夜のつもりが、先生のファンなどのお参りも多く、参列者は約250人。

 供花の中には、歌手の長渕剛さんの名も。長渕さんは、公朝先生を「人生の師」と仰いでいました。

 通夜終了後、本葬の打ち合わせをして、帰ってきたら11時を過ぎていました。


 帰りは、住職と母、姉弟、そしてボクの5人。芸大をめざして高校から東京に住みついた弟も含め、5人で車に乗るというのは、初めてのことでしょう。
 時間が巻き戻されたような錯覚をおぼえました。

 皆、公朝さんが大好きでした。
2003年12月3日(水)  No.97

公朝先生遷化
 朝、西村公朝師の訃報が入りました。

 公朝師は、愛宕念仏寺の住職であり、仏師。国宝級の仏像の修復に携わってこられ、東京芸術大名誉教授など、現代の仏像彫刻を語るには不可欠な存在でした。
 わかりやすい話で、NHKテレビなどにもよく出ておられました。

 師は、ボクの祖父の弟子=父の兄弟弟子、ボクからいえば叔父になります。
 お寺では、血のつながりより、師弟関係を重視します。そういうことから、吉祥院とは切っても切れない関係で、ボク自身も公私ともに計り知れないほどお世話になりました。

 荒廃した愛宕念仏寺の住職をボクの祖父より任され、皆さんに羅漢さんを彫っていただくことを通じて今日のような立派な寺にされたのも、公朝師ならではのことでした。

 土曜日から危篤状態になられ、快復を祈っていましたが…。

 通夜・密葬・本葬などの準備であわただしく、なかなか悲しんでもいられません。

 業績はいうに及ばず、人柄的にも本当に尊敬し、敬愛する先生でした。

 飛行機が嫌いで、きっと一度も飛行機に乗られたことがなかったのではないでしょうか。
 今は、仏さまに導かれて、浄土へ飛んで行かれたことでしょう。

〜愛宕念仏寺の羅漢さん〜
2003年12月2日(火)  No.96

初 焼き芋
 雨と休日の人の多さに阻まれて出来なかった落ち葉掃除。12月の声を聞くようになって、さすがに早朝の人は少なくなりました。

 1時間ほどかけて枯れ葉を集め、新聞紙に火を付けて燃やしました。さぁ、焼き芋だぁ!
 この日に備えて一昨日購入しておいてたサツマイモを、アルミホイルにくるんで火の中へ。今年初の焼き芋です。

 ただ、火をつけて芋を投入するだけでは美味しい焼き芋はできません。あらかじめ枯れ葉を燃やして熱い灰の床を作り、その中に適当な隙間を空けて芋を入れ、さらに上から枯れ葉を載せて燃やします。上下左右から熱がじんわり加わり、美味しい焼き芋ができます。火の中というよりは、灰の中で焼くイメージです。

 約1時間で焼き芋は完成。でも、火から出すタイミングには熟練を要します。今日は他の用事をしていて、少しタイミングを逸し、細い芋は焼け過ぎてしまいました。

 ホカホカの焼きたてを来客に差し上げました。そちらはうまく焼けていて美味しそうでした。ボクのは…。

 まぁ、今年初ですから、まだ勘が戻っていません。

 落ち葉で焼き芋ができるのは、今から2週間ほどだけ。楽しもうっと!


 その後はずっとデスクワーク。
 天台宗の公式ホームページ作りの期限が逼迫し、お尻がボウボウ燃えている感じ。日付が変わるまでやりましたが…。

 目がショボショボ。目に良いわけないなぁ…そろそろ100円ショップの眼鏡ではダメみたいです。

〜写真は焼け過ぎた芋〜
2003年12月1日(月)  No.95

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