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  除 夜 の 鐘  

 12月31日大晦日。いよいよ年が暮れようとする夜、どこからともなく聞こえてくる「除夜の鐘」。最近、街中では「うるさい!」と言われて、除夜の鐘を撞けないお寺もあるとか。
 「除夜」とは「旧年を除く夜」という意味で、大晦日の夜をいいます。

 鐘の音は仏の清らかな声、仏の教え。その鐘の音を聞くことによって、この1年に作った罪を懺悔し、煩悩を除き、清らかな心になって新しい年を迎える。除夜の鐘は、そんな行事です。

 除夜の鐘の起源は中国・宋の時代(960〜1279)、日本へは鎌倉時代に伝来したとか。

 除夜の鐘を108回撞くことは、よく知られていますが、なぜ108なのでしょう。108という数、数珠の珠の数も108ですが…。
 「煩悩が108だから」というのがよく言われる理由です。
 結果からいうと、108というのは「大変多い」ということで、数字自体にはあまり意味がありません。古代インドでも、「108」「八万四千」「三千」などという数字が、同様の意味で使われています。
 除夜の鐘の起源といわれる中国でも「108」という数を重んじます。たとえば、水滸伝に出てくる魔性の星神は108人。除夜の鐘が108というのも、12ケ月+24節気+72候の合計数と言われ、どうやら数合わせっぽくて、仏教そのものと関係がなかったとか。それではマズイというので、いろいろ理屈をつけたという説もあります。
 その理屈にも仏教各派によって、いろいろあって、たとえば、「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)」×3(好-気持ちがいい・悪-嫌だ・平-何も感じない)×2(浄-きれい・染-きたない)×3(現在・過去・未来)=108とか…。いろいろな感覚器官や意識から煩悩が起きるということでしょうが、それを説明するだけで大変ですし、説明しても観念的であまり意味がないように思われますので、やめておきます。
 そうそう、「四苦八苦」といいますが、4×9+8×9=108という説明もあります。語呂合わせじゃないんだから。

 煩悩とは、心を汚し人を苦しめる心の働き。代表的なのは、貪(むさぼり)、瞋(いかり)、痴(無知)の気持。その煩悩を清浄にするための除夜の鐘。
 清らかな除夜の鐘の音を聞きながら、1年を振り返って、その年の自分の行いあらためて振り返り、その至らなさ、愚かさをしみじみ反省し、懺悔し、新たな思いで新年を迎える。それが、除夜の鐘の意味ではないでしょうか。

 ところで、先ほど、数珠の珠も108だと書きましたが、これも煩悩の数で、それを悟りに転じるために持つのだという説もあります。また、数珠を擦るのは、煩悩をすり減らすためだとかいう説もありますが…。判然としません。
 もともと、数珠はその名の通り、真言などを唱えた回数をかぞえるための道具で、天台宗の僧侶が持つ通常の数珠では、108×30=3240までカウントできます。カトリックのロザリオと同じような意味ですね。

 お寺によっては、年末などに、過去・現 在・未来の三世の諸仏三千の御名を称えて、罪深い自分自身を懺悔しながら五体投地礼拝をする「仏名会」というお勤めをするところもあります。
 懺悔することが、清らかな行いの出発点である気がします。普段は滅多にそんなことはできませんが、せめて年があらたまる前にしたいですね。