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  盂 蘭 盆  

 子供の頃、私はお盆の正式名称である「盂蘭盆(うらぼん)」を、月遅れの8月にするのが「ウラ盆」で、東京のように7月にするのは「オモテ」のお盆だと勘違いしていました。

 季節的な宗教行事として定着しているお盆ですが、その起源はインドに求められ、中国で変形して、さらに日本風にアレンジされたものだといえます。一つの行事にも、壮大な歴史を感じますね。

 さて、そもそも「盂蘭盆」という言葉は、サンスクリット語の「ウランバナ(逆さに吊される苦しみ)」を起源とすると言われています。また、最近は、イラン語の「ウルヴァン(死者の霊魂)」という語が語源だという説もあるようです。
 インドでは、長い間子孫から供養されていない精霊は、地獄のような世界に落ちて逆さ吊りの苦しみを味わっている。その精霊に飲食を捧げて供養し、その苦しみの世界から救うという風習が、古くからあったといいます。

 『盂蘭盆経』には、お釈迦さまの10大弟子の1人である目連尊者が、餓鬼道に落ちた母の苦しみを救おうとして、お釈迦様の教えに従って祭壇を設け、三宝(仏・法・僧。悟りを開いた人・仏の説いた教え・仏の教えに従い成仏を目指す出家者)に供養して母を救ったということが説かれています。そして、これが盂蘭盆会の起源だとされています。

 余談ですが、お経というのにはお釈迦さまがお説きになったのを弟子たちが思いだしてまとめたようなものから、お釈迦さまが亡くなって千年以上経ってから後に中国や日本で作られたものまで多種多様です。この『盂蘭盆経』も、中国で作られたといわれるお経です。
 余談ついでに、目連尊者というのは、『観無量寿経』〜王舎城の物語などでご存じの方もおられるのではないでしょうか?
 我が子であるアジャセによって牢獄に幽閉されたビンバサーラ王のもとへ神通力を使って通い、説法をしたのも、この目連尊者です。

 目連尊者は「神通第一」と呼ばれ、修行を積んで様々な神通力を使いこなせる境地にいたると、まず最初に亡き父母の様子を観て、その恩に報いようと考えました。
 あれだけ自分を大切に育ててくれた母だから、きっと極楽で幸せに暮らしているに違いないと、極楽世界の中に母親の姿を求めました。しかし、極楽にその姿はありませんでした。それでは、きっと天の世界に違いないと探しましたが、やはり見つかりません。その後もあちこちの世界を探しましたが、どこにも見つかりません。
 やがてようやく母親の姿を見つけることができましたが、なんとそこは餓鬼の世界でした。餓鬼の世界というのは、生前に欲深かった者が死後に行く世界で、ここに落ちた亡者は、飲食もできずに、飢えと渇きに苦しむところです。目連尊者の母親は、飲むものも飲めず食べるものも食べられず、ガリガリに痩せて大変苦しんでいました。まさに、逆さにつるされたような苦しみ(「ウランバナ」)を味わっていたわけです。
 目連尊者はお母さんを助けたい一心で、神通力を使って飲み物や食べ物を母親のところに送りましたが、母親がそれを口にしようとすると燃え上がり、飲むことも食べることもできません。
 その様子に号泣し、何をしても母親を苦しみから救えない無力さを悲嘆した目連尊者は、お釈迦さまを訪ねて、「私にとっては、とても愛情あふれていた母が、一体なぜ餓鬼に生まれたのでしょうか? 救い出す手段はないのでしょうか?」と教えを請いました。
 お釈迦さまは「お母さんは罪を犯していた餓鬼の世界に落ちたんだよ。その罪は『慳貪(けんどん。物欲が深く、他人に対して惜しみをする)の罪』だよ」と教えられたのでした。
 母親は、我が子を一所懸命に慈しみ育てます。そんな母親がどうして地獄に? 最近、「児童虐待」などということが話題になり、信じられないような行為を我が子にする父母が後を絶ちませんが、目連尊者の母親がそうだったわけではありません。
 目連尊者は裕福な家の一人子として、父母の熱愛をうけて成長したといいます。しかし、母親は自分の子供を愛するがゆえに、他人の子供に対して物惜しみをしたりしていました。我が子に一所懸命なのが過ぎれば、自分の子さえよければ、よその子を押し退けてでも我が子を優先する、というふうになってしまいます。わが子を愛するあまり、歪んだ見方・考え方になっていったのでしょう。その執着した愛の結果として、母親は餓鬼道に落ちることになったのです。
 お釈迦さまは、目蓮尊者に母親を助ける手だてを授けました。
 「7月15日は、90日間の安居(道場や洞窟に籠もって修行を行う)が終わり、たくさんの僧が一堂に集まり、過去の罪を懺悔してさらに仏道の修行に勤しむ日(「自恣日」)です。
 この日、僧たちに、飯・百味(多くの飲食物)・五果(五種の果実)・水・灯明・寝具などを供養しなさい。
 いかにあなたが親を思う気持ちが強く、母を救いたいと思っても、母の罪は深いから、どうすることもできないのだよ。天神、地神、邪鬼、外道、道士、四天王神たちでも、救うことはできないのだ。
 しかし、たくさんの僧への供養によって、あなたの母はもちろん、父も今は亡き過去7世の父母や親族たちも、罪を免れ、苦しみから救われるでしょう」とお教えになったといいます。
 喜んだ目連尊者は教えられたとおり衆僧に供養をして、過去7世の父母に報恩追善の誠をささげ、無事、餓鬼道にあった母は救われたといいいます。
 さらに、目連尊者は、「私の父母たちは、三宝の功徳の力のお陰で救われました。もし、これからのすべての人たちが、私と同じように願ったときも、またこのようにしたら救えるものでしょうか」と尋ねました。
 お釈迦さまは、「お前は、私が正に説こうと思うことを尋ねたね。もし、僧侶、国王から始まって庶民にいたるまで、孝行をしたいと願うなら、自分を産んでくれた父母と、過去7世の父母のために、7月15日の僧自恣の日に、百味飲食を供えて、十方衆僧に施しなさい。そうすれば、その者たちも天の世界の楽しみを享受するようになるでしょう」と答えられました。
 このように、安居の終わった7月15日の僧自恣の日、自分を産んでくれた父母や先祖の霊などのために、衆僧に対してさまざまな供養をしたのが盂蘭盆の始まりだと言われています。

 盂蘭盆は、中国に渡ると、先祖供養が主体となりました。玄奘三蔵の片腕として仏典の漢訳に携わった玄應は、このことを「仏教が俗に順うことではあるが」と書き残しているといいます(『玄應音義』)。
 日本では、推古天皇14年(606)に行われたのが最初で、次いで斉明天皇3年(657)に飛鳥寺(元興寺)の西に須弥山を作り孟蘭盆会を設けたと記録されているそうです。日本でも、やはり先祖供養の行事として定着し、今日に至っています。

 「お墓には曾祖父さんしか入ってないし、新しい仏さんはいないから、お盆なんて関係ないよ」と言うあなた? お盆は、亡くなった自分の先祖を尊び供養するということだけではありません。
 今、私たちが生かされているのは、過去の世の人々、現世の人々のお陰であることを思い起こし、あらゆる精霊を供養し、父母はもちろん、お世話になっっている現世のすべての人やものに感謝しましょう。
 そういう気持ちが、自らを豊かにし、また次の世へとつながっていくのではないでしょうか。