入院の二日後の3月5日は病名が告げられた日。 母は治療ではなくホスピスへの入居を希望した。 母自らがホスピスという単語を使った。 老人の域に達したころから、具体的な病気になったわけでもないのに、延命治療はしないと常々言っていたから、いろいろ調べていたのだろう。 母が泣かないので、私も泣くわけにいかないと思い、なんとかこらえた。 その後、結局亡くなるまで母の前で私は泣かなかった。
最近読んだ「親を送る」という本。 相次いで両親を亡くした著者の体験を綴っている。 状況はそれぞれだが、著者の友人の話も含め、親を送った後で後悔しない人はいないと言う。 どんなに手を尽くしても。 乗り越える必要はない。受け入れて進むしかないと言う。 そうなのかもしれない。
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