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2019年3月12日(火) 
 次の元号は?
平成元年なんてついこの間のような気がしていたが、考えてみたら、私の人生の半分以上は平成だった。
昭和が平成の倍だから短いような気がしてたけど、以外と平成って長かったんだね。
次の元号は、4月1日の何時にどういう手段で発表になるんでしょうかね。
とりあえず、朝からNHKをつけっ放しですかね。

今期、話題になった「3年A組」というドラマを見て思った。
SNSのルールやマナーは、親が教えることができないから、こうやって教えてあげないといけないんだな、と。
昭和の時代までは、親は大抵のことは子供より経験豊富で、子供から見たら何でも知っている存在だったはずだけど、平成になると、パソコンが家庭に入って来たり携帯電話がどんどん進化したりと、親が子供に教えてあげられないことが増えて行った。
家電や電子機器の進化が速すぎて人が上手に活用できないままいろんな弊害が生まれてたんだなと思うと、なんか切ない。
世知辛いってのはこういうことなんだろうなぁ。

2019年3月11日(月) 
 戸籍も間違うのね
私が子供の頃、母の誕生日は3月14日だと聞かされていたが、あるとき、実は3月11日だったと言われた。
そんなことってあり?と思っていたが、母の死後、戸籍の原本を取り寄せて納得した。
癖のある文字で書かれた「壱」が「四」に見えたのだろう。
「壱」の“さむらいかんむり”が小さすぎてゴミかと思ってしまうのも無理はない。
発覚した経緯は詳しく聞いていないが、良く見ると、母の父が出生届を出したのが、3月14日だったため、同日には出さないだろうというところから、誰かが疑ったのかもしれない。
母は、名前の漢字も間違われていて、途中で戸籍を訂正している。
昔はそんな感じだったんだろうな。

2019年3月5日(火) 
 親を送る
入院の二日後の3月5日は病名が告げられた日。
母は治療ではなくホスピスへの入居を希望した。
母自らがホスピスという単語を使った。
老人の域に達したころから、具体的な病気になったわけでもないのに、延命治療はしないと常々言っていたから、いろいろ調べていたのだろう。
母が泣かないので、私も泣くわけにいかないと思い、なんとかこらえた。
その後、結局亡くなるまで母の前で私は泣かなかった。

最近読んだ「親を送る」という本。
相次いで両親を亡くした著者の体験を綴っている。
状況はそれぞれだが、著者の友人の話も含め、親を送った後で後悔しない人はいないと言う。
どんなに手を尽くしても。
乗り越える必要はない。受け入れて進むしかないと言う。
そうなのかもしれない。

2019年3月3日(日) 
 ひなあられ
5年前の3月3日、母が入院した日。
入院患者に雛あられが配られた。
食事がしづらくなっていた母が、これは食べやすいから余ってたら貰ってきてと言う。
看護師さんも忙しそうだし、入院初日にそんなこと言えないよと、私は断った。
それきり母はなにも言わなかった。
聞くくらいできただろう。聞いたうえで無かったよと言えば母も納得しただろう。
ひな祭りが来るたびに思い出す後悔。
その後の入院生活で、そんな後悔がいくつも積み重なって行くことなど、その時の私はまだ気づいていなかった。

2019年3月1日(金) 
 フォルトゥナの瞳(ネタバレ)
原作は百田さんだけど、神木くんと有村さんだったので見に行った。
飛行機事故で両親を失い自分だけが助かったことで、特殊能力を得てしまった青年の話。
事故現場の映像がかなりリアルで、私にはちょっと厳しかった。

死ぬ運命が決まってしまった人が透けて見えるようになるって、普通の精神状態じゃいられないだろうな。しかも、その運命を変えて助けてしまうと自分の寿命が縮んでいくって、どんだけ過酷なのさ。

ネタバレだけど、結論を言ってしまえば、有村さんの役もその特殊能力を持っていて、お互いが相手に生きて欲しいと願い、それぞれがそれぞれの選択をする。
エンディングは、三浦綾子の「塩狩峠」を想起させるものだった。
塩狩峠は、過去一泣いた小説だ。
そこまでではないが、後々まで記憶に残るであろう映画になった。

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