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2018年3月23日(金) 
 リメンバーミー(^^♪♪♪
素晴らしく良かった。
主人公が死者の国に行ってしまう理由とか、帰るために為すべきこととか、先祖を迎えるための支度の意味とか、家族の愛とか、認知症の家族との接し方とか、分かり易く無理のない脚本とか、実写と見紛うばかりの精緻な描写とか、良くできてるなーと感心しながら見てしまった。

死者の国に行ってしまった大切な人を取り戻すという設定は、山崎監督の鎌倉物語もそうだったけど、たまたまそういう話を書きたくなる世相なのでしょうか?国は違うけど。

ミゲル役の少年が歌がうまいのは宣伝で知ったけど、藤木直人も実は歌うまいんだなと思ったら、歌手デビューもしてたのね。道理で。。。(^^;)


同時上映のアナ雪を見ても、アニメの技術は日進月歩なんだなと実感する。エルサのマントの美しさったら、もう!
アナ雪は、クリスマスの話なのに、なんで今?と思ったら、当初はクリスマスシーズンに公開予定だったのね。それが、今になった理由は分からないけど。

2018年3月22日(木) 
 映画
今までに何本くらいの映画を見たんだろうか?と思って、記録を遡れるだけ遡ったら、2004年からの14年間で182本。
近年の岡田くんの映画は5回とか7回とか見てるのでそれを差し引いて、さらにTV放送やレンタルだけで見たものも含めると200本くらいってとこかな?
映画好きというほどは、見てないし、ジャンルが偏ってるから何の自慢にもなりゃしない。

初めての映画館は、小学校低学年だったと思うけど、母と行った記憶。
今みたいに全席指定じゃないから、激混みの劇場内で、通路の階段に座っていた景色だけを覚えている。そんな状況だから楽しかった記憶ではないし、子供向けの映画じゃなかったんじゃないかな?
母がどうしても見たかったのを、子供を置いていくわけにいかないから、仕方なく連れていかれたってことじゃないかなと思ってる。
商売で忙しい日々の貴重な定休日にどうにか時間を作ったのだろう。
母の生前に確認したことはないが、きっと覚えていないだろう。
母の名誉のために、違うかも?と一応書いておく(^^;)
その後、母と映画に行った記憶はないし、母が一人で映画に行ったという話も聞いたことがない。

中学生になって、自分の意思で見たのは、山口百恵主演作品とか子猫物語とか、パンフを捨てちゃったけど20作品くらいあったかなぁ。親と行った記憶ではないから、子供だけで行ったのかなぁ?
高校2年のときに友人4人くらいで見たチャンプは、しばらく椅子から立ち上がれないくらい泣いたっけ。
OL3年目くらいで見たフラッシュダンスにも、ものすごく感動して、映画館から出る足取りが軽くなったのを覚えている。

それ以降、あれほどの感動作には出会えていない。
原因は、こちらのアンテナが鈍っているのは明らかだ。
あの頃の感受性はもう戻らないんだろうなぁ。
でも、もし戻ったとしたら、それはそれで恐ろしい。
大人には大人なりの楽しみ方があるってもんさね。

2018年3月21日(水) 春分の日 
 雪(=゜ω゜)ノ
どうせ今回も降る降る詐欺だろうと思っていたら、午前中から見事に雪。
夕方には止んでまた雨も降って、すっかり雪は消滅。
先週には5月の陽気だったり、明日にはまた春の気温に戻るらしいし、どうなっちゃってるんでしょうかねぇ?
梅はどこに見に行こうかなぁと思っているうちに花粉が猛威を振るい始めて、外出が億劫になり、気付くと桜も散り始めというのが例年のパターン。
外に目を向けろ、私!

2018年3月15日(木) 
 「北の桜守」で号泣
開始3分で泣きそうになり、その後2度号泣。
樺太で終戦を迎え、徒歩と汽車と船で知り合いを頼って網走へ向かう母と息子たち。
想像を絶する苦しみを越え、十数年後に再会した親子の話。

悲惨な場面は映像ではリアルすぎるので、舞台形式にしたとのこと。
その戦略は成功だったようだ。

上映の冒頭で、この映画はフィクションですと断り書きが入ったが、こういう苦労をした人は何万人もいたことだろう。

戦争で人生を狂わされた人たちの苦悩は、想像を絶する。
今も世界のどこかで同じことが繰り返されている。

2018年3月5日(月) 
 いろんな記念日
4年前の3月5日は、母の病名が分かった日。
4年経っても…、いやむしろ年が過ぎるほどに後悔が大きくなるように思う。
母のことは大好きだったし、生んで育ててくれたことには感謝しかないが、生前はそれを伝えたことはほどんどなかった。
いつまで反抗期なんだよっていうくらい、ぞんざいな受け答えが多かったことを、今になって後悔しても遅い。
元気だったころのことも、入院してからのことも、もっとしてあげられることがあっただろうに、と悔やむ思いが増えていく。
子離れしているようで本当は寂しかったであろう母を思うと、私が母の死を乗り越えてしまうことも寂しがるんじゃないだろうかと思ってみたり、子供が明るく元気に暮らすことを願わない親はいないだろうと思ってみたり、行ったり来たりで進歩がない。
仏壇は兄の家にあるし、母の写真も見ると辛くなるので、目に付くところには置いていない。
そうかと思えば、実家で使っていた食器や調理器具を持ってきて使っているので、その度にちょっと切なくなったりもする。
次のステップは、リビングに母の写真を置けるようになることなのかもしれない。

[2018年3月 書込件数:5件] 1